ザ・ファン | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

自惚れではない。ストーカーだともいい切らない。

でもストーカーに近い行為をされた経験はある。

 

もう20年以上前だから20代前半の頃だ。

友人ひとりと新宿の居酒屋で吞んだあと、若気の至りで女性との接待を

伴う店にいった。いわゆるキャバクラである。

 

そこでついた嬢にA美というのがいた。

お店のマニュアルであるのだろう。案の定、連絡先を訊いてきたので

そこで気軽にケータイの番号を教えてしまった。

 

一時間ほどで店をでて、友人とも解散。

夜中に帰宅し、シャワーを浴びて、ベッドに潜りこんだ。

 

しばらくすると、部屋になりひびくケータイの着信音と壁に反射するディスプレイ

のライトの明るさで目が醒めた。

 

なんだこんな時間に!?と思い、体を起こしてテーブルに手を伸ばして

ケータイをとり、画面を確認すると「非通知」と表示されている。

時計をみたら夜中の3時くらいだった。

 

気味が悪いので出ずにおいたら、やがて切れた。

ちなみに同じように決まった時間、非通知でかかってくるこの電話はこの御数日続いた。

ただし日曜日を除いて。

 

オレの頭に浮かんだ犯人はひとりしかいなかった。

「A美」である。

 

いやいや、重ねていうが決してストーカーされると自惚れているわけではない。

状況的に犯人に当たる人間がA美しかいないのである。

 

なぜかというと、オレは人よりも文明を取り入れるのが遅いので、

A美のいる店にゆく日の午前中にはじめてケータイというものを買ったのだ。

つまりA美のいる店にいった当日である。

 

そのころはまだLINE、メールはもちろん、ショートメールすら存在しなかった

から通信ツールは通話だけである。

だから友人知人にケータイを買ったことを報告する手段は直接かける

しかないわけである。

ひとりひとりそんなことするのも手間だし、通話料もかかるので、とりあえずは

そのとき一緒に呑んでいた友人にだけ伝えておくことにした。

 

そしてその後流れにより、もうひとり番号を伝えたのがA美だったのである。

 

つまりこの時点でオレのケータイ番号をしっている人間自体が世のなかで

一緒にいた友人とA美のふたりしか存在しないわけである。

 

友人がオレにそんなことするわけがない。

むしろ、オレがケータイ買ったばかりであまり周囲に伝えてないことはわかっている

から、もしやったとしても犯人がバレバレである。

 

そうなると2分の1の消去法で、犯人は「A美」しかいなくなるわけである。

毎回決まって掛かってくる時間が夜中の3~4時というのもちょうど仕事が

終って送り待ちになる時間帯だから理由としては十分だ。

店が営業していない日曜日には掛かってこないというのも合点ゆく。

百歩譲ってもしオレの他の友人がどこかでオレの番号を入手して

嫌がらせかなにかで電話してきたとしても、わざわざ夜中深くまでそのために

起きてしてくるなんてことはないだろう。

 

 

しかし、A美が非通知を何度も掛けてきた動機などは未だに不明。

自分で卑下するのもなんだが、オレは初めてあった異性に惚れられるような

容姿は持ってないので少なくとも恋愛感情ではないと思う。たぶん。

もし恋愛感情だとしても、それならば堂々と発信者通知をしてくるはずであるし

礼儀的にそんな夜中にかけてこない。

かといってあんな夜の社交辞令が飛び交う空間の中の会話でA美を

怒らすようなことをいった記憶もない。

 

だけど間違いなく消去法で犯人はA美である。

どこの誰かもしらない人が夜中にランダムで掛けた非通知いたずら電話が

たまたまオレの番号だった、ということじゃない限り。

 

そのときはケータイ買ったばかりでシステムがまだおぼえられなかったのだけれど

のちに「非通知拒否」を教えてもらい設定したのだが、あれだけA美が夜中に

非通知着信をかけてきた理由は未だに謎のままであり、キモチが悪い。

 

歪んだ恋愛感情とかではなく、ストレス発散の嫌がらせかなにかだったんだと

思われる。

 

幸か不幸かオレが別に男前じゃなかったから、歪んだ愛情表現の線は消したが

そういう愛情がもとをなって生じるストーカー行為というものは実に怖そうだ。

 

とくにここ数年は人気アイドルや地下アイドルの女の子が熱狂的なファンに

家まで来られたり、凶器で襲撃されたり、あるいはネットで脅迫されたりといった

報道が目につく。

 

いやいや、歪んだ愛情や信頼のベクトルは、男→女あるいは、女→男とは

限らない。

愛情というよりも憧れというくくりでみれば、それは男→男、女→女といった

ふうに同性から同性へといった流れもありうる。

 

もうけっこう昔の作品になってしまうが、ロバート・デ・ニーロ主演の「ザ・ファン」

を昨年はじめてみた。

 

 

 

――

ストーカー犯罪の現状をあからさまに描き、全米を震撼させた本格ストーカーサスペンス「ザ・ファン」。
生活全てに行き詰った男が、大リーガーのスター選手にのめりこみ、私生活まで執拗に追い始める。
そしてある言葉がきっかけとなり、その選手を‘憎悪のターゲット’として追い詰めて行く…。


デ・ニーロが‘恐怖’と化し、秘められた凶器を武器に襲いかかる。

(amazonより引用)

 

公開当時はかなり話題になった作品だったので、映画の存在だけは頭から

消えずにいたのだ。

 

ストーリーは上に張りつけたとおり。

 

デ・ニーロ演じる男が、大ファンである大リーガーにどんどん迫ってゆく。

 

ストーカーには2タイプあると思う。

嫌いな相手を困らそうとつきまとったりするタイプと、

好きな相手に近づきたくてつきまとうタイプ。

 

本作品のデ・ニーロは最初後者だったのが、大リーガーのある発言をきっかけに

やや前者寄りにスライドしてゆく感じに思われる。

 

どのジャンルにおいても「ファン」の定義というのは難しい。

好きだからこそ、その人の生き方や信念がどんなに変わろうが支持するのがファンなのか?

それとも、自分が抱いている像を壊してほしくないために方向転換することを決して許さないのが

ファンなのか?

 

オレ個人的には前者のほうがファンといえる気がする。

 

ついて行けなくなったそのときは、黙ってファンを離れればいいのであって、

自分が抱いている憧れの像をずっと他人に強制するのはちょっと違うかなと思う。

これは有名人にたいする視線にかぎらず、一般のコミュニティーの中にもいえる。

 

本作の中のデ・ニーロは相手が完全に自分の期待に応えないとダメだと

考えているタイプ。

 

しかしデ・ニーロは本当にこういう狂気を帯びた人間を演じるのが見事に

ハマっている。

オチはやや強引な気もしたが、まあこういうのもありかなと思った。

 

個人的な好みとしては、まあまあかなといったところだが映画界に評価は

かなり高いようで、誰々が選ぶ映画○○選といったような映画本にはだいたい

紹介されている。

 

 

※この記事はタイマー更新です。