ザ・ノンフィクション | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

親しかったとか親しくなかったとか、好きだったととか嫌いだったとか関係なく、

小学校、中学校、高校、大学で一緒だったすべての同級生の消息だけしりたいと

このごろ思う。

別に元気だったらまた会いたいとかそういうことじゃないのだ。

会わなくていい。ただ純粋に知りたいだけ。

 

何度も書いているようだが、自分たちの年齢になると、さすがに全員がまだ

生存しているという可能性は低いといえる。

病気や事故で既に亡くなってしまった同級生も数人はいるのではないだろうか。

 

綺麗事抜きで、人はつらいとき自分より下を見てこの人に比べれば自分なんて

まだ恵まれているほうだといいきかせ、困難を乗り切れる生き物なのである。

悲しいけれど現実そういうふうにできているのだ。

 

不謹慎承知でいうが、今は同級生たちのそういう情報を元に自分だけが辛い

わけじゃないと思い、とりあえず耐えるときかもしれない。

とにかく精神が不安定な綱渡り状態にある……。

 

数週前にフジテレビで日曜14時に放送されている「ザ・ノンフィクション」を観た。

この番組ふだんはほぼ観ないのだが、そのときはちょっと興味ある回だったので

観たのである。

 

自称ダメ人間でパチスロライターをやっているマエダさんという人の終活の話である。

マエダさんはガンで余命宣告をされた。もって半年、早ければ3か月。

そんばマエダさんの就活に密着した放送であった。前編と後編の2編。

ご覧になられた方も多いのではないだろうか。

 

放送の詳細はココ

 

はたちで一回結婚して離婚して、その後も結婚離婚してバツ2だとかいうし

パチスロライターという仕事への世間の偏見もあるかもしれないけれど、

いち視聴者として観たかぎり、そんなダメ人間とは思わなかったどころか

けっこうまじめな人だなあという印象を受けた。

自分にできる仕事をしっかりやっていたし。

 

後編の最後で結局マエダさんは亡くなってしまうというラストだったん

だけれどもなんだか切なくなった。自分より若い年齢ということもあって。

 

ダメ人間……オレもそちらの部類に属すると思うのだけれども、

今回のマエダさんの生き様をみて、じゃあ、立派な人間の定理ってなんだろうと

改めて考えさせられた。

 

すこし前にメンタリストのDaiGoが生活保護やホームレスを批判して大炎上(のちに謝罪)

したがオレもDaiGoのあの考え方は嫌いだ。

命を軽視する発言してはいけないというのをわかっているぶん、弟のほうがしっかりしていた。

 

すくなくともDaiGoがいったように税金を納めているかどうかを立派の基準にすることだけは

間違っているとわかる。

 

それをいったら、自分の幸福だけを考えて、ひたすら他人を貶めて出世してそれだけの

稼ぎを得て税金を払っている人間が立派で、まじめゆえに嘘をつけず要領も悪く働きたい

のに仕事をさせてもらえない人間が立派じゃないという流れになってしまう。

 

どちらもある意味で一生懸命なのは共通しているかもしれないが、やはりオレは

人を不快にさせない人を応援したい。

これを読んでいるみなさんの職場にもそういうふうに嫌われている人間てひとりや

ふたりいないだろうか。

 

人生も折り返し過ぎて思う。

たとえダメ人間であっても、マエダさんにように嫌われず友人に囲まれたような

生き方を残りの人生したいと。

(今まで生きてきて、「こいつ、本当の友達いないだろうな」と思うやつを何人か見てきた)

 

ずっと前に冗談で、自分が文学賞とったら「情熱大陸」に出演したいと書いたが、

もし、テレビ番組で密着されることがあったとしたら、成功者を紹介する「情熱大陸」よりも

どん底人生を紹介する「ザ・ノンフィクション」のほうがはるかに自分に近いところにあるなと

痛感する。

 

マエダさんも終活でやりたいことをやって過ごしていた。

亡くなってしまったけれど、まだまだやりたいことはあったんじゃないかと思う。

それを考えれば、自分たちはこうして生きているだけで幸せなのだろうか。

正直、自分のなかでそこはまだ疑問符がついたままだ。

 

ただ100歳まで生きるにせよ、明日死ぬにせよ、やはり自分らしく言いたいことはいい、

やりたいことはやりたいと願う。

 

「ザ・ノンフィクション」。

長くやっているので存在はしっていたが、これまで数回程度しか観ていなかった。

これはもっと観るべき番組だったかもしれない。

そしてこれからも、もっとたくさんの世間の‘蚊帳の外’の生活を強いられている人を

とりあげてあげてほしい。

 

この番組でとりあげられている人たちは、どこか別の世界の人たちで、

自分たちには関係ないと思っていたら、明日は我が身で特集されるかも

しれないと思うと怖い。