前略、道の上より | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

残暑お見舞い申し上げます。

 

「暑中お見舞い申し上げます」と「残暑お見舞い申し上げます」

はどう違うのかわからなかったからネットで調べてみたら、

とくに暑い時季、7月から8月初旬か中旬までが暑中見舞いらしい。

今だと残暑お見舞いになるようだ。

 

しかし本当に暑い。

オレらが小学生から高校生のときは教室にエアコンなんてなかった

から、当時が今の暑さだったら間違いなく教室内でユデダコみたいに

なって死んでいる。

 

 

そういえばここ十数年は原宿近辺とかいっていないからわからない

のだけれど、まだホコ天て存在するのだろうか。

存在するならばパフォーマーとかもまだいるのだろうか。

こんな炎天下のなかで路上でパフォーマンスなどやっていたら

ぶっ倒れそうである。

 

そんなことを考えていたら、ふと一世風靡セピアの存在を

思いだした。

記憶の限り、彼らもホコ天出身だったはず。

 

惜しまれながらかなり昔に解散してしまったが、オレはけっこう好きで

ラストアルバムも持っている。

 

 

 

 

タイトルも歌詞も英語ばかりの歌が蔓延しているなかで

一世風靡セピアはかっこいい意味で時代に逆行していた。

スーツにサングラスというファッションから、歌をとったら

ただのやーさんとか比喩されたこともあったがそのファッションも

オレは好きだった。

 

はじめて一世風靡セピアの存在をしったのはいつだっただろうか。

たしか中学1年生のときにテレビで「魁!男塾」のアニメが放送されて

いて、そのOPとEDを歌っていたときにはもう既にしっていたから

おそらく小学生のころにはもう存在を認識していただろう。

ただ、小学生だったので、そのときは一世風靡の‘靡’が読めなかった。

なんとなく罪という字に似ていたから、自分のなかではとりあえず

「いっせいふうざいセピア」と呼んでいたのをおぼえている。

 

柳葉敏郎と哀川翔のことをしらない人間はいないと思うが、ふたりが

一世風靡セピアというグループに属していたことをしらない人は

まだいるのではないだろうか。

高校2年のとき、バンドをやっている友人が音楽好きなのに

一世風靡セピアをしらないといってて驚いた記憶がある。

そうなんだよな、音楽的観点でいえば一世風靡セピアと、当時流行っていた

Bz、ワンズ、Tボランは正反対の位置にいた。

だから、オレと同じ世代でも一世風靡セピアに興味ないどころか、

その存在さえしらない人間も珍しくはなかった。

 

一世風靡セピアはとにかく硬派でシブかった。

歌詞もファッションも。

今でもあのスーツにシャツというスタイルはマネしたいとさえ思う。

流行やラブソングが好きじゃないオレにとってはまさに憧れるタイプの

アーティストだったかもしれない。

おどりもよかった。

動画のコメント欄にもあったが、あきらかに今のダンスグループとかとは

気迫が異なる。

冒頭には「前略、道の上より」を張りつけた。

公式動画がなかったので張れなかったが個人的には「魁!男塾」のOP

であった「汚れちまった悲しみに」のほうが好きだった。

 

硬派なイメージの一世風靡セピアが男塾の世界観にまさにピッタリだった

印象だ。

 

でも比較的世間でしられているのは、この「前略、道の上より」

である。

やはりおどりつきでシャウトする「そいや!」の部分が印象的なのだろう。

歌詞をネットで改めて確認してみたら、漢字で「素意や!」と書かれて

いた。それはしらなかった。

 

何度か書いているが若い頃のオレはとにかく愛だの恋だのラブソングばかりの

音楽シーンが嫌いだった。そんななかで一世風靡セピアの存在は異才を放っていた。

でも時代の流行にはきっと合わなかったのだろう。

懐メロ番組とかで登場してくれたら嬉しいんだけれど、その気配もないのが

悲しい。

 

聖飢魔Ⅱや筋肉少女帯は有名なバンドだが、デーモン閣下や大槻ケンヂは

どちらかというとバンドマンとして売れたのではなくタレントとして売れた

ように思える。

一世風靡セピアも同じように音楽グループとして曲が売れる前に、柳葉敏郎と

哀川翔が役者として前にでてしまった部分はあるかもしれない。