ヒロシのぼっちキャンプSeason3 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

お笑いコンビ・ティモンディの高岸が、よく笑顔で「やればできる!」

といっている。

オレはあれがあまり好きじゃない。

もちろん、ネタのひとつとしていっているのもあるだろうけれど、

いかにも体育会系の悪いところがでたフレーズだと思う。

 

いわゆる体育会系や熱血系によく見られる「足し算」の思想なのだ。

あらゆる苦手を克服しなければいけない。

あらゆることに挑戦しなければならない。

ということ。

 

生まれもってのセンスや体質、あるいは目に見えない障害などで、

人間には人によって、どんなに時間を費やして勉強してもどんなに

練習してもどんなに努力しても、できないことがあるのだ。

 

たとえばテスト勉強。

得意科目と苦手科目がある。

 

足し算の思想の人の勉強法は、すべての科目を同じように勉強して

すべての科目でいい点数をとるということだろう。

 

それが実る人はそれでいい。

でもたとえば、オレのように数学や化学がどうしても苦手で前もって

どんなに勉強しても先天的なもので理解できない人間もいるのだ。

だから勉強するだけして、それでも結果として限りなく低い点数だったりする。

数学に費やしたぶんの勉強時間が結果として無駄になるわけである。

 

だからオレはずっと「引き算」の思想でテスト勉強していた。

自分でこれはどんなに勉強しても良い点をとれないと思う科目は思い切って

0点でもいいという気持ちで捨てる。勉強はまったくしない。

その科目ぶんの勉強時間を得意な科目にまわし、得意な科目のほうでさらに完璧

な結果を残す。

そんなに勉強しなくとも70点はとれるような得意科目を90~100点とれるようにするのだ。

 

人には向き不向きがある。

 

苦手なことをなんでもかんでも克服しようとするのではなく、自分でこれは向いていない

と思ったら、周囲の声に惑わされずそれをバッサリと切るような行動・思想の断捨離が

大事だと思う。

結果としてそれが良いほうに転がることだってあるのだ。

 

芸人のヒロシは、最初にブレイクして仕事がなくなったあと、テレビを捨てた。

人づきあいが苦手なので、人脈つくりやコミュニケーションも捨てて

ひとりで趣味のキャンプするようになった。

 

でも人づきあいを絶ったそのソロ・キャンプという行動が認められて、

結局仕事をオファーしてこなくなったテレビ局から、仕事が来るようになった。

 

BSで放送されている「ヒロシのぼっちキャンプ」がSeason3に突入したが、

ヒロシは孤独になればなるほど研ぎ澄まされていっているように目に映る。

キャンパーとしても芸人としても。

 

 

 

すべての人がそれで簡単にうまくゆくはずがないというのがわかっているが、

ヒロシは捨てるものをどっさり捨てて成功したタイプだと思う。

 

つまり「引き算の成功者」の手本。「逃げたことで成功した者」である。

世間が大事だと言い張る仕事やコミュニケーションをバッサリと捨てた結果

それが最終的にくいぶちに繋がったのだ。

 

人生-(テレビ+人間関係)=趣味+仕事

 

なんでもひたすら追いかければいいというものではない。

自分のなかでどうしても苦手だと認識していることを無理に克服することもない。

 

どうしても苦手なものは、もうバッサリ捨てる。

そのかわり、そのぶん自分の好きなものにさらに磨きをかけるのだ。

 

ヒロシのテレビを観ていると、そういわれているように感じる。

人は逃げていいのだ。

逃げるからこそ、逃げた先で勝ちへの道を見つけることができる。

まあ、勝ちという表現もあまり好きじゃないけれど。

 

順番的に大事なのは、自分にできそうなことを探す前に、逆に

これだけはどうしてもできないというものを見つけて、それを捨てる

ことだと思う。

捨てることは何気にみつけることよりも難しいのである。

 

面白いもので、自分のなかにぽっかりと余裕の空間ができたら、

また次にそこにスポッと入るものが見つかるものである。