南域結界☆ ジェルソミーナ -221ページ目

4-9 大きなペットはお好き?

「どう……思う?」
 白い息を吐きながら、アーヴは澪に手を伸ばした。
 ふと、自分の手がオイルまみれなことに気が付いて、ズボンの尻でごしごし拭う。
 澪は黙ったまま、辺りを見回している。
 青銅の扉は、今度は二人を、どこかの部屋へと招待してくれたようだ。
 そこはぎっしり、絨毯を山積みにした、古びた縦長の部屋。
 赤。青。紺。金。紫。白。
 テニスコート3つ分ぐらいの空間に、よくぞここまで詰め込みましたと、感心するほどの、ものすごい量。そして色の洪水。実は絨毯屋の古倉庫に迷い込んでいるんだよ、と言われても違和感がないぐらいの、おびただしい量。
 あの鋭い光を放っていたのは、天井から吊された、かなり巨大な鳥籠だった。
 その眩しい、オレンジ色に満たされた室内の中、きちんと畳まれた絨毯が、あるものは頭の高さまで、あるものは天井近くまで山積みされている。
(だけど……)
 冷たい空気を吸い込んでいると、むしょーにタバコが吸いたくなって、アーヴは片手でポケットの中をまさぐりだす。
 絨毯屋にしては違和感がある。なんだろう? ああ、あちこちに無造作に投げ出された品々だ。地図、羅針盤、変色したロープの束。さらに、錨。
 ――貿易商の、倉庫なのだろうか?
(それにしては、窓も何もないな)
 ここが地下なのか陸なのかも、分からない。
 アーヴは底冷えする寒さに、ぶるっと、身体を震わせ、
「本当かウソか……。どっちだと思う?」
 なかなか火の付かないマッチに苛立ちながら、問いを繰り返す。
 二本目も三本目もダメだ。
 試行錯誤したあげく、アーヴはついに、マッチに見切りをつけた。
 完全に湿気てやがる。
「学校の地下に誰かが仕掛けたらしい幻覚は、俺の正義の剣で破壊しておいたから――今度のは、現実の世界で間違いないと思うんだけど」
「ニセモノだったら、よくできてるねー」
 澪の視線は吸いつくように、壁にかかった幅広の白い絨毯に向けられていた。
 田舎の暮らしが描かれ、たくさんの農夫の間に、一角獣が描かれている。
 子鹿のような澪の足首がひるがえり、
「……ツノがあるよ?」
「ユニコーンってやつだな」
 物知り顔に、アーヴは鼻をうごめかす。
「旧約聖書や『七十人訳聖書』に出てくる聖獣だ。性質は獰猛だけど、女の子にはめちゃ弱い」
「へー」
 もっと間近で見ようと、澪が足を踏み出した、その瞬間。
 どこからともなく、聞き慣れた鐘の音が。
 はっ! と二人は顔を見合わせた。
「……学校だ!」
「帰ってきたんだ!」
 わあーい。二人は同時に手を取り合って、跳びあがった。
「学校」
「学校だ!」
「よれんは? ……もう終わっちゃった?」
「みおちゃん、余裕ありすぎ」
「だけどだけどだけど」
「最後の授業には、間に合うかな」
 げっ。
 懐中時計を見て、アーヴは低く呻いた。もう、3時間もたってる!
 硬直した彼に、澪が話しかける。
「どーしたの。アーヴくーん?」
「あー。ごめん、みおちゃん……」
 アーヴは心の中で、東洋風に手を合わせた。
 ……初登校なのに、ホームルームすら終わってる……
「!」
 その時、鋭い動きで、二人は後ろに跳び退った。
 勢いあまって、開いたままの青銅の扉の中に、二人は転がり込む。
 激震と共に、鋼鉄製の重厚な鳥籠が、天井から落下したのはその直後だった。
 絨毯が吹き飛び、木製の棚が爆ぜ割れる。
 砕け散った石壁の破片が、さっきまで彼らが立っていた場所に、無数に突き刺さった。
 鳥籠の中からは、異様な気配がして、
「逃げるぞ!!」
「うん」
 とっさの提案にも、ためらわず即答する澪。
「地上へ戻る、階段を探すんだ!」
 アーヴは、頭をフル回転させる。
「見たもの全部、幻覚でだまされていたとはいえ、俺たちがここに辿り着いたのだけは真実なんだからな!」
 この部屋には、出入り口がない。
 が、出入り口のない場所に、「辿り着く」など、不可能だ。
 きっとどこかに、秘密の通路か、階段があるはず。
 へしゃげた鳥籠の中から、翼にしてはあまりに大きな、翼がのぞいた。
 オレンジ色の光を放つ、金色の爪が、絨毯の棚を踏みつぶし、首を高く伸ばそうとして、天井にしたたかに頭をぶつける。
 怪鳥は、聞くに耐えない叫び声をあげた。
「くっそ、やっぱこれか!」
 両耳を塞ぎながら、アーヴはいまいましげに叫んだ。
 澪が青銅の扉を出るなり、腹立たしげに、扉へ向かって剣を抜く。
 剣の先にたちまち、青白い光が生まれた。
「空気の流れが、ぜんぶ、扉に集まってるからな……!」

4-8 大きなペットはお好き?

 
>
 
 澪はおちついていた。
 アーヴはちょーしにのって連呼するが、『正義の力』という表現は、正確ではない。
 彼の力は、空間の<ほころび>が生みだしたもの――魔導や幻覚や異能を、叩き斬ることができる、いわば、<アンチ・異能>の力だ。その力を、<剣>という分かりやすい存在に具現化してみせたのは、アーヴもよくは知らない、彼らの一族が、騎士階級に叙任される、はるか昔の話らしい。
 ――その、<アンチ・異能>の剣で、幻覚を斬り伏せればどうなるか?
 澪は、言われた通り、扉の敷居は越えている。
 頭の芯に響くギリギリとした音をたてているのは、扉と外側の空間とのはざまだろう。
 固く閉ざした扉の向こうからは、猛々しい、獣の怒声にすら似た轟音。断末魔のごとく暴れ、狂っているのは、ただの風や嵐ではない。
 空間の、崩落というやつだ。
「俺が……」
 長い尻尾をだらり下げはいる。が、致命傷を負ったはずの巨大な鉄屑は、それでも倒れない。舌と見紛うコードの束から、血のようなオイルをとめどなく垂らし続けている。
「澪ちゃんを……」
 浅く息を吐き、オイルで滑る剣を持ち直した――
「っ!」
 本能だけでアーヴは身を翻す。
 薄暗がりの中、感じたのは、眼前を通り過ぎる凄まじい風圧だけだ。
 したたかに背中を、廊下の壁に打ち付けながら、
「俺が……守るっ!!」
 巨大な風圧に、全力で突き立てた。
 逆手に握りしめた剣には、とっさに込めた辟邪(へきじゃ)の祈りが篭もっている。身をかわしたと思った瞬間にはもう、鉄屑の頭はアーヴの喉笛へ食らいつこうとしていたのだ。
 彼の目にしか見えない青い燐光が、一瞬、天井へ弾け、
「アーヴくん、空間が」
 扉のそばから、澪のよく通る声が通路に響いた。
 いつも嬉しそうな感情しか見せない澪にしては珍しく、その顔にはわずかに緊張の色がはりついている。
 アーヴは急いで駆け寄った。
 細長い通路全域を、青い燐光が覆い始めている。しかしそれは放置して、
「音が……聞こえなくなった」
「やっぱり」
 かばうように澪を背中へやり、全体重をかけて、扉のノブに力をかける。
 まるで人が入ることを拒んでいるかのような、錆びつき具合だ。
 ぎいいいいいいいい。
 世にも不快な音をたて、扉はようやく、薄く開いた。
 オレンジ色の光が、差し込んでくる。
 アーヴはごくり、つばを飲み込み、
「夕焼けみたい……」
 澪が、呟いた。
「行くの?」
「怖い?」
「ううん」
 そう言っておいて、背中越しに、澪が小さく笑うのが感じられた。
 きっと澪もアーヴと同様、こんな台詞、つい最近どこかで言ったなあ、と思い出したのだろう。
「じゃあ、行こう」
「まって」
 驚いて振り返る彼の頬に、澪の手が伸びる。
「ケガしてる」
「ちょっ、みおちゃん!」
「うごかないで」
 消毒液とガーゼをスカートのポケットから取り出し、澪は慣れた手つきで、頬のすり傷を消毒した。
 クマ柄の小さなバンソコウを貼りながら、かぼそい声で、
「……ごめんね」
「ど、どうしたの」
「ケガさせちゃった」
「いいよ、このぐらい」
 自分でも分かるぐらい、頬が熱くなる。
「……私も戦えばよかったのに」
「澪ちゃんは、自分の役割を果たしてくれたから!」
 あああ、どうしよう俺。
 アーヴは内心、激しく悶絶していた。
 俺……ちょっと今、ホンキでやばいかもしんない。
 急に声を荒げたアーヴを、澪は泣きそうな瞳で見上げている。
 ――正直―― 
 アーヴは魂の奥底にある、アーヴ的な<なにか>を、グッ、とむりやり押さえつけて、
 かわいいっ!
「みんなそれぞれ、役割があるんだ。澪ちゃんは澪ちゃんの役割を果たしてくれたし、僕は澪ちゃんを守る、っていう役割を果たした」
 必死に、平静を装う。
 じっとり額に汗がにじんでいるのは、気のせいだろうか?
「そんなことより」
 まだ気がかりなのに違いない、ずっと頬のバンソコウを見上げてくる、澪の視線にドキドキしながら、
「消毒液、いつも持ってるんだ?」
「うん」
 問われてようやく、澪はいつもの明るい笑顔を取り戻す。
「いつ、戦闘状態になるか分からないでしょ?」
「……えらいなぁ」
 狩り人の鏡だなあ。
 扉のすきまから、向こうの様子をうかがってみる。
 差し込むオレンジの光は、眼を痛めそうなほど強烈だ。よくは分からないが、しかし、とりあえずおかしな場所ではないような気がする。
 澪にめくばせで合図をし、アーヴは再び、重い扉に全体重をかけた。
 途中から澪が協力し、扉はようやく、人が通れるほどの隙間をつくる。
 冷たい空気が、急に二人を包み込んだ。

4-7 大きなペットはお好き?

「あとは――。<こっち>の世界だけで空間移動するにしても、瞬時に人間を移動させるには、分子論とかエネルギー保存則的にムリがあるし、量子力学的に変動する、空間の誤差も計算に入れなきゃならないから、はっきり言って空間移動は、「無理」だ、っていうことだな」
「……じゃあ……」
 彼の説明は、立て板に水だ。最後の部分を除いて、まったく内容が理解できなかった澪は、ちょっと困った表情をしたが、すぐに、気を取り直したように向き直り、
「どう、なってるの?」
「考えられることはただ一つだ」
 そう言うなり、アーヴは澪を、ふいに、自分の方へ引き寄せる。
 力強い動きだ。
 澪の肩とアーヴの胸が、くっつきそうなほど近くなり、
「ほっぺつねって」
「いーのー?」
「うんうん」
 不思議そうに瞳を上げる澪に、つんつん、自分の頬を指さしてみせる。
「つねってほしー」
「……うん」
「いたいっ、いたいいたいいたいいたい!」
「夢じゃ……ないねー」
「うんっうんっ!」
 涙目になりながら、彼はうなずき返す。
 やったぁ。痛いけど、つねってもらっちゃった、しあわせー。
 じんじん痛むほっぺたを、喜びに変えて、アーヴは颯爽と立ちあがり、
「だったら、もう一つの可能性だ!」
 体中の砂埃をはたくと、澪に向かって手を差し出した。
「……さ、帰ろう」
「うん」
 澪も穏やかに笑って、立ちあがる。
 二人の頭上では純白の太陽が、いつ果てるともなく業火を燃やし続けていた。
 
>
 
 アーヴの考えはこうだ。
 そもそもシュプロン公国のような、超弱小の最貧国に、先刻見かけた、あんな巨大で立派なホールを造る、経済力のあるはずがない。
 そしてあのホールには明らかに、魔法が関与していた。
 ということは、
「澪ちゃん、さがってて」
 言うなり、意識を研ぎ澄ます。
 弾みをつけて扉を開くのと、魂が消し飛ぶほどの威嚇に出くわすのとは同時だった。
 鉄のキバを持ち、鉄鎖を幾重にも首に巻き、針金の束のようなもので作られたそれらは、猛然とガラクタの山にかみついてくる。ヤマイヌのような鳴き声だが、背中から伸びる無数のチューブが暗闇の中で、ヘビのようにゆらゆらと鎌首をもたげている。
 とても生物だとは思えない。
 通路から駆け出してきたそれらは、ずっと扉の向こうで待っていたのだ。
「今こそっ、俺の正義の力をっ!!」
 間髪おかず、アーヴはムチのようにしなう利き足で、こちら側から山を蹴り飛ばした。
 ガラクタの山はすさまじい音をたて、威嚇する者たちを巻き込みながら、向こう側へ崩れていく。
「アーヴくん」
「分かってる!」
 ひょっとしなくてもこのガラクタの山は、大昔、誰かが防壁として築いたものに違いないのだ。しかし、この無限ループから逃げ出すためには、むしろこの山は突き崩さなければならない。
「俺の目にはすべての真実が見えているぜ!」
 調子に乗って、彼は足首に噛みつこうとする敵に、最後のとどめをさす。
 いまの瞬間に出したのが、右手の剣だった。
 すぐにも折れそうな薄刃の、変わったデザインをもつ剣だ――
 が、彼の敵は人間ではない、実体のあいまいな妖魔を斬るなら、これでいい。
「全ては、まやかしだ」
 このゴミ溜め通路に戻る前に、澪には自分の考えを伝えておいた。
「<古い知識の墓>――学校の地下に仕掛けたドロボウ避けが、この大げさな幻影なんだろう。入り口の大ホールには金がかかりすぎている。扉を使った瞬間移動なんて、現実的じゃない。だけど、ここは魔法と、魔物駆逐の技を結集させた<狩り人>の養成機関だ、そういうこともありえるのかもしれない――と、思わせる、思考上の罠だ。必死に抜け道を探し、あがけばあがくほど、本当の出口が分からなくなる!」
 おそらくあの大ホールにとどまっていても、出口は消えていたに違いない。
 アーヴは振り向きざま、裂帛の気合いで、鉄クズの敵を斬り払った。
 足元に気を取られている隙を狙い、背後から新手が迫りつつあったのだ。
 芯まで鉄クズでできているらしいそれらは、次々に斬り捨てられると、ガラクタの山に突っ伏し、そのままゴミの山に同化する。
「……よーするにこれは幻覚で」
 いまいましげに、舌打ちしながら、
「俺たちは最初からまったく、あの学校の地下を動いていない、っていうことだ!」
 ぞくっ、とする感覚が手首に伝わって、
「来やがった……」
 紅茶色の髪をはねあげ、アーヴはあきれたように溜息をついた。
 ゆらり。
 ガラクタに突っ込んだ片足を引き抜くと、通路の奥に向かって対峙する。
「俺たち異能の力は」
 斬り捨てたガラクタたちが、まだ足元で呻いていたが、もはやその程度のことは気にしない。
 正眼に構えた剣先を、斜めに引き起こし、腰を落とす。
 全ての意識を、暗闇の底に注ぎ込み――
「……世界のほころびから生まれたものだ。ほころびを修正するために存在していると言っていい。そして、ニセモノ(幻覚)なら」
 ――来い……っ!
「俺の正義の力に屈するはずだっ!!」
 意識がその巨大な影を認識した瞬間には、アーヴの剣は、その鋼鉄の胴体に深く、突き刺さっていた。
 刹那、背後の空間が激しく揺れて、
「澪ちゃん!」