3 イリア・レーン&パスティ・レーン
天井を、渦状にうねりながら、カトリーヌは言った。
「あなたはさっき、言ったわね。『イリア・レーンをパストラルで捜し出し、パストラルごと、滅ぼすのだ――』と。それを帝国民に告げるのが、『神』から授けられた、あなたの仕事だった。……けれど。神は、パストラルでイリアを捜しているのではない。イリアがあなたの中にあることなど、千も承知。パストラルで「真に」捜そうとしているのは、あなたの中の、イリアを封じる『鍵』だ」
「私の中の……『悪魔』を、封じる鍵……?」
「第二の悪魔・イリアは、パスティ様にとっても、脅威なのだ!」
身の毛もよだつ冷気に、女帝は、ローブの前を合わせ、身を縮めた。
カトリーヌは、獣のような咆哮を上げながら、牢獄の中を縦横無尽に飛び回る。
「私の中の、『イリア』を……封じることができる……?」
「鍵だ! 鍵を見つけろ!」
女帝マーガレットは、震える両手で、頭を押さえた。
風が、吹きすさぶ。
姉の異様な悲鳴が、鼓膜を貫く。だが、それよりも、
(私の中の「悪魔」を、押さえることができるかもしれない……?)
――そのための鍵――
そのことが、彼女を動けなくしていた。
「お前の神は、お前の味方だ。そうだろ?」
亡霊の声に、いつか変化が現われていることを、マーガレットは不審とも思わず、間をおいてうなずいた。
「お前をいつも思い、いつも心配している。だからこそ……その『鍵』を手に入れようと……いや正確には、破壊しようとしている。破壊すれば、もうお前の中から悪魔イリアが出て来ることはない」
「出て来ることは……」
「お前は、今の地位で居続けられる。女帝として、普通の人間として――『悪魔』と呼ばれたくはないだろ!」
マーガレットは、何かに取り憑かれた瞬間のように、両肩を震わせた。
カトリーヌは……
いや、すでに正体を現わした、魔物――
カトリーヌの亡霊のふりをしていた、小山ほどの大きさのある山犬は……意識を失ったマーガレットを、口に銜(くわ)えた。
吹きすさぶ風が、頭上で、赤紫の渦を巻く。
渦の割れ目から見え隠れするのは間違いなく、闇への世界、魔界への入り口であろう。
「女帝ハ、『鍵』ヲ、見付ケルコトヲ、誓ッタカ?」
肝が潰れるほど重く凍りついた声に――山犬の、魔獣は――三本の尾を巻いた。
「見つけに行くことでしょう、悲しみの大王様。間違いなく」
鼻先から伸びる無数の髭に、緑の鱗粉が巻き上がった。
魔獣は、前足を揃え、胸の冬毛を反らす。
「この愚かな人間の女は、自分の体内に『イリア』が眠っていると、信じ込んでおります。その「イリアを復活させる」……とやらの鍵、必ず見付け、破壊しようとするでしょう」
「ソレデ良イ……。ソウシテ、コノ女ニハ、「鍵」デハナク、「イリア」ヲ捜スヨウニ仕向ケ、滅ボサセルノダ。体内ニ、「イリア」ナド居ラヌコト、決シテ悟ラレルナ。コノ女ノ、『悲シミ』ガ深ケレバ深イホド、ワシノ「力」モ及ビヤスクナル……」
渦の動きが鈍くなり、その中心が、微妙に黒く濁ってくる。
「コノ女ハ、ワシノ『力』ヲ経由サセルノニ利用デキル。コノ人間ヲ、波及ノ源点トシ、我ガ「力」、実在ノ世ヘ広ガリ出ス……」
魔獣は首を上げ、女帝を、放り出すようにして己の背に乗せた。
「大王様、一日も早くの御復活を。我らのために!」
「慌テルデナイ、四聖獣ヨ。モウスグ、コノ世ハ、ワシノ物ニナル……」
悲しみの大王、パスティ・レーンは、くぐもった笑い声をたてた。
「『イリア』ヲ、捜セ」
四聖獣は、尾っぽを立てる。
緑の風が帯になり、パスティ・レーンの渦に届く高さまで、霊気の帯を、激しく波打たせた。
「滅ボセ。……アレハ、ワシノ復活ノ邪魔ニナル……逃ゲタ「イリア」ヲ、眠ラセテイル可能性ノ有ル物ハ、全テ、滅ボセ」
魔獣は、小さく声を立てると、身を返し、粒子を巻き上げて壁の向こうへ飛び去った。
「……イリア……アレハ、ワシノ存在ヲ、オビヤカス……」
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「あなたはさっき、言ったわね。『イリア・レーンをパストラルで捜し出し、パストラルごと、滅ぼすのだ――』と。それを帝国民に告げるのが、『神』から授けられた、あなたの仕事だった。……けれど。神は、パストラルでイリアを捜しているのではない。イリアがあなたの中にあることなど、千も承知。パストラルで「真に」捜そうとしているのは、あなたの中の、イリアを封じる『鍵』だ」
「私の中の……『悪魔』を、封じる鍵……?」
「第二の悪魔・イリアは、パスティ様にとっても、脅威なのだ!」
身の毛もよだつ冷気に、女帝は、ローブの前を合わせ、身を縮めた。
カトリーヌは、獣のような咆哮を上げながら、牢獄の中を縦横無尽に飛び回る。
「私の中の、『イリア』を……封じることができる……?」
「鍵だ! 鍵を見つけろ!」
女帝マーガレットは、震える両手で、頭を押さえた。
風が、吹きすさぶ。
姉の異様な悲鳴が、鼓膜を貫く。だが、それよりも、
(私の中の「悪魔」を、押さえることができるかもしれない……?)
――そのための鍵――
そのことが、彼女を動けなくしていた。
「お前の神は、お前の味方だ。そうだろ?」
亡霊の声に、いつか変化が現われていることを、マーガレットは不審とも思わず、間をおいてうなずいた。
「お前をいつも思い、いつも心配している。だからこそ……その『鍵』を手に入れようと……いや正確には、破壊しようとしている。破壊すれば、もうお前の中から悪魔イリアが出て来ることはない」
「出て来ることは……」
「お前は、今の地位で居続けられる。女帝として、普通の人間として――『悪魔』と呼ばれたくはないだろ!」
マーガレットは、何かに取り憑かれた瞬間のように、両肩を震わせた。
カトリーヌは……
いや、すでに正体を現わした、魔物――
カトリーヌの亡霊のふりをしていた、小山ほどの大きさのある山犬は……意識を失ったマーガレットを、口に銜(くわ)えた。
吹きすさぶ風が、頭上で、赤紫の渦を巻く。
渦の割れ目から見え隠れするのは間違いなく、闇への世界、魔界への入り口であろう。
「女帝ハ、『鍵』ヲ、見付ケルコトヲ、誓ッタカ?」
肝が潰れるほど重く凍りついた声に――山犬の、魔獣は――三本の尾を巻いた。
「見つけに行くことでしょう、悲しみの大王様。間違いなく」
鼻先から伸びる無数の髭に、緑の鱗粉が巻き上がった。
魔獣は、前足を揃え、胸の冬毛を反らす。
「この愚かな人間の女は、自分の体内に『イリア』が眠っていると、信じ込んでおります。その「イリアを復活させる」……とやらの鍵、必ず見付け、破壊しようとするでしょう」
「ソレデ良イ……。ソウシテ、コノ女ニハ、「鍵」デハナク、「イリア」ヲ捜スヨウニ仕向ケ、滅ボサセルノダ。体内ニ、「イリア」ナド居ラヌコト、決シテ悟ラレルナ。コノ女ノ、『悲シミ』ガ深ケレバ深イホド、ワシノ「力」モ及ビヤスクナル……」
渦の動きが鈍くなり、その中心が、微妙に黒く濁ってくる。
「コノ女ハ、ワシノ『力』ヲ経由サセルノニ利用デキル。コノ人間ヲ、波及ノ源点トシ、我ガ「力」、実在ノ世ヘ広ガリ出ス……」
魔獣は首を上げ、女帝を、放り出すようにして己の背に乗せた。
「大王様、一日も早くの御復活を。我らのために!」
「慌テルデナイ、四聖獣ヨ。モウスグ、コノ世ハ、ワシノ物ニナル……」
悲しみの大王、パスティ・レーンは、くぐもった笑い声をたてた。
「『イリア』ヲ、捜セ」
四聖獣は、尾っぽを立てる。
緑の風が帯になり、パスティ・レーンの渦に届く高さまで、霊気の帯を、激しく波打たせた。
「滅ボセ。……アレハ、ワシノ復活ノ邪魔ニナル……逃ゲタ「イリア」ヲ、眠ラセテイル可能性ノ有ル物ハ、全テ、滅ボセ」
魔獣は、小さく声を立てると、身を返し、粒子を巻き上げて壁の向こうへ飛び去った。
「……イリア……アレハ、ワシノ存在ヲ、オビヤカス……」
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2 イリア・レーン&パスティ・レーン
あなたはいつだって、卑怯だったものね。
暗く冷たい、まなざしを向けた。
「そう。一つ目の神、全能の神『パスティ・レーン』はすでに目醒め、言い伝え通り、このイリニアの守護神となっているけれど……私の大切な……イリニア帝国の臣民は、今や二つ目の神・邪神『イリア・レーン』を捜し出そうとしている……。あなたは何と言ったかしら? 『イリア・レーン』はパストラルにあると、おっしゃらなかったかしら? パストラルが隠している、と。イリア・レーンを、パストラルごと滅ぼしてしまえばいい、と」
「それは、神が仰せられたのです! 全能の守護神、偉大なるパスティ・レーンが! 「イリアはパストラルにある」と。そう、国民に伝えろと!」
「あなたは何のためらいもなく、国民に、そう伝えたわね……。それは何? 自分が体内に、「イリアを飼っている」のが知られると、自分が殺されると思ったから? 神に嘘をつけと言われて、あなたは内心、喜んだのではないの? イリア・レーンが、本当は、あなたの中にあるのに。あなたは、自分が死にたくないものだから、嘘をついた。国民までも騙した。国民は今、命を賭けて、パストラル軍と戦っているわ。あなたの中に『イリア』がいることも知らず、イリアを倒す長い旅に出ている。……十数年前もそうだったわよね、マーガレット。そうやってあなたは、また、自分一人、生き残るつもり……」
ごめんなさい、と泣き繰り返す妹姫を、憎悪の目で睨みつけた。
「許されるはずがない。悪魔イリアはなんとしてでも、この世から消し去らなければならない。『聖十六夜』の伝説を知っているでしょう? 『二つの悪魔が世に現われし時、この大帝国イリニアは滅びる』」
「違うわ……違うわ……っ!」
「何が違うの。二つ目の悪魔、イリア・レーンは、十数年前に地上から消えているはずだった。それを……」
「ごめんなさいっ、カトリーヌ姉さま!」
鉄格子が透けて見える体に、力の限り叫んだ。
姉姫は、冷たい視線で、双子の妹・マーガレットのよく似た背中を眺めた。
(忘れられない――)
『双子の姉妹。下の姫には悪魔が宿り、一族を食い破り、国を滅ぼす』。
(帝国に伝わる古い予言を――)
十数年前、その予言に気付いた前帝王は、恐怖に駆られ、下の娘、妹姫・マーガレットの処刑を決行した。
その際、マーガレットは姉の名・カトリーヌを名乗り、姉自身は妹となって入れ替わり、この世から抹殺されたのである。
悪魔、イリア・レーンを体内に宿したマーガレットは、どうしても死ぬことができずに、短剣を握り締めて泣いている。
カトリーヌは、眉をひそめると、頭上から冷たい風を浴びせかけ、
「悪いと思っているなら、早く幕を閉じなさい。今、命を絶てば、『イリア』はあなたの中で死ぬ。二つの魔神が現われない限り、イリニアが滅びることもない。兵も、パストラルへ送る必要がなくなる! さあ早く!」
大量の風が、地下の牢獄を吹き抜けた。
亡霊は、スカートを舞い上がらせ、風の唸りに目を見開き、耳を澄ます。
と、突如、鉄格子から天井へ跳ね上がり、
「パスティ・レーンが来る!」
「神がここに……?」
マーガレットは、ひれ伏した。
「神はあなたに、黙っていたことがある」
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暗く冷たい、まなざしを向けた。
「そう。一つ目の神、全能の神『パスティ・レーン』はすでに目醒め、言い伝え通り、このイリニアの守護神となっているけれど……私の大切な……イリニア帝国の臣民は、今や二つ目の神・邪神『イリア・レーン』を捜し出そうとしている……。あなたは何と言ったかしら? 『イリア・レーン』はパストラルにあると、おっしゃらなかったかしら? パストラルが隠している、と。イリア・レーンを、パストラルごと滅ぼしてしまえばいい、と」
「それは、神が仰せられたのです! 全能の守護神、偉大なるパスティ・レーンが! 「イリアはパストラルにある」と。そう、国民に伝えろと!」
「あなたは何のためらいもなく、国民に、そう伝えたわね……。それは何? 自分が体内に、「イリアを飼っている」のが知られると、自分が殺されると思ったから? 神に嘘をつけと言われて、あなたは内心、喜んだのではないの? イリア・レーンが、本当は、あなたの中にあるのに。あなたは、自分が死にたくないものだから、嘘をついた。国民までも騙した。国民は今、命を賭けて、パストラル軍と戦っているわ。あなたの中に『イリア』がいることも知らず、イリアを倒す長い旅に出ている。……十数年前もそうだったわよね、マーガレット。そうやってあなたは、また、自分一人、生き残るつもり……」
ごめんなさい、と泣き繰り返す妹姫を、憎悪の目で睨みつけた。
「許されるはずがない。悪魔イリアはなんとしてでも、この世から消し去らなければならない。『聖十六夜』の伝説を知っているでしょう? 『二つの悪魔が世に現われし時、この大帝国イリニアは滅びる』」
「違うわ……違うわ……っ!」
「何が違うの。二つ目の悪魔、イリア・レーンは、十数年前に地上から消えているはずだった。それを……」
「ごめんなさいっ、カトリーヌ姉さま!」
鉄格子が透けて見える体に、力の限り叫んだ。
姉姫は、冷たい視線で、双子の妹・マーガレットのよく似た背中を眺めた。
(忘れられない――)
『双子の姉妹。下の姫には悪魔が宿り、一族を食い破り、国を滅ぼす』。
(帝国に伝わる古い予言を――)
十数年前、その予言に気付いた前帝王は、恐怖に駆られ、下の娘、妹姫・マーガレットの処刑を決行した。
その際、マーガレットは姉の名・カトリーヌを名乗り、姉自身は妹となって入れ替わり、この世から抹殺されたのである。
悪魔、イリア・レーンを体内に宿したマーガレットは、どうしても死ぬことができずに、短剣を握り締めて泣いている。
カトリーヌは、眉をひそめると、頭上から冷たい風を浴びせかけ、
「悪いと思っているなら、早く幕を閉じなさい。今、命を絶てば、『イリア』はあなたの中で死ぬ。二つの魔神が現われない限り、イリニアが滅びることもない。兵も、パストラルへ送る必要がなくなる! さあ早く!」
大量の風が、地下の牢獄を吹き抜けた。
亡霊は、スカートを舞い上がらせ、風の唸りに目を見開き、耳を澄ます。
と、突如、鉄格子から天井へ跳ね上がり、
「パスティ・レーンが来る!」
「神がここに……?」
マーガレットは、ひれ伏した。
「神はあなたに、黙っていたことがある」
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1 イリア・レーン&パスティ・レーン
二章 イリア・レーン&パスティ・レーン
「姉さま……」
牢獄の中で、女は小刀を左手首に、押し当てた。
今日も彼女の帝国は、蜃気楼のように穏やかで美しい。
女帝の指は震えている。
そんな女帝を無表情に、見下ろす、もう一人の女がいる。
「どうしたの。悪いと思っているのなら、早く切ってみせてよ。私は、あなたのせいで死んだの、もっと生きていたかったのに。あなたが泣くから。殺されるのは、あなたの役目だったのに」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
女帝カトリーヌは、なんとか切っ先を、自分の手首に突き立てようとするが、うまくはいかない。
姉は、それを手助けするでもなく、ずぶ濡れになったワンピースの腕を左右に垂らし、生気のない茶色の瞳で、妹を見ている。
「駄目よ、そんな手つきでは。しっかり突き立てないと……」
イリニア帝王・カトリーヌは泣きながら、言われた通りにやってみようとする。
「なぜかしら。なぜ死ねないのかしら。死ぬ気がないからではないの。悪いとは思っていないからではないの」
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
帝王である証のローブは、床に広がる臭い液汁で、すでに重く、泥まみれになってしまっている。
茶色の髪のカールはほつれ、王冠が耳の上までずり落ちている。
涙を拭う度、顔に、油の混じった泥が広がる。
(カトリーヌ姉さまを殺したのはこの私……)
十数年来の罪意識と、悔恨が招いたのだろうか。
半年前、今度こそ死のうと牢獄へ降りてきた時、女帝……本名マーガレットは、自分にうりふたつの、双子の姉の亡霊を天井に見た。
(死んだはずの姉さま……やはり、私が生き残ったことを、憎んでいらっしゃったのだわ……)
それ以来、姉の亡霊は執拗に、毎夜、妹姫を責め続けている。
「ゆるして……姉さま……」
「何度謝られても、私の返事は同じ。悪いと思っているなら、さっさとその刀でけじめをつけるか、帝国民に本当の事を言っておしまいなさい」
小刀を取り落とした彼女に、なんの感情もなく言った。
「聖十六夜の『悪魔イリア』が、あなたの中にいるのだということを」
「そんなっ、そんなこと……っ!」
足にすがりついてきた妹姫を、ためらわずショールではじき退け、
「言える訳がないわよね。あなたはいつだって、卑怯だったもの。……国民に真実を話せば、あなたは信用を無くすでしょう。そして王冠を剥ぎ取られ、帝位を追われ、城下でさらし者になった後、間違いなく処刑台送りになる」
>INDEX
「姉さま……」
牢獄の中で、女は小刀を左手首に、押し当てた。
今日も彼女の帝国は、蜃気楼のように穏やかで美しい。
女帝の指は震えている。
そんな女帝を無表情に、見下ろす、もう一人の女がいる。
「どうしたの。悪いと思っているのなら、早く切ってみせてよ。私は、あなたのせいで死んだの、もっと生きていたかったのに。あなたが泣くから。殺されるのは、あなたの役目だったのに」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
女帝カトリーヌは、なんとか切っ先を、自分の手首に突き立てようとするが、うまくはいかない。
姉は、それを手助けするでもなく、ずぶ濡れになったワンピースの腕を左右に垂らし、生気のない茶色の瞳で、妹を見ている。
「駄目よ、そんな手つきでは。しっかり突き立てないと……」
イリニア帝王・カトリーヌは泣きながら、言われた通りにやってみようとする。
「なぜかしら。なぜ死ねないのかしら。死ぬ気がないからではないの。悪いとは思っていないからではないの」
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
帝王である証のローブは、床に広がる臭い液汁で、すでに重く、泥まみれになってしまっている。
茶色の髪のカールはほつれ、王冠が耳の上までずり落ちている。
涙を拭う度、顔に、油の混じった泥が広がる。
(カトリーヌ姉さまを殺したのはこの私……)
十数年来の罪意識と、悔恨が招いたのだろうか。
半年前、今度こそ死のうと牢獄へ降りてきた時、女帝……本名マーガレットは、自分にうりふたつの、双子の姉の亡霊を天井に見た。
(死んだはずの姉さま……やはり、私が生き残ったことを、憎んでいらっしゃったのだわ……)
それ以来、姉の亡霊は執拗に、毎夜、妹姫を責め続けている。
「ゆるして……姉さま……」
「何度謝られても、私の返事は同じ。悪いと思っているなら、さっさとその刀でけじめをつけるか、帝国民に本当の事を言っておしまいなさい」
小刀を取り落とした彼女に、なんの感情もなく言った。
「聖十六夜の『悪魔イリア』が、あなたの中にいるのだということを」
「そんなっ、そんなこと……っ!」
足にすがりついてきた妹姫を、ためらわずショールではじき退け、
「言える訳がないわよね。あなたはいつだって、卑怯だったもの。……国民に真実を話せば、あなたは信用を無くすでしょう。そして王冠を剥ぎ取られ、帝位を追われ、城下でさらし者になった後、間違いなく処刑台送りになる」
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