5-10 あなたが気にくわないからよ
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すっかり目を回しているアーヴを、ひょいと肩に担ぎなおし、澪は窓枠に両足を乗せると、
「……」
そのまま地上を、見下ろした。
さすがに校舎の4階は高い。しかも雪が降っていて、なかなか寒そうだ。
が、壁にはデコボコ、わずかなでっぱりもあるし、
(ん。これなら飛び降りてもだいじょーぶだね)
そう判断して、前髪に手を当てる。
大事なゴーグルは、きちんとそこに乗っていた。だいじょうぶ。
ほっ……と澪は一安心して、窓から両手を離した。
「――おっと!」
気配に澪は即座に空中で身体を反転、片手で排水用のパイプに、つかまった。
危うく落ちそうになるアーヴの身体を、飛び降りた窓へ投げ上げて、
「逃がしやしないわよ、お嬢ちゃん!」
夜の闇に、銀色の枠が現れていた。
ちょっと指で触れただけで、切れてしまいそうな、鋭利な四角形。
その四角形の中に、少女は立っていたのだ。
大きな赤い唇が、不服そうに、歪んで、
「お姫さまの命が惜しくない、っていうなら、逃げてもらっても構わないけど」
「ティーナちゃん!」
澪は嬉しくて声を跳ね上げた。ティーナちゃんに会えたのなら、もう用事は済んだ。すぐにクロも返してもらえるのだろう――
「返すわけ、ないでしょ」
憎しみと嘲りのこもった瞳で、ゼルペンティーナは吐き捨てる。
「お姫さまと、その男の命が惜しかったら、私と戦いなさい」
「なんで」
澪には分からない。
「どうしてティーナちゃんと、戦わなくっちゃならないの?」
「どうしてかしら?」
雪まじりの風に舞う少女の金色の後れ毛に、緑色の輝きが増した。
「あなたが気にくわないから……じゃない……かしら!!」
目の前で白い光が炸裂した。
しかし、吹き飛ぶ排水用パイプの安否を確認するヒマなどなく。
近くの窓枠に、ぎりぎり着地――しかけたが、
「!」
その右手に銀色の枠が現れ、逃げようとする澪を挟み撃つ。
「逃げてるだけじゃ、解決しなくてよ!」
雪の夜空にコートをはためかせ、ゼルペンティーナは甲高い声で叫ぶ。
彼女の周囲には、銀色に光る、四角形の枠が、合わせ鏡のように幾枚も展開していた。
まるで女王を讃えるかのように、輪舞曲(ロンド)を舞う。
鋭いあごを上げ、傲慢な美しさをもった少女は緑がかった瞳で、澪を見下ろし、
「せっかくだから。最後にいいこと教えといてあげる」
抑揚のない声で囁く。
「その鏡は禁断の「向こう側」へとつながっているわ。まあようするに。あんたがこれからすぐに行く世界のことね……。私は、「向こう側」へ続く、カギをにぎっている。取り込んだ力を異世界で増幅・膨張させ、噴出し、それを取り込み増幅させ、また噴出させる――無限の力。この世界を破壊することすら可能な力。それを司っているのが私」
話しながらも、攻撃の手はいっさいゆるめず、
「――ステキじゃない?」
ぞくっ、とする予感。澪は瞬時に、その窓枠に降り立つのを中止。
無理やり壁のでっぱりに爪をかけ、上半身のバネを使って跳ね上がる。
「うわ」
あまり驚かない澪もさすがに声を発した。
ほぼ同時に、3階の窓枠から水平に、校舎に添って、夜空を焦がすような炎が噴き上がったのだ。まるで夜空に敷かれた銀の絨毯のように、それは校門近くの空まで続いていく。
これでは3階以下に飛び降りるなんて、とてもできない。
「……ティーナちゃん、どうして」
反動で短いひさしを蹴り、破れた窓にたんっ、と跳ね戻る。
危うい態勢で振り返り、
「私、ティーナちゃんと、お友達になりたいのに」
「私はノマド」
質問はスルーし――
銀の炎の照り返しを受けながら、銀の枠の中で、ゼルペンティーナはまっすぐにこちらを見つめている。
その瞳は妖しく、美しい。
「空間を分割せず、固定した中心を成り立たせず、また階層性をしりぞけることによって、国家的秩序をしりぞける存在――」
ひどく透き通った低音が、夜空に響く。
「そして空間の<裂け目>の修繕者。放浪の民」
それはとても神秘的な声だった。
「――この世界の裂け目を、「傷口」とするなら」
たっぷりと余裕を含んだ表情で、歌うようにあごの先端を上げる。
「あなたたち狩り人は「抗体」。そして私たちは「血小板」……っていったところかしら。でも正直……今のやり方には飽き飽きしてるのよね……」
気だるく首をすくめるが、至近距離からの連射は止まらない。
逃げても、その裏をかくような動きで、鏡は挟み撃ちしようとする。
轟音と白光に直撃を受けた窓枠が、渡り廊下の奥にまで吹き飛んで、
「ふー……わわわあ……」
「アーヴくん?」
澪は窓越しに、渡り廊下を振り返った。
廊下の上に倒れていたアーヴが、衝撃で、ようやく意識を取り戻したのだ。
5-9 あなたが気にくわないからよ
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主の消えた研究室で、小鬼たちがかいがいしく、クロの世話をしてくれている。
いや。
しようと――してくれている。
フライ返しやジャム瓶の蓋を背負った小鬼たちは、ある者は2匹で、頭の上に熱々のティーポットを捧げ持ち、ある者はビスケットの缶を、ある者は不思議な色の小石を、延々、クロの前に並べていってくれている。
しかし――
クロはただ、モニターを見つめていた。
唇を閉ざし、まばたきを忘れた人形のように、静かに座っていた。
――考えていたのだ。
ティーナは言った。
信じることが大切なのだと。
王子が王女を、悪の手から救い出してくれる――
その瞬間を、最後まで諦めずに信じ抜くのが、お姫さまの正しい務めなのだと。
そうやって、『特別な存在』に育っていくのが、お姫さまなのだと。
(……アーヴくん……)
大切なその名を、心の奥深く呟く。
――私、どうしたらいいの?
(どうしたら、あなたに……)
ぼやけたモニターに、少女はじっと視線をこらした。
5-8 あなたが気にくわないからよ
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一方、研究熱心なゼルペンティーナは、この上なく、絶好調だった。
(ふっふっふっふっふっ。まだまだねー!)
彼女が展開させた、渡り廊下を封鎖する「鏡」は、当然、通常の物質ではない。
かといって世界が、自身を守る「抗体」として生みだした「異能」とも微妙に違う。
ゼルペンティーナの力の基礎は、古代から盛んに研究され、大系づけられた「魔導力学」だ。
魔導力学は、この世界の産物である「物理法則」と「異能」の接点を見つけ、この世界の裂け目、「空間のほころび」を理論として見極め――場合によっては、漠然とした、感覚的な方法でしか継承されない「異能」を学問として昇華。分析、数式化し、統計立てようとする学問である。
これを「工学」に仕上げたのは、17世紀の自然科学ブームと18世紀以降の産業革命だった。一時、アラビアや南アジアへ本拠を移していた「魔導力学」は、世界へ広がる植民地政策と帝国主義の号令の下、武器弾薬・新兵器を開発しながら、大きく進化した。
そして現代。魔導工学を継承し続ける一派は、今もなお、「表」の存在である自然科学の進歩に貢献し、絡み続けている。
彼らは言う。この世界の「真の姿」を理解するためには、自然が存在するためのもう一つの<裏の科学>、「魔導力学」を知る必要があるのだ――と。
そして、今。
今世紀最大の――とすら呼ばれた、南の要・ゼルペンティーナは、制服の赤いスカートをひるがえし、細い腰にぐいっ、と片手を押し当てると、
(おもしろい――っ!)
モニターの中で、澪は駆ける。
そして、画面を埋め尽くす、光、光、光。
地獄の亡者たちの叫び声が、いっそう光の奔流を激化させる。
この世界には存在しえない、異常なエネルギーを圧縮した光の帯が、暴走するかのように鏡面から噴き出す。
上下左右、関係なく。
自身、高速で移動することができる6枚の鏡の攻撃は、まるでクモの巣――
いや、稲妻の巣のようなありさまだ。
一瞬でもかすれば最後――
だが、目で追っていては間に合わない鏡面の攻撃を、澪は避ける。
まるで、その動きを予知していたかのような適確さだ。
しかも、
(あの光の洪水の中……腕一本で男子生徒を振り回し、逃げ続けられる筋力……)
ティーナはうっすら目を細めた。
火事場の馬鹿力というが、そんな偶然の産物ではない。
あの小柄な身体の、いったいどこに、それだけの筋力が埋まっているのか……
(――調べてみたい――!)
うずうずしてしまう。
うずうずしすぎて、立ちくらみしそうだ。
類推とか仮説、とかではなく、確証を!!
もっともっと! 全てを、望み通りに展開させたい!
心がうち震え、爆発しそうなティーナの耳に、
「お願いっ!」
半狂乱のクロの叫びが、かすかに届く。
「どうか、アーヴくんを……っ!」
そのかすかな声、かすかな単語で、ふっとアイデアがひらめいて、
(――よしっ! アーヴを殺すか!!)
緑がかった眼光に力を込め、さくっと、ひどい決断をくだすと、かえす動きで、
「全ゲート開放!」
長いコートを打ち払い、最後となるであろう、命令を下す。
白い光をほとばしり続けるモニターをまっすぐに見据えると、
「フラーレン展開!! 全力一斉放射っ!」
広い額の汗をこぶしで拭い、思いきり息を吸って――
「撃てっ!!」
――と――
最後まで言い切る前に、
「ちょっ……! なにやってくれてるのよっ!」
全力で皆殺ししようとしている、こっちの声が届いたのか、澪が渡り廊下の窓ガラスを叩き割ったのだ。
その瞬間にはアーヴを担いで、窓を乗り越えようとしている。
「身軽な上に、力持ちね! あの子っ!」
慌てて左の空間へ、片手を突き出す。
それだけの動作で、何もなかったはずの空間に、銀の枠が現れた。
その中は、見るだけで怖気だつ、灰色の渦。
燐光を弾けさせながら、混沌の世界へ誘うかのように、巨大な渦が逆巻いている。
そこへ向かってためらいもなく、飛び込みながら、
「委員長、ゆっくりしててね!」
一瞬だけ後ろを振り返り、ゼルペンティーナは姿を消した。