絲山秋子「夢も見ずに眠った」他 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

好きな作家の要素にはいくつかあり、その作家の作風を改めて考えてみると、

決してストーリーが面白いかどうかではないということに気づく。

 

要素①として、比喩がとても巧いというのがある。

娯楽ではなく純文学なのに、ところどころまるで大喜利のように巧い例えが

散りばめられている作品が好き。

たとえそれほど巧くなかったとしても、読んでいてなんとなく巧いと思わせる

技量を持っていたりする面も含めて好きである。

 

要素②としては、自分が心の底に溜めている気持ちや世界観を見事なまでに

作品中で登場人物に代弁させてくれている作品。

それが別に善の主人公でなくともいいのだ。

悪役的な位置の登場人物だとしてもかまわない。

誰にいわせようが、おそらくそれは作者が心の底にためていた叫びだろうと

いうのはしっかりとこちらに伝わってくる。

 

この2つの要素を持っている作品であれば、たとえストーリー性が薄くとも

楽しめる。

読み終えたあと、とても満足な気分でありながら、

「あれ? これって結局通してどういう話だっけ?」

と不思議な満足感にとらわれることも少なくない。

 

このブログでも何度か紹介しているが、芥川賞作家の絲山秋子もそんな

好きな作家のひとりである。

 

文章のあちらこちらにユーモアある比喩が散りばめられ、読んでいてそこに

つきあたるたびに落ちている宝を拾ったような気分になる。

 

今回紹介する「夢も見ずに眠った。」もそんな絲山節が多い

1冊である。

――

夫の高之を熊谷に残し、札幌へ単身赴任を決めた沙和子。

しかし、久々に一緒に過ごそうと落ち合った大津で、再会した夫は鬱の兆候を示していた。

高之を心配し治療に専念するよう諭す沙和子だったが、別れて暮らすふたりは次第に

すれ違っていき…。

ともに歩いた岡山や琵琶湖、お台場や佃島の風景と、かつて高之が訪れた行田や盛岡、

遠野の肌合い。

そして物語は函館、青梅、横浜、奥出雲へ―土地の「物語」に導かれたふたりの人生を描く

傑作長編。

(amazonから引用)

 

概要は上のとおりなので説明は省略。

 

この本の中で書かれていた‘たとえ’を数点とりあげると、

 

電灯のプルスイッチ → もっと起きていたい子供の夜の終わりの手続き。

これはわかりやすくて温かみあるたとえ。

 

電車の開閉ボタン → よそ者発見器。

ボタンを押さないとドアが開かない電車車両も地方にあるので、ドアの前でただ開くの

をじっと待ち立っている人間はその仕組みをしらない他の地域から来た人間だということ。

 

あと、

「青梅市は東に向かって走る猪の形をしている」

というセリフもあった。

実際にそう見えるかはともかく、絲山氏がそう書くと、ああ、きっとそうなんだろうな

と思えてくるのが才能。着眼点と発想力の豊かさが際立っている。

 

ユーモアあふれる比喩がある反面、社会にたいする反骨心的な表現もまた

絲山秋子の十八番。

 

「殴られるのはいつも意外な方向からだ」

「人に負けたことがないのは自分が強いからではなく、むしろ弱さを見せまいとした

結果なのだ」

 

このふたつの箇所おいてはウンと頷けた。

 

絲山秋子作品においては以前、「薄情」という本を紹介させていただいたが、

要素②においてはそのときの記事で書いたとおり。

 

きっと誰もが好きじゃなかったり、ぜんぜん楽しいと思っていなかったり、

可愛いとも思っていないけれど、そういってはいけない雰囲気だから黙っていよう、

というようなもどかしいシチュエーションをうまく描写して、オレのようなひねくれ者

の心をぐっと引き寄せてくれる。

そんな素晴らしい作家である。

 

起承転結が激しい物語より、心の底にたまっているものがなんだかはっきり

させたい、そしてそれを吐きだしたいというすべての人に絲山秋子の本は

おすすすめである。

 

 

 

 

今回のもう1冊はそんな絲山秋子がもっとよくわかるこちらのエッセイ。

 

 

――

双極性障害(躁うつ病)に翻弄されず、受け入れて粛々とコントロールする。
この病との理想的なつきあい方を実践する作家の極上の文章は、この病に関わる
すべての人への最高の贈り物です。
――加藤忠史(理化学研究所脳神経科学研究センター)


双極性障害Ⅰ型発症から20年。
長年この病とどうつきあってきたか、服薬ゼロになった現在からみた心得を綴る
貴重なエッセイ。
加齢、発達障害、依存、女性性、ハラスメントなどの話題も。

 

絲山秋子もいろいろ抱えて、いきづらさをおぼえながら戦ってきている。

 

医師から「大事なことは治ってから決めてください」といわれたとある。

心が不安定なときになす決断は、その人らしい選択にならないことがあり

後になって後悔するケースにつながることが多いらしい。

なるほどなと思った。勉強になる。

 

未だになんでも精神論で片付けようとする人が多いが、絲山秋子はこの

本のなかで、

「『気の持ちよう』で治るのならばそれは病気ではない。と語る。

それでもうまくいかない原因が甘えや心構えだといってくる人がいるのであれば

「人間は自分の意思では虫歯ひとつ治せません」

と答えるようにしているという。

さすが絲山秋子らしいと思った。

 

「当事者が欲しいものは、アドバイスや共感ではなく理解なのだと思った。

逆に家族や友人に(病気や障害の)本をすすめて、まったく興味を示されなかった

ときにはひどく失望した」

と絲山秋子は書いていた。

 

絲山秋子の世界観がそんな世の中に突き刺さることを願う。