5-1 でもどうしようっ!
>
学校に戻ってみると、みんないなくなっているのに気付いて、びっくりした。
誰もいない教室や、廊下を覗いては、その無人っぷりにあたふたしている澪の後ろで、アーヴは、「どー弁解するかなあー」と、サボリ常習犯の頭脳を、暖気運転程度に、ふわふわ動かして、
「ごめん、みおちゃん。授業全部終わっちゃったみたい。やっぱりあの地下の幻覚だなぁ。あれがまずかったよな。あれさえなけりゃ予鈴の間に、澪ちゃんを授業に返してあげれたのにー。残念だ」
人畜無害な顔つきで、てきとーなことを言う。
片手をあげて、
「じゃ。そういうことで」
「? どーゆーこと?」
「俺さぁ、はずせない仕事が一件あってさぁ」
「……おしごと」
「そ」
「行っちゃうの?」
「みおちゃんも、僕と一緒?」
アーヴは悲しげに、より切なげに身をよじらせ、
「さよなら……したくないの?」
言いかけて、彼の耳が後方へ、ぴくぴくっ、と動いた。
と、急に慌てたようになって、
「本当は、寄宿舎まで送ってあげたいんだけど。今日は無理みたい。じゃね、約束!」
「うん、約束ね」
早口でまくしたてるなり、アーヴは本当に、あっというまに姿を消した。
「アーヴくん?」
期待するような訝しがるような高い声が響いたのは、廊下のすぐ向こう側からだった。
澪はやっと、晴れやかな気持ちになって振り返る。
「クロちゃん」
「澪ちゃん」
それは両手に理科の実験機材を抱えた、Cクラスの委員長だった。
すぐ前を弾むように歩いているのは、小さな黒い猫だ。その賢そうな金色の瞳が、この猫が普通の猫ではなく、魔力を持った、使い魔であることを示している。
「さっきアーヴくんの声が聞こえたんだけど――。やっぱり、澪ちゃんと一緒だったんだ」
「あ。あのね……」
「今日転入してきたばかりなのに、授業にも出ないし、ホームルームにも来ないから」
「……ごめんなさい」
まっすぐに切りそろえた白い前髪の下から覗く、少女の目は、伏目がちだが、しかししっかりと澪を見つめていた。
猫が不思議そうに振り返り、急に立ち止まったクロの足首に、ヒゲをすりつける。
「なにをしていたの?」
おずおずと、クロは問いかける。
「アーヴくんは授業をサボってばかりだから、珍しくはないけど、転入したてで、どこに行くっていうんだろう。理事長室にも伺ったんだけど、もう授業に出てるはずよ、って言われたから」
「クロちゃん、ごめん……」
本当にごめん――
「言えないの」
「言えないって」
少女は絶句した。
その言葉は、委員長にはあまりにも衝撃的だったようだ。臆病な少女の目が見開かれ、世にもおぞましい魔物に遭遇してしまったかのような表情で、硬直する。
アーヴは、全校女子のアイドルだ。
みんな彼に気に入られたくて、たった一人の『彼女』になりたくて、水面下では壮絶な、骨肉の争いが続いている。
男子たちは男子たちで、学校の頂点に立つのは誰だとかいう下らない争いを続けているが、そんなもの、彼女たちにしてみれば幼稚園児のお遊戯と変わらない。
そんなものよりも、彼女たちには奪い獲らなければならないものがあるのだ。
そのことを、委員長はよく知っている。
そして、
「……まさか本当に、ずっと……ずっと二人、一緒だったってこと……?」
彼女たちのアイドルが、かなりのプレイボーイである、ということも。
いったい誰が本命なのか、誰とつきあっているのか、一日中傍にいても分からないぐらい、大勢の女の子たちに取り囲まれているのだ、ということも。
どんな女の子にも平等に、優しくできる人なのだ、ということも。
(――どうしようっ!)
澪はどう答えるべきか、必死に考えていた。
クロは初めてできたお友達だ。
仲良くなったばかりのクロが、問いかけてきてくれている。
その質問に、答えてあげたいのは、当然だ。
当然なのだが、
(地下に行ったことは秘密だよって、アーヴくんと約束しちゃったから……)
特に。
見るも無惨に荒廃した、絨毯の間のことは、トップシークレットだ。
あの後どうにかこうにか、怒り狂う怪鳥を鳥籠に押し込んだものの、焼け焦げた絨毯やら割れた天井、飛び出してきた配水管までは、どう頑張っても元通りにはならなかった。
棺桶の中に眠る、美しい青年のことは、その時、アーヴに話した。
アーヴは、ふぅーん、と鼻を鳴らして、「『知識の墓』って人間も眠らせてたのな」と、振り返りもせず答えただけだった。
それらのことが全て、ようやくお友達になった、クロには話せない。
(……どうしよう……)
友達に秘密は作りたくない。
けれど本当の話をしてしまったら、アーヴの信頼を裏切ることになる。
気さくで陽気なアーヴなら、なんでも笑って許してくれそうな感じがする。
けれど、許してもらえても、澪の心はずっと、後悔に痛み続けるだろう。
彼の気持ちに泥を塗るような真似を、澪はしたくなかったのだ。
「ごめんね……何も、言えないの……」
委員長の上体が、ふらり、と背後に倒れる。
「クロちゃん!?」
が、澪の手を払いのけるように、委員長は、廊下の壁に手をついて踏み留まった。
表情は、前髪の陰になって見えない。
しかし、泣いているようにも見えた。
「クロちゃん……」
「……勝手にして……!」
転がり落ちた実験機材を拾い上げ、クロティルドは駆け出した。
黒猫が驚いたようにその後を追いかける。
委員長の姿は、階段の向こうへ消えていった。
4-11 ドロボウも学生も紙一重の
>
澪はしばらく、そこから一歩も動けないでいた。
耳に聞こえるのは、熱い蒸気音。
目に映るのは、光り輝くスチールの管。
無数のフラスコの列、点滅しつづける赤や緑の電子板。
じっとしていない計測器の目盛り。
今もなお蒸気をあげ、回り続ける歯車、滑車、機械群。
鏡のように磨かれた白い天井と、白い床。
誰かがやって来て、世話でもしているのでは? と疑いたくなるような、観葉植物のポットがあちこちにあり、金属の机の上には、山積みの古書と、飲みかけのマグカップ。
そしてなによりも――
澪は深く、丁重に、その方角へ頭をさげた。
やがてゆっくりと、かなりの時間をおいてから、まぶたをあげる。
「……きれいなひと……」
思わず漏れたその声に、澪はぶるっ、と身震いした。
壁に伝う金属の管に埋もれるように、そのガラスの棺桶はあった。
中では、一人の人間が眠っている。
こちらへ顔を向け、今さっき昼寝を始めたばかりのような自然さで、柔らかい寝床に横たわっている。
永遠の眠りにつくには若すぎる、青年だ。
透明な髪と肌が、美しい。
澪は、棺を見上げたまま、身動きができないでいた。
青年の彫りの深い顔に浮かんだ、苦悩するようななんともいえない表情が気になったのだ。
澪はしばらくじっと、その場にたたずんでいた。
4-10 ドロボウも学生も紙一重の
>
一方、澪は、怪鳥の様子よりも、その奥にある、絨毯のかかった壁を気にしていた。
上半身をひねり、澪は何度も壁を振り返る。
幅広の絨毯――。だが、そこからは――
「澪ちゃん、帰ろ!!」
それはちょうど爆発的に、青白い光が、青銅の扉から放射された瞬間だった。
扉を叩き割ったアーヴは、すばやく、澪の立つ場所にまで後退する。
青銅の扉は叩き割られた――が、全てが幻であったことを証明するかのように霧散していた。現れたのは、確かに見覚えのある地上への階段だ。
「どうしたの?」
「行っていい?」
二つの声は同時だった。
「あそこから、風が吹いてるの」
言って、澪は怪鳥の背後を指さす。
「絨毯? ……隠し部屋、っていうこと?」
「変に気になるの」
「いや、いいけど……」
眉をひそめたまま、アーヴは紅茶色の前髪をかきむしった。
ちらり、視線を上げると、部屋を潰さんばかりの勢いで、怪鳥が暴れ狂っている。
危ないんだからやめなよと、引き止めるのは簡単だ。
さんざん苦労した末、やっと地上へ戻れる階段を見つけた。なら一も二もなく急ぎ地上へ戻るべきだ。これ以上、危険な地下に留まっている理由はない。
けれどアーヴはどうしても、澪のお願いを却下する気にはなれなかった。
――女の子のお願いを却下するなんて――!!
そんな恥知らずな真似。根性無しな真似。
彼にできるだろうか?
ありとあらゆる艱難辛苦が津波のごとく押し寄せる今だからこそ、真の愛のありかたを、澪に示すことができるというものではないのだろうか?
「じゃあ、僕がバケモノを引きつけておくから」
心の奥底の葛藤を0.1秒で切り上げ、彼は凛々しい顔立ちで、作戦を告げる。
「澪ちゃん、大丈夫? いけそう?」
「いけると思う。アーヴくん、無理しないで」
「おう」
ハイタッチ。
怪鳥は自分の首にはめられた首輪と、連結する太い鎖をふりほどくのに我を忘れている。崩れた石壁の破片が、二人の上にも飛んでくるが、アーヴは構わず、怪鳥に正対し、顔の正面に剣を構えた。
「いくよ」
額の中心から顎を通って、肩、手首。
身体全体に、じんと痺れるような感覚が伝わっていく。静かな月の夜の、しずくのような痺れだ。それが、身体の中心に蓄えてあった熱い力と折り重なり、霊層へと沈み、眠っていた全神経を奮い起こさせ、
「うおおおおおおおおお!」
彼が祈りを強めた瞬間、剣先からは、巨大な光がほとばしった。
振り上げる剣から、強力なパルスが撃ち出され、
「おい、バケモノ! この俺がっっ! お前を退治してやる!!」
大声に空間が震えた。
バネ仕掛けの玩具のように、即座に、怪鳥が紅いトサカをこちらへと向ける。
その瞬間には、澪は猛ダッシュをかけている。
アーヴは一瞬、その影を追い損ね――
姿を、視界の端に探し当てた時にはすでに、澪は向こうの壁に辿り着いていた。
「うそだろ……!? オトリ、必要ねーじゃん」
――ギロリ。
怪鳥の目が、アーヴの目と合う。
憤怒に狂う、ケダモノの双眼だ。肉食獣の瞳孔。
「やっべ……」
アーヴはゆっくり、後ずさりする。
と、脱兎のごとく、絨毯の棚の隙間へと駆け出した。
引き続き、怪鳥のオトリとなるために。