バンクシー 壊れかけた世界に愛を | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

テレビ番組について新聞のラテ欄に「番組から重大発表」とか「○○から重大発表!」

という文字がおどっていたら、たいていたいしたことじゃない。

たいしたことないどころか、それがどうした!?と怒りたくなる内容が多い。

 

オレが中学校のころ新聞の視聴者投稿コーナーに紹介されていた一通のはがき。

視聴者である女性がある日ラテ欄を見ていたら「夜のヒットスタジオ」のところに

‘今夜少年隊から重大発表!’という文字をみつけたらしい。

 

特別少年隊のファンでもないが、さすがにこれは解散かもしれないと思い、興味深く

番組をみはじめたら、重大発表の内容が「○月に海外公演にゆく」というしょうもない

発表だったので怒りの抗議投稿をしたようだ。

気持ちはわかる。

 

ふだんは家にいてもあまりみない「ぴったんこカンカン」。

すこし前に長渕剛がゲスト出演するというので珍しくみていた。

その放送回もラテ欄に「安住アナから重大発表」と書かれていたので、いうまでもなく

まったくドキドキせずに番組を一応最後までみていたら、

案の定、

「TBSが放送するスポーツイベントの総合司会に安住アナが抜擢された」

という、まあなんともいえない言葉を失うものだった。

 

いうまでもなくこれを‘重大発表’に位置付ける提案はTBSのおエライさんの方針で

あり、人間ができている常識人の安住アナは会議でこういうのはよくないと反対した

そうだが、おエライさんたちが押し切ったらしい。

本心ではない笑顔を見せて、「私が選ばれました」とカメラに向かっていわなきゃ

いけなかった安住アナが一番の被害者かもしれない。

放送観た仲の良い有名人からも怒られたらしいし。

 

そうそう、昔かなり話題になったいじめ事件において、加害者家族ではない女性を

母親と間違って自分のブログにアップして騒がれたことをきっかけに、デヴィ夫人のブログが

たびたびネットニュースで話題になることがあった。

 

このときもアクセス数が爆発したことを意識したのか、デヴィ夫人がブログの中で

明日重大発表をします、と書き、それもまた何だ?とネットニュースになった。

 

蓋をあけてみたら、「メールマガジンを開始する」ということだった。

…………

 

オレはメールマガジンとかよく仕組みわからないけれど、ようするに今度は

アメブロ広告収入だけでなく、読みたい人からもダイレクトに金をとるってことだろう。

文章がさらに人気でてきたから。

 

「夜のヒットスタジオ」や「ぴったんこカンカン」のようなテレビについても

直接テレビ局に金は払っていないが、それらを見ている人間の数によって、

スポンサーの広告料が増減し、また、スポンサー企業が製造する商品を

視聴者が買うというような間接的な金銭やりとりは少なくとも生じている。

 

この流れは当然といえば当然なんだが、もう本当に視聴率が低くて打ち切りが

見えている番組が最終手段で、‘重大発表あり’とアピールするなら情けで

許せる。

 

だが、「夜の~」も「ぴったんこ」も両方ともいってみれば安定した人気番組と

思える。

だからこれは、もともと観ている人間が多いからそれを利用して、観ている人間を

もうひとのせして数字あげてやろうという確信犯的な印象が強い。

デヴィ夫人も然り。

 

どんなに人気者・人気番組であっても、そこで欲をだしてこれまで支持してくれた人から

さらに巻き上げてゆこうと舵をきった時点で、ああ、この人たちは結局売れたら人を楽しませる

ことよりも数字を優先にするんだなと思えて冷めてくる。

 

飲食店でも似たような値上げケースがある。

大盛りで安い店は人気がある。

それは単純にコスパだけの問題でなく、安い価格でお客さんに喜んでもらおうという

心意気が嬉しくてどんどん人が集まるのもあると思う。

 

しかし値あがりも当然ある。

仕入れ値や素材の高騰などでそうでもしないとやっていけない場合は同情するし

しょうがないと思う。

お店のことを考えれば、お店を維持できる範囲内であげるべきである。

 

でもなかには増税に便乗してどさくさまぎれの値上げをしたり、自分の店の集客率に

自惚れて、これだけくるんだったら、もっと上げてもくるだろうと考える店もあると思う。

 

それが別に悪いとかいわない。

店の自由。

高いと思ったら、いかなければいいだけの話。

 

ただ、そうなると値上げということ以上に、今まで好きだったお店や店長が

‘職人’から、単なる‘商売人’になってしまったという寂しさを感じるのである。

 

安い大盛りを提供する店のご主人とかにたいしては、料理の腕前だけでなく、利益よりも

多くの人に食べてもらい美味しいといってもらいたいという優しさまで含めて職人だと

感じられる。

値上げしても人はくるだろうし、もっと儲かるだろうなと客のほうも思いながら、それでも

値上げしないのがまた職人として愛される理由なのである。

 

 

 

最近、覆面アーティスト・バンクシーのこれまでの活動や作品が紹介されている本を読んだ。

 

本当興味深い人物である。

バンクシーが本当に職人であり、商売人ではないということが改めて伝わってきた。

 

公共物への落書きが犯罪だということを話したら、もうそこから話が完全にすすまないので

それはおいといて――

 

本にも書いてあるがバンクシーほど世界的に有名になれば、素顔をだせばもっと話題になるし

純粋にオモテのアーティストとしてかなりの商売ができるはず。

 

でもバンクシーはそれをやらない。

あくまで正体は隠し続けて行動する。

顔をだしたら、自分の顔の価値がついてしまうからだ。

 

実体のある者を積極的に売って金を手にするより、無償でミステリアスを世間に振りまく。

そういうアーティスト。

 

作品だけでなくその行動もある意味トリッキーなアート。

ルパン3世みたいに美術館から作品を盗むというような事件はたまに聞くが、バンクシーは

その逆。

美術館に忍び込んで? 誰にも気づかれないようにゲリラ的に自分の絵をそこにさりげなく

飾ってそのまま去る。

 

そこにあるのがバンクシーが勝手に展示していった作品だということに誰も気づかない。

これは美術館にあったらそれはすべてアートだと信じて疑わない目でみる人間にたいする

ある意味の挑戦。

 

またバンクシーは大量消費社会と過度の資本主義を嫌う。

そして権力者やこき下ろす。

 

アートというのはすべての人が楽しめないといけない。

そしてアートを金額に換算してはいけない。

 

美術館に展示されている作品やオークションにだされる芸術品はどれも素晴らしい。

でも、それらにつけられている金額はとても高価であり、買い取ったり落札できる人間は

いつも金持ちだけだ。

もっといえば、美術館にゆくたくてもゆけないような貧しい子供たちもいる。

 

あれだけ才能があり、全世界から人気を集めているバンクシーがここまで注目され

続けている今でも、ウォールアート(落書き)にこだわり続けている意味はまさに

誰にでも発信できるから。

 

入場料もいらない。

双眼鏡などを持って観る必要もない。

 

子供も大人も、貧困層も富裕層も同じように普通に街を歩いているだけで、観ることが

できるからである。

 

逆にいえば書かれているのが街中の公共物でなくて、1枚のキャンバスだったら

バンクシー作品だとわかったとたん、値段がつけられて金持ちにかわれ、豪邸の

一室におさまってしまう。

バンクシーがもっとも嫌うパターンだと思える。

自分の人気にあぐらをかいて、観てくれている人からとれるだけの金をとってやろうという

考えがないのだ。

 

そしてひとつ、一部の人間から聞こえてきそうな追求というか質問についてバンクシーの

声も書かれていた。

 

本の中で、「バンクシーvs資本主義」という章があり、バンクシーがアートを商売にする

ことが嫌いだというのは前に記したとおりだが、バンクシーが絵を描くことでそれがやはり

どこかで必然的に資本主義とつながるのではないかという疑問。

 

バンクシーは、

「わかっている」

「商業的な成功はグラフィテイアーテイストとしては失敗の印だよ……。ややこしいんだ。

路上に描いた絵から儲けがでたら、すぐにその作品は魔法のように広告化されちまう」」と

インスタで語っていたようだ。

 

バンクシーがいう、‘ややこしい’という気持ちはよくわかる。

説明するのもややこしい。

アートに限らずだが、思想というのはすべてが本当にややこしいんだ。

 

今のバンクシーがここまで世界的に活動できるのは、どこか資本主義の流れによって

お金を得たからというのもあるだろうという人間もいるかもしれない。

 

でもそれは結果論としてバンクシーの存在が大きくなったからこその論ともいえるし、

人は社会でやってゆく以上、どこかで相反する思想を少なからず汲んでいっていると

思う。

 

資本主義でも、組織の中で売り上げがまったくない人がいる一方、トップセースルマンが

いてトータル的には内部で助けあっているという小さな共産主義が存在してるようなものだし。

 

自分の思想だけで完全に生きている人間などいない。

そこのジレンマを誰よりも敏感に痛感して悩んでいるのがバンクシーという人間かもしれない。

 

話はすこし戻るが、さきほど「路上に描いた絵から儲けがでたら――」とバンクシーが

話したと書いたが、東京都がネズミの絵を外して都庁に展示した件もバンクシーにすれば

望まない対応だったと思う。

バンクシーからすれば、そこにあるということも含めてアートだったと思うから。

ただ、金をとらずに多くの人に観てもらおうと企画したのは正解だったと。

 

デヴィ夫人のブログの話に戻るが、好き嫌い、共感できるできないはともかく

当時ちらりとのぞきみたら、いじめ問題についてけっこうおきて破りで過激な

意見を書いていただけにいくらか目をひくものはあった。

 

だが、そこで注目はアクセス数があったことで、これはしっかり金になるだろうと

考えてメールマガジンに切り替えたのだろう。

オレの中ではその時点ですべての人に文章を提供するご意見番から、

ただの商売人になってしまった印象である。

 

アメブロのサービスについて正直そこまでよく理解していないが、

すこし前に自信ある記事を有料で発信しないか、みたいな宣伝メッセージが届いた。

(もしかしたらそういう意味ではないのかもしれないが)

 

これまでに事件現場ルポや歴史的証人がたとの対談などの社会的記事や、

短編小説をアップしたとき、各方面の友人や読者さんが気遣って

「その記事、アメブロで無料でアップするのもったいなくない?」といってくれたことがある。

身に余るお褒めの言葉。ブロガーとしてとても光栄であり、嬉しい限りである。

 

実際10円のお金もとれるほどの文章すら書けてなければ、有料にしたところで

金払ってまでオレのブログを読みたいという人はいうまでもなく現実いないだろう。

 

ただ、もし、オレにそれだけの文才やテーマがあって、そのブログを発信することで

お金をとれる能力があったとしても、決して記事の有料化はしない。

 

自分の文章が金になると思ったとたん、それを売る形に変えた時点で

もう「表現者」「思想をもった発信者」ではなく、単なる小銭稼ぎブロガーになってしまう。

 

なによりも、こんな自分の駄文でも読むことを楽しみにしてくれている人とは

オレにとってもっとも大事な存在。

その大事な存在である人たちから金をとろうなんていう考えがまずおかしいし、

存在しない。

 

手間暇かかった記事やレアな内容の記事でも、誰もが無料で読めるブログで発信

してしまうの!?

ということまで全部ひっくるめてオレの表現。

 

おこがましいが、そのへんはバンクシーと同じ。

反権力。貧困層の味方。

バンクシーが高い入場料をとる建物の中でなく、誰もが目にすることのできる建物の壁などに

作品を描くように、オレも誰もが無料で閲覧できるブログでときにレア記事を発信する(笑)

 

そしてオレの記事の値段はオレ自身がつけるものではない。

読んだ人がそれぞれつけるものだ。

こいつの記事は1円でも払って読む価値がないと思ってくれてもいいし、

月100円くらいだったら読んでゆきたいと思ってくれたら、その気持ちがなによりの報酬。

 

 

 

上の本とは別のバンクシー写真集を先日書店でパラパラと立ち読みした。

 

画の才能と風刺の才能の両方を改めて見せつけられた。

年齢は同じかひとつ違いくらいなのに、どうしてこうも才能に差があるのかと嫉妬に近い

尊敬をおぼえる。

 

大衆からも人気があり、画を書かれた建物の持ち主も喜んでいるので、当局も暗黙で

必要以上に追跡しないし、できれば落書き現場を見つけてしまわないようにと願っている。

 

現行犯で見つけてしまったら捕まえないといけないし、捕まえてしまったら大衆からの

批判が自分たち警察のほうに向けられるのを理解しているからだ。

 

世界からもっとも愛される軽犯罪者。それがバンクシー。

 

ということで、今LINEのアイコンはバンクシーの描いたネズミに設定している。

 

以上

 

それではGOOD-NIGHT。

そしてNOT MDMA。

 

意味? 

……別に(-.-)