ツレがうつになりまして。 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ジミー大西のギャグ。

人から「ジミー、頑張れよ」といわれたあとにジミーが

「おまえも頑張れよ」と返すアレ。

 

ジミー大西はあまり好きじゃないんだけれども

あのギャグはなんか好きだ。

 

ジミーがそこまで考えたゆえいっているのかはわからないが

人間関係への風刺のようなものを感じる。

天は人の上に人をつくらず、に通ずるような。

 

オレは人に頑張ってくださいというのもいわれるのも正直好きじゃない。

だから人を励ますときはできるだけ「健闘を祈っています」とか

「成功を願っています」といういいかたをするようにしている。

 

「頑張ってください」という人は少なからず

「私はアナタより余裕もあり、アナタより上にいるのですよ」という、

‘暗黙のマウント’をとりにきている感じがするのだ。

本人にそのつもりはないとしても、どこか潜在的な部分で。

 

第一に本当に自分のことで我武者羅になっている人間は、自分の

ことだけで精一杯なので、人にたいして頑張れなんていえる余裕がない

はず。

また、本当に苦労や苦悩してきた人間は現実をしっているので

頑張れなどと他人事のようなことは気軽にいわないはずなのだ。

 

お互い辛い状況にあり、「お互い頑張ろう」というのならばわかる。

だけど、一方的に投げかけるように笑いながら人にたいして「頑張れ」と

いってくる人にはやはり疑問を感じずにいられない。

 

この人はオレよりも自分のほうが上の立場にいると思っているんだろうな

と考えてしまうのである。

 

極論、もしオレが天皇陛下やエリザベス女王にお会いすることがあったとしても

陛下や女王にたいして「御公務、頑張ってください」なんて口が裂けてもいえない。

陛下は素晴らしいかたなので、もしオレがそういったら口では

「はい」といったとしても、心の中では「お前こそ頑張れよ」とお思いになられる

ことだろう。

(あ、重ねていうがこれはあくまで極論なので今回この場で政治や思想の

話はするつもりはないのであしからず)

 

なので、ジミーの「おまえも頑張れよ」という返しは、自分もアナタも同じ

立場ですよというように、相手の暗黙のマウントを跳ね返しているふうに

聴こえて小気味良いのである。

 

もちろん、人から「頑張れ」といわれてそれがパワーになる人もいることは

認めるところだ。

オレ思うに、「頑張れ」という言葉は諸刃の剣のようなものである。

励まされる人もいれば、それがプレッシャーになり追いつめられる人もいるのだ。

‘自分だったら’を基準に気軽に考えてはいけない。

 

そう、よくいうが、とくに鬱病・鬱状態の人にたいして「頑張れ」は、

絶対絶対絶対絶対絶対禁句である。

 

この前、堺雅人と宮﨑あおいが夫婦役ででている映画

『ツレがうつになりまして。』

を観た。

 

 

――

仕事をバリバリこなすサラリーマンの夫、通称ツレ(堺雅人)が、ある日突然、

心因性うつ病だと診断される。
結婚5年目でありながら、ツレの変化にまったく気付かなかった妻・晴子(宮﨑あおい)は、

妻としての自分を反省する一方、うつ病の原因が会社にあったことからツレに退職を迫る。

会社を辞めたツレは除々に体調を回復させていくが…。

(amazonから引用)

 

概要は上にコピペしたとおり。

 

ツレ(堺雅人)が鬱病になってしまい、妻(宮崎あおい)は悩む。

そして鬱の原因が仕事にあると思った妻はツレに会社を

辞めないと離婚すると話をする。

 

ツレはだんだん体調が良くなってくるものの、ある日家にお見舞いの

ような感じで訪れてきた体育会系の友人が無神経に明るく

「頑張れば」「頑張れば」といい、ツレはふたたび具合を悪くしてしまい

布団に潜りこんでしまう。

 

観ていてとても辛かった。

そう、鬱病の人はさんざん頑張ってきてて鬱の状態になったのか

あるいは、頑張らなければいけないけどなにをどう頑張ればいいのか

わからない、あるいは頑張る機会を与えられないから悩んでいるのである。

 

妻はそんなツレの姿を見て、日記に「どうしてみんな無神経に

土足で人のなかに踏み込んでくるんだろう」と愚痴る。

それから妻は「頑張らないゾ!」と心に決める。

 

世の中には最低限、頑張らないといけないことがあるのは

オレだってしっている。

でも、限界まで頑張った結果今の状態でいる人だって多いのだ。

十分頑張ってきて、それでも迷い続けて悩んでいる人にそれ以上

なにを頑張れというのだろう。

 

日本人は精神論が好きだ。

 

でもこのストレス社会、鬱社会、「頑張らないことを頑張る」のをおぼえることも

必要ではないだろうか。

 

この映画のレビューを読むと、「実際の鬱病はこんな生やさしいものじゃない」

という辛口の声もあるが、それもそうだとは思う。

 

でも、鬱について基本的な知識を吸収するにはいい資料的な映画かもしれない。

 

最後になるが改めてここで書くまでもないが堺雅人という役者は本当にすごい。

半沢直樹みたいな血の気の多い役も演じられれば、今回のツレのような気の弱い

役も演じられる見事なカメレオン俳優。

オレと1歳くらいしか違わないのに、なんだこの差は(笑)

 

あと途中で宮﨑あおいが家でマンガを読んでいるシーンがあるのだが、

そのとき読んでいたマンガがつげ義春の「ゲンセンカン主人」だったのは

いい脚本センスだなあと思った。