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昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

6月。

ちょっと気になったので調べてみたら、アメブロ書き始めて

昨日23日でちょうど15年だった。

 

はあ、そうか。

もうそんな経つか。

書き始めたときにオギャーと生まれた赤ん坊が、もう高校1年生に

なるのかと思うと感慨深い。

我ながら良く持続していると感心する。

 

20代のころからいろんな作家のエッセイなどを読んでいて、

自分もいつかエッセイみたいなものを書きたいと思っていたら、

友人からアメブロを勧められた。

 

やり始めてから面白いなあと思った。

文章のプロでもなんでもない自分のコラムというかエッセイを日本中のいろんな

ところにいる人が読んだりしてくれるのかと。

(スペインからもコメントいただいた。ネルハさん、お元気ですか?)

ある意味で、自分でエッセイみたいなものを世の中に発信したいという小さな夢は

叶った。

 

考えてみれば栃木の山屋の秘湯、北温泉とかもいって記事書いた。

でもそれって、行ったときはまだアメブロ初めてなかったから、手元にあった写真とかを

使ってあとにアメブロを始めてから書いた。

ということは北温泉いったのはもう15年以上前になるのだな。

ああ、懐かしい。また行きたい。

 

もっと前からアメブロはじめていたら、ラーメン屋とかもこれ以上に紹介できて

いただろう。でも、まあブログを始めるにはいいタイミングだったと思う。

 

椎名誠、原田宗典、大槻ケンヂなどなど。

このへんのエッセイには影響受けたかな。

まあ、ぱっと出てこないけど影響受けたエッセイストや作家はまだまだたくさん

いる。

エッセイっていうのはその人のプライベートや人柄が垣間見れるから面白い。

 

もっと温泉いきたい。

もっと酒場行きたい。

もっとラーメン屋行きたい。

もっと無料穴場スポット行きたい。

 

そして記事にできたらいいなと思うが年々難しくなってきている。

 

 

まあ、とりあえず15年続けてこれたのは、コメント頂いたり読んで頂いたりしている

みなさんに見守られてのおかげです。

みなさんから頂いたコメントはオレの生きる糧になっています。

どうもありがとうございます。

あまり更新できずすいません。

 

本日はお礼まで。

 

酒は好きだ。

だけどツウな人からはあまり共感えられないだろうことを踏まえていうと

正直「立ち呑み」と「昼呑み」はあまり得意ではない。

 

立ち呑みがダメな理由は以前にも書いた。

酒は座ってじっくり呑みたい。あまり安くならないとしても。

 

昼呑みは昼間呑むと夕方くらいに頭がもうボーッとしてくるのだ。

もちろん、今までアメ横とかで昼呑みしたことはある。

でもやはり酒は夕方か夜から吞むのが好きだ。

 

あと、昼に一杯やってしまうと、夜に一杯やるときの酒の味の楽しみが

半減する。

毎日毎日が生きるだけで拷問みたいなもんだから、朝起きて一日ガマンして

ガマンしてガマンして溜めて、夜になって発泡酒の缶をプシュっとあけて

プハーとやるのが気持ちいいタイプなのである。

 

昼呑んだら、もう夜は呑まなくてもいいじゃん、という声も聞こえて

きそうだが、オレは昼に吞もうが呑まなかろうが、夜は夜で必ず一杯やらないと

いけない人間なので、やはり酒の味の新鮮味を味わうためにも、ためてためて

夜にグビグビとやるのが好きなのである。

 

でもタモリも言っていたけれど、ツウの酒呑みは昼に呑むらしい。

オレはまだまだ酒呑みとしての修業が足りないのかもしれない。

 

そうそう、ちょっと前にオードリー春日のせんべろ番組記事でもちらっと書いたけど

BSである酒番組をやっている。

 

『カンニング竹山の昼酒は人生の味。』

BS-TBS毎週月曜日23時~23時半

TVerでも配信。

 

カンニング竹山が昼間に飲み屋街を歩き、道行く人に声をかけて一緒に

酒を呑みながらいろいろ話を聞く番組である。

スタッフロールを見ると企画は竹山本人らしい。

 

オードリー春日の記事でちょっとふれたときは、この番組はあまり得意じゃない

と書いた。

登場して竹山と一緒に酒を呑む素人の人の話を聞いていると、生活が充実している

人ばかりで、自分の憂鬱な人生と比べてしまい、嫌になるからだと書いた。

あと、この放送時間は裏の地上波で「激レアさんを連れてきた」をやっているので

そっちを観ている場合があるのが理由。

 

でも、激レアさんがあまり面白くないときというか、興味ないときがあって

そのため、最近はこの「カンニング竹山の昼酒は人生の味。」を観ていることがある。

ちょうどクレイジージャーニーが終わったあと。昨日もいくらか観ていた。

 

テレビ出演オーケーのいろんな一般人の人が登場する。

やはり、同じ職場の仲間数人同士とかいうパターンは観てて辛い部分がある。

人間関係の良さそうだし、仕事も順調そうな人ばかりで、楽しそうに美味そうに

酒を呑んでいるシーンがやや心に痛い。

 

それだったらカップルとかのほうがまだ面白い。

どこぞの知らない男女が接吻しようが性交渉していようが別に嫉妬とかはないので

かまえないで観ていられる。

 

だいたい竹山がなれそめというか、付き合ったきっかけを訊くパターンが多い。

どのカップルもごく自然に抵抗なく話すものなんだな。

 

でもこれは批判とかじゃなくて純粋に思うんだけど、テレビ番組とかに一緒に

でてノロけるカップルって、いつか別れたときのこととか考えないのだろうか。

デジタルタトゥーみたいなもので、別れてもそのときの映像が記録として残って

しまうわけじゃん。

わかれたあと時間経ってから、総集編とかで一緒にいる映像とかを流されたら

たまらんのじゃないだろうか。

テレビ業界のことはわからんけど、撮影するときに書いてもらう契約書類みたいな

ものに連絡先とか書いてあって、総集編とか流すときに当事者に確認の連絡とか

入れているのかな。

日本では3組に1組の夫婦が離婚しているという。

それを考えると、カメラの前でいちゃいちゃしている「新婚さんいらっしゃい」に

出演している夫婦も3組に1組は離婚していることになる。えげつない確率。

 

竹山はテレビに出始めたことはあまり好きじゃなかったけど、今は好きだ。

竹山と一回呑んでみたい。

みなさんは飲み会やコンパなどで芸能人と呑んだことあるだろうか。

オレはない。

そういえば昔、大学時代の友人が芸人さんと一緒に飲み会しているといって芸人さんの

写メを送ってきたことがあった。誰かはいわないけど、かろうじてオレが聞いたことある

コンビの片方だった。ギャラ呑みで参加していたのか純粋に参加していたのは不明。

 

昼酒は人生の味っていわれると深い。

人間の心理的なもので夜だと語れないけど、昼呑みながらだと語れることとかって

あるのだろうか。

 

オレもいろいろなことをいろいろな人と語りたいんだけど、テーマが重かったり暗かったり

すると、みんな逃げてってしまうのだ。

 

たとえば「死」について。

ドラマとかでもよくあるけど、死のうとする人はみな何故か「北」のほうへゆく。

「南」にゆく人はいない。

なぜか?

これには理由があるらしい。

人間には潜在的に、「死ぬなら美しく死にたい」という願望があるとのこと。

南のほうは暑い。

だから死んだらすぐ死体が腐ってしまう。

それに比べて雪が降る北国はとても寒いので、死んだあとしばらく発見されなかった

としても死体が簡単に腐らない。綺麗なままなのだ。

だから死に場所を求める人はみんな北へゆくようだ。

なんか納得いく。

たしかに、どんなに素敵で好きな場所であったとしても、ハワイに自●しにゆく人間と

いうのを聞いたことがない。

 

まあ、こんな雑学を酒呑みながら語りあいたいのだけど、みな嫌がるのだな、これが笑。

 

「カンニング竹山の昼酒は人生の味。」もたしかにいろんな人が登場するんだけど、

明るい人ばかり。

もうちょっとヘビーな人生を送っている人がでてきても面白いかなと思う。

 

ああ、酒呑みながら面倒くさい話とかしたい。そんな同志が欲しい。

 

さて、今週末は1カ月半ぶりの友人たちと呑みにゆく予定だ。

ちょっと一回チェーン店を離れてガード下っぽい店で呑みたいと考えている。

どこで呑もうか。

 

 

拝啓 アンミカ様。白が200色あるならば、ネガティブな人にも200種類あるのですよ。

話を聞いているだけで気が沈むどうしようもないネガティブな人もいれば、

芸人ヒロシのように話が面白くて聞いているだけで大笑いできる素敵なネガティブ

な人もいるわけです。

あなたの発言は暗黙でネガティブな人の存在価値を認めているとオレはとっています。

もちろんそれは結果であって、ご本人の意図しているところじゃないでしょうけれど。

あなたはポジティブを肯定している発言をしているつもりで、無意識にネガティブも

肯定しているのです。それにお気づきですか??

 

 

ここ最近、自分のなかである言葉が思いついた。

「ポジティブハラスメント」

元気や前向き発言の強制などを表わす言葉だ。

我ながらいい着眼点だと思ったのだが、ポジティブハラスメント(略してポジハラ)

で検索してみたら、既に数年前に考えていた人がいたようで、もうそれなりに話題には

なっていたようだった。

ちょっと悔しかったが、でも同じ感覚の人がいたということを思うと、嬉しかった

という面はある。

 

しかし、それでも今現在は空前のポジティブ思考ブームである。

啓発する本やテレビ番組を多い。

自称ネガティブのオレとしては実に生きづらい、そして目障りな世の中である。

 

最初にも書いたとおり、人間は様々である。

ポジティブな人間もいていいのだが、ネガティブな人間もいていいのだ。

両方の人間がいることによって、目に見えない世の中の天秤はバランスがとれている。

 

ポジティブといわれる人はどうして人にポジティブハラスメントをするのだろうか。

笑顔の強制

前向き発言の強制

元気の強制

明るさの強制

大きな声の強制

すべて迷惑行為に等しい。

 

哲学者の中島義道も似たようなことを言っていたが、ポジティブな人が周囲にポジティブを

強制するのは、決して世の中やその人のためではない。

自分のまわりに暗かったり後ろ向き発言をする人がいたら‘自分が嫌だから’そういう人を

排除あるいは矯正しようとしているわけである。

実は単なるエゴイストなのだ。

逆を考えれば、ネガティブな人のほうはポジティブな人にネガティブを強制しない。

ネガティブな人はポジティブな人の存在をそれはそれで認めているのだ。

そこが大きな違い。

 

ポジティブなのは構わない。それは個人の自由だ。

だけど他人に強要せず、自分のなかだけでやっていただきたい。

押し付けるのは迷惑だし、暑苦しい。

 

一番思うのは押しつけのポジティブより笑えるネガティブのほうが大事。

「苦しいときほど笑え?それが出来たらとっくに笑っている」

というのはヒロシのネガティブ名言。

聞いたとき共感した。そして笑った。

元気もでる。

 

基本、ネガティブっていうのは奥が深く面白いのだ。

ポジティブな人はそこを理解していない。

いや、厳しいいい方するとポジティブ(積極的)だといいながら、ネガティブの

面白いところを全然積極的に深掘りしようとしていない。

消極的なのである。そっちのほうがたちの悪い何もしないほうのネガティブである。

 

そう、オレがいいたいのは、どっちがネガティブなのだ!?ということ。

ネガティブといわれる人が悪いパターンばかり考えるのは、想像力が豊かだからだ。

 

その想像力をいかせば、いろんな方面や分野で役に立つことができる。

ポジティブな人は積極的だといいながら、なぜネガティブな人の才能や素質を見つけて

積極的にネガティブな人の活躍の場を見出そうとしない??

それはネガティブと共存しようとする世界観がなく、ネガティブを排除しようという

ことに必死になっているからだ。

 

時代は変わってきている。

ポジハラやポジティブ信仰をなくして、もっとネガティブが市民権を獲得するように

しなければならない。

 

自分がこれまで属していた企業のなかでも、古い人たち、偉い人たち、面接官とかは

みな、元気とか笑顔とか大きな声とかが好きだった。

そしてネガティブ発言が大嫌いだった。

そういう古き悪しき感覚もオレらが教えて変えていかないといけないのだろう。

 

営業マンを相手する取引先の窓口の担当者もバカじゃない。

マニュアル馬鹿のひとつおぼえで、ずっとニコニコ営業スマイル浮かべている営業マンや

とりあえず声に元気がある営業マンがニセモノだということくらい見抜いているだろう。

 

なかには営業スマイルが大嫌いな担当者だっているはずだ。

いや、実際の経験からして確実にいた。

前任者が胡散くさいから担当を変えてくれといわれてオレになったことも現実あった。

元気がある営業マンもうっとうしいから嫌だといわれてオレになったこともあった。

 

そうなのだ。そういうときこそ、営業スマイルや前向き発言ができないネガティブな人間の

出番なのだ。

取引先の担当者も負けず劣らずネガティブな人間のときがある。ネガティブにはネガティブを。

そんなときは価値観があったりして意気投合して、気にいられ、見事契約に結び付くなんて

ことだってありえるのだ。

そう、ポジティブが嫌いな人間にとって、ネガティブは需要があるのだ。

需要があるからこそヒロシも芸能界で再ブレイクしたのもあると思う。

 

それなのに今でも企業の古い人や偉い人は、明るく元気で声に張りのある営業マンだけが

客に好かれると信じている。

暗くて静かな営業マンが好きな担当者も多くはないにしてもいるのだ。

そういう客にぶつける要員として、ネガティブな営業マンをスタンバイしておこうとどうして

考えられないのだろうか。

ドリフターズは5人全員が志村けんだったら、きっと人気はでていないし、上手く回転も

していない。

ノロマ役の高木ブーや普通っぽい中本工事がいたからこそ、いろんな層のファンを獲得できた

とでもいえば伝わるだろうか。

 

まとめると、オレがいいたいのは自称ポジティブな人は、もっと積極的にネガティブのネガティブな

部分を最大限に活かそうとせよ!ということ。

今、ポジティブな人がしようとしていることは、この世からネガティブな人や思想を排除しようと

していることにすぎない。

映画「時計じかけのオレンジ」じゃあるまいし、無理に思考を矯正しようとするのは大きな

間違いである。

殺さず排除もせず生かす。これがもっとも大事なのだが同時に難しくもあるので、能天気な

ポジティブにはなかなか出来ないのかもしれない。

 

辛いとき、苦しいとき、前向き発言を強制されたり。聞かされたりするのはかなりしんどい。

辛いときはネガティブな言葉のほうがずっと元気のきっかけになる。心がラクになる。

 

14年前に書いた記事。ブログ書きはじめのころだけあり文章がかなり幼稚だが

おすすめの本を紹介しているので時間あれば読んでいただきたい。

ナポレオンやニーチェなどのネガティブ名言を集めた本である。

 

これは差別でもなんでもなく書かせてもらう。

オレ自身が障害者ということも踏まえて、中間というか平均的な人が存在する以上、

オレはポジティブもネガティブも両方とも一種の「障害」のようなものだと捉えている。

ポジティブは前向きにしか考えられない障害。

ネガティブは後ろ向きにしか考えられない障害。

 

みなさんは障害者を排除しようと思いますか?

そんなことないですよね。

そうなんです。どっちかがどっちかを排除したり矯正しようとすることなく、互いに共生してゆかないと

いけないのです。

 

ネガティブは決して悪いことではない。個性だ。

そして、私生活においてもビジネスにおいても必ずどこかに需要がある。

だけど、誰もその需要のありかを見つけようとしない。

なぜか?理由は簡単。

多くの人が動いたり考えたりする以前に、ネガティブはいけないことだという観念に縛られて

いるからだ。

 

企業の古い人や、ポジティブな人に伝えたい。

 

「あなたもポジティブというのであれば、ネガティブの面白さにたいして、もっと

ポジティブに追求してみませんか??」

 

と。

 

先日は月イチで立川通院の日だった。

早いもので発達障害の診断受けて、いち障害者として暮らすようになってから

もう数年が過ぎた。

帰り際、受付の女性から、自立支援(医療費が月3千円くらい国から出る制度)

と障害者手帳の期限が7月までだと言われた。

また市役所いって諸々の書類手続きとかしないといけないのか。

あれ、本当に面倒臭い。

 

処方箋をだしてもらい病院をでて、今度は薬局へ。

ここ最近薬でてくるまで1時間くらい待たされてイライラしてたのに今回は

すいていたのか10分ほどで出てきた。極端だ。

 

すべて終わって正午と、この日は進行が早い。

御昼どきなので混んでいるかもしれないが、ランチをしにラーメンスクエアへ

いった。

 

最初はよくいっていて3、4回ほど記事でも書いたまぜそばの「麺屋こころ」へ

行こうかと思ったれど、この日はなんとなくスープがある麺を食べて、最後の

スープをごくごくと飲み干したい気分だった。

 

なので新しくラーメンスクエアに入って、ちょっと気になっていた店へ。

 

『京都熟成細麺らぁ~めん京』

サイトはココ

 

 

ラーメンスクエアのなかには数店舗入っているのだが、ラーメンブロガーの

ZATSUさんのブログによると、ここのハコは期間限定でリレー方式で店が

入ってゆくらしい。半年間かな。

前にあった「綱取物語」っていう店がすぐなくなって驚いた印象だったんだけど、

別に人気がなかったわけじゃなく、もともと半年だけだったようだ。

 

券売機で券を買う。一番基本のメニューにした。

時刻は12時ちょっと過ぎだったけど、先客は4組ほどだった。

 

店員さんに券を渡し空いてる席に座る。

 

茹で時間が短いのかすぐに着丼。

 

 

「みやこらぁ~めん」 890円

 

 

ビジュアルは良い。

 

スープは鶏と野菜の旨みが凝縮された鶏白湯スープ。

上には背脂がのっている。

ひとくちすすってみる。美味い。ほどよいしょっぱさがある。

 

麺は中細ストレート麺。

細麺だけどスープによく絡みスルスルと入る。

 

トッピングは刻み葱、チャーシュー、メンマ、半熟玉子半分。

 

チャーシューは柔らかくとろとろしてる。

あと数枚欲しい。

玉子もいい味をだしている。

 

細麺だけど、コシもあって全体的に美味かった。味は文句なし。

スープも完飲。

ただ、890円にしてはやや量が物足りなかったかな。

食事よりも呑んだあとに食べたい一杯かもしれない。

 

さて、このハコ、また半年後にはどんな店が入るのだろうか。

 

ずっと前、アメブロをはじめたばかりのときに三億円事件の現場記事を書いた

ことをこの前ふと思いだして、検索して見たら記事が削除されていた……。

 

何故だ?

自傷フリージャーナリストが書いているこんな弱小ブログに、どこかタブーに

ふれる箇所でもあったのだろうか?

いや、そんなわけない。

何かの事故だろう。

警察関係者の息子が犯人だったという説もあるということは書いた気がするが

そんな説はもう有名で、誰も彼も書いているし報道しているので、そこがひっかかった

なんてことはないだろう。

 

画像もろとも記事が削除されていたので、先日撮影した現場の写真をふたたびアップだけ。

 

 

府中刑務所の横の通り。

ここで偽白バイ警官が現金を強奪して消えていった。

今は平和だ。

見てのとおり、日本を騒がした大事件があった場所だとは到底思えない。

 

写真を撮ったといっても、わざわざ撮りにいったわけではない。

ここ、うちの近所なのだ。

たまに弁当を買いに行く弁当屋があるので週末そこにゆくとき、ついでに

撮影した。

子供のころからこの道はよく通っている。

 

いろんな事件現場には関心がある。あさま山荘へは群馬の先輩の車でいった。

世田谷一家殺害事件現場や八王子スーパー強盗殺人事件現場へは自転車で

1時間以上かけていったが(記事にもした)、ここは家から自転車で数分でつく。

 

刑務所の道路挟んで反対側には都立府中高校があるのだが、事件当時、府中高校の

生徒も警察からいろいろ訊かれたらしい。

結局、犯人はつかまらず未解決事件のまま、時間だけが過ぎた。

 

犯罪もここまで完璧にやって逃げ切ると、犯人はもう悪人というよりもヒーローだ。

時がたった今もまだ生きてるのだろうか。

自殺したという説もある。

 

この事件があってから、全国の企業の給料やボーナスが現金で手渡しじゃなく

銀行振り込みになったんだけど、オレが20歳前半のころバイトしていたガソリン

スタンドは辞めるまでずっと手渡しだった。

おかげで売り上げが盗まれるという事件が起きて警察沙汰になったこともあった。

詳しくは書けないけれども。

 

果たして三億円はどこへ消えたのか??

府中市といったら「競馬場」「刑務所」そして「三億円事件」を連想する人が多いので

記録として一応削除された記事の修正版として書いておいた。

 

またみなさんがご興味ある事件のネタがあれば書いてゆきたい。

 

(ネットの調子が悪いのでコメ返など遅れる可能性があります)