チャップリンの独裁者 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

10月なのでかなり涼しくはなってきた。

今年ももうあと2か月とちょっとだから、年末もあっという間に

来そうだ。

 

ふと、思ったのだが今年は流行語大賞にノミネートされるような

お笑い芸人のフレーズがまだないのではないだろうか。

 

何回も書いているとおり、オレはリズムネタとかお決まりフレーズとかは

好きじゃないので、周囲で話題になったところで口にすることはないだろうけど、

純粋に流行語として認識しているフレーズがない年というのも珍しい。

 

いや、お笑いのフレーズだけじゃない。

ジャンル問わず、今の時点でインパクトの強い流行語候補というのが

あまり思い浮かばない。

 

オレの中の基準で、このまま他に流行語らしきワードがでてこないままなら消去法で

本命 「おまえら、テープ回してないやろな」

時点 「NHKをぶっこわす」

の2点の逃げ切り体勢に入ったといえよう(笑)

 

重ねていうが年末もそう遠くないこともあり、流行りの芸やフレーズが不毛の年だと

各職場の忘年会にて、芸担当が困るんじゃないかと察する。

マネするべき芸やフレーズがなくて。

それこそ数年前なんて、日本全国何カ所の忘年会会場で顔を白く塗って

「ダメよー、ダメダメ!」といっていた人間がいただろうかと。

 

さて、今年はどんな芸をやるのやら。

 

マネする芸やフレーズがないと、かなりの確率で同じ職場の人間をいじる

いわゆる‘身内ネタ’におさまることは多い。

 

ただ、前にも椎名林檎の「本能」の記事の際にちらりと書いたが、あくまで芸と

しての身内いじるをやるのであれば、いじる相手は自分よりも上の立場の人間で

ないといけないというのは暗黙の了解である。

 

上の人間が下の人間をいじって笑いを誘うのは単なる弱い者いじめ・パワハラである。

お笑いは下の人間が自分よりも上の立場の人間をいじるからこそ、お笑いなのである。

また同様にいじる相手の目につく場所でやるからこそ面白い。

本人のいないところ、あるいは最後まで目につかないところでやるのは、陰口と同じ

ようなもの。

 

『チャップリンの独裁者』という映画。

これはそういう姿勢の鑑(かがみ)のような映画である。

 

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――

『黄金狂時代』のC・チャップリンが放つ、ヒトラーの独裁政治を痛烈に風刺したコメディ。

チャーリーが独裁者と理髪師の2役をこなす、チャップリン初のトーキー作品。

(amazonから引用)

 

チャップリンが演じる2人のうち独裁者のほうは名前こそ「ヒンケル」と変えられているが

説明するまでもなく誰が見てもヒトラーである。

 

『チャップリンの独裁者』という1940年に製作された古い映画があるということは前から

しっていたが、あとからしって驚いたのは、この映画が製作・撮影されたのがまだナチス全盛で

ヒトラーも存命中だったということである。

 

たいてい、政治や権力のトップを揶揄する作品というのはそれが過去の物になってから

である。

つまりは無くなってから、そして亡くなってから。

怒るとしてもそれは本人でなく、残党や遺族。

 

でもチャップリンはそれを該当団体、当事者がまだ存在するとき、しかも全盛のときに

やり遂げた。

 

当然、脅迫の類も受けた。

ドイツからは公開中止の申し出も受けたようだ。

 

しかし、チャップリンはそれに屈しなかった。

 

これはかなりすごいことだと改めて思う。

下手したら殺されててもおかしくないのだ。

 

痛烈に皮肉ったが、急に社会派コメンテーターみたいに変わったわけでもない。

これまでのようにひとりのコメディアンとしてブラックユーモアに乗せてチャップリン

らしさをそのままに揶揄したのである。

 

チャップリン演じる独裁者ヒンケルが、地球を表した風船でひとり部屋で可愛らしく

遊ぶシーンは印象的だった。

キュートと皮肉を一体化させた演出はさすが。

 

冒頭における大砲の弾?のシーンなどは、やはりクスっと笑える。

ドリフの打ち上げ花火コントで志村けんがよくやる倒れた打ち上げ花火の先から

そーっと逃げようと動くと、花火の筒がそれに合わせて動いて志村を追って狙うくだりは

やはりこれが元ネタだろう。

 

ナチス、ヒトラーというキワドいテーマを扱った作品だけに、モダンタイムスに

比べるとコミカル演出の散りばめはかなり控えめな印象だが、それでもやはり「ナチス」と

「笑い」という対極にあるものをひとつの世界にまとめたのは脱帽。

 

ヒンケルの替え玉となったチャップリン演じるもうひとつの役である理髪師が

最後にする演説。

あれこそがチャップリンが喜劇人という枠を越えながらも、喜劇人ということを捨てずに

訴えたかった言葉だろう。