概念というバリア | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

東京新聞の記事でタッチパネルが目の不自由な人に優しくないというのが

あったということを先日書いたが、後日の東京新聞を読むとその記事はけっこう

反応が良かったと書かれていた。

なんとなく嬉しいことである。

つまりは多数的に便利とされているタッチパネルが障害のある人に

とってはバリアになっているということである。

 

それを踏まえてなのだが――

図書館の新書コーナーを歩いていると、よく‘コミュニケーション’がどうたら

こうたらというタイトルの新書をよく見かける。

どうやらコミュニケーション能力を育てたい人に向けた類の本のようである。

 

今の世の中は猫も杓子もコミュニケーション能力を追い求めているような

ふしがあるが、コミュニケーション能力ってそんなに必要なのだろうか。

 

ただ単に能力が不足している人はまだいいが、オレのように障害を持ってて

それでもって生まれつきコミュニケーションにも障害を持っている人間もいる。

もちろん、カバーできるだけの努力(この言葉嫌いだけどわかりやすく伝えるため

使う)するが、基本は治らないものである。

 

そういうコミュ障の人にとって、コミュニケーション能力があって生きやすくなる

社会というのは、実に生きにくいのである。

 

人と話したり、仕事で営業を行うにあたって、コミュニケーション能力って本当に

必要だろうか?

 

人間づきあいで大事なのは、知識か人柄か?

 

出川哲朗が今とても人気を集めている理由はやはり人柄であると思う。

以前にもどこかでちらりと書いたかもしれないが、今は世の中がコミュニケーション能力が

どうだこうだというブームですごく息苦しくなっている。

そんななかで、出川哲朗はよくカンだり、いい間違いをするので、逆に親しみや人間性を

感じられる。

それが人気の理由だと思う。

 

みなさんがもし、お店や会社を経営していたとしたら、営業担当になって欲しいのは

ホリエモンだろうか、それとも出川哲朗だろうか。

たまにおっちょこちょいなどやりそうな気もするが、オレだったら人柄で出川哲朗を選ぶ。

詳しい理由は11年前に記事で書いた。

『プレゼンの達人は嫌われる』

 

今、人々は自らのコミュニケーション能力の向上に夢中になりすぎて、会った人の人柄を

深くみようとすることを失っているような気がする。

 

そもそも、

コミュニケーション能力をあげるさげる以前に、

「コミュニケーション能力がないといけない」という概念がもう正しいという前提の

社会になっていることを疑わないといけないのではないだろうか。

 

コミュニケーション障害がある人間にとって、

「コミュニケーション能力がないといけない」という風潮が、もう巨大なバリアとなって

生きづらくしているのである。

 

ACジャパンのCMで「聞こえてきた声編」というのが放送されている。

聞こえてきたのは男性の声ですか? 女性の声ですか?

気づくことから始めませんか?

というアレである。

 

あのCM、意外と評価が割れているようだが、オレは好きである。

会議で発言したり、将来パイロットになりたいというのは男性。

赤ん坊をあやしたりするのは女性。

そういった概念をまず疑おうという意図のCMである。

 

オレの価値観もあれにつながるものがあって、まず概念を疑わないと

いけないと思う。

ここで冒頭でも書いた、タッチパネルが便利とされている概念にも

つながるのだが、コミュニケーション能力も同様に、生きていく上で

本当に大事なのだろうか。

 

たしかにコミュニケーション能力を武器として成り上がっている人も

いるのは認めるが、世の中にはコミュニケーション能力がハンデとなっている

人も目に見えずらいだけでたくさんいるのである。

 

本当に生きやすい世の中というものは、素晴らしい世の中というものは

コミュニケーション能力がある人も、コミュニケーション能力がない人も

共存してゆける世界ではないだろうか。

 

今の世間の風潮を見ていると、コミュニケーション能力がない人間を取り残して

ゆく、もっといえば排除してゆくように感じてならない。

 

正しくこうあるべきというのは、

「コミュニケーション能力がなくとも生きてゆける社会」ではないだろうか。

これぞ人々が本来目指すところである。

 

タッチパネルはタッチパネルであってもいい。だけど同時に点字や音声アナウンスも

必要である。

 

昨今のコミュニケーション能力ブームは、点字のないタッチパネルに似ている。

便利ではあるかもしれないけれど、一部の人を置き去りにしている。

 

コミュニケーション能力向上ブームは、コミュ障に苦しむ人たちにとっての

巨大なバリアでしかない。

 

まず、「コミュニケーション能力は大事」という概念を疑うことからはじめよう。

 

コミュニケーション能力を推奨する新書や啓発書はたくさん見かけるのに

コミュニケーション能力ブームをこきおろす本は一冊も見かけないことも

かなり不気味である。

 

コミュニケーション能力に限らない。

世の中には便利だからあって良い、武器になるからあって良いという概念を

持たれているけれど、実は一部の人達にとって、バリアとなっている概念が

目には見えないけれど、たくさんあるということを頭に入れておいたほうがいい。

 

階段とか目に見えるバリアもあるけれど、概念とか思想とか風潮とか目に

見えないバリアというのは意外と多いのだ。

 

そういえば、ポジティブブームとかも、ネガティブな人間にとっては

ある意味バリアだな。

 

何事にもブームってつまりは多数だから、少数派にとってバリアになりやすい。

 

まとめると、概念や多数っていうのは少数派やマイノリティにとってバリアだと

いうことだろう。