初任給をしらずに僕等ロスジェネは育った | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

東大の入学式で上野千鶴子教授が新入生に投げた言葉が話題になった。

 

あなたたちのその才能を自分たちだけでなく報われなかった人たちに

使ってあげてください、とかいう旨だった。

 

ニュースを見聞きして、オレも心に響いた。

その通りだと思った。

世の中を変えたいという考えは素晴らしいが、現実は容易じゃない。

世の中を変えられる才能を持ち、やがて人も金も動かせるような強くかしこい人たちが

先頭にたって改革をしていってくれないといけない。

 

四月も終わろうとしているこの時期だからだろうか。

ニュースで新入社員相手に「初任給は何に使いますか?」とインタビューする映像が増えている。

そして例により聞かれたほうが「両親へのプレゼントを買います」と笑顔で答える。

そして画面がスタジオに切り替わると、今度はキャスターが笑顔で「素敵ですねえ」などという。

 

この一連の流れを毎年映像でみるたびに、「不思議さ」と「どこからかやってくる苛立ち」

の2つの感情を同時に感じてしまう。

 

まず「不思議さ」。

それは、‘初任給ってなんだろう????’という感覚。

そしてそれをもらったときの感覚ってどんなだろう??? っていう感覚。

 

就職氷河期世代、いわゆるロスト・ジェネレーションといわれる世代のオレはその

「初任給」というものをもらったことがない。

だから、わからない。

 

オレその他、周囲の知人にもけっこういたが大学在籍時から就活するもどこも内定が

でず、就職浪人を経験し、のちにビーイングなどの求人誌中心の応募でやっとこさっとこ

第138希望くらいの企業に採用された人間はみな、新卒採用ではなく「中途採用」だ。

 

どんな社会未経験の若僧であったとしても新卒は基本一番最初から「正社員」として

採用されるため、たとえ安いとしてもはじめての給料は月給として満額で支給される。

(違うのかもしれないけど、新卒じゃないからそもそもそこかわわからない)

 

だが、オレらが経験したような中途採用は違う。

中途採用の場合、入社してもまずはじめに試用期間とかいう意味不明のモラトリアムな

壁がある。

 

バイトでもパートでもないのに、最初の3か月から半年は時給制あるいは日給制である。

その上、入社日もバラバラなので、締日との間隔によっては最初の給料が3万円だったりする。

そんなモン(といういい方すればそれも御叱り受けるかもしれないが)でも、初任給といえようか?

ちなみのオレが社会人になってはじめての給料は締日の問題で7万円くらいだった。

翌月までが天竺やシルクロードまでの道のごとく異様に長く感じた。

 

翌月から満額になったとしても、所詮は時間給か日給。

新卒社員と同じ時間、同じ労働をしてもバイトに毛が生えた程度の収入である。

 

1万であろうが、7万であろうが、18万であろうがはじめて社会にでてもらった金が

ありがたいのは決して否定しない。

 

ただ、思想抜きのシステムや定義でいえば、オレが日給でもらったハンパな7万は

やはり「初任給」とは呼べない。

満額月給でもなければ新卒よりもずっと低いし。

 

なので、オレは働いてから1か月目で満額もらえる初任給というものがどんなもの

なのかしらないのだ。

 

お酒をまったく飲めない人が、新橋駅前で酔ったサラリーマンを見たら

「お酒に酔うってどんな感じなんだろう??」

と不思議に思うとよくいうけれど、たぶんそれと似たような感覚で、

初任給をもらったフレッシュマンの笑顔を観ていると、オレも

「初任給をもらうってどんな感じなんだろう??」

と今でもよく思うのである。

 

それに加えて、オレや一部の友人のように就職先がなかなか決まらなかった人間は

人より遅れて社会にでたため、勤めだしてもそれに対応するので精いっぱい。

それをふまえたうえで、最初の給料も3万とか5万とか半端な少額だから正直際立った

感動も嬉しさも働いたという実感もないのである。

 

仮にそれが初任給と呼べたとしても、そんな少額は雑費ですぐ消滅する。

時給日給なりに翌月満額とはいっても、新卒と違い中途採用は試用期間で

切られるリスクがあるため、大きな買い物はできないのである。

 

無い袖はふれない。

無い余裕はふりまけない。

「初任給」などという存在しないもので、親へプレゼントを買うことはできない。

 

なので、オレは嫉妬も含めて初任給というものをもらったフレッシュマンをみると、

羨ましい気持ちもありやや腹立たしい。

 

オレや他の不器用な友人たちに初任給というささやかな経験すらも

させなかった社会にも腹立たしい。

 

そして、余裕と初任給すらなかったことから、「初任給で親にプレゼント」を

できなかった自分自身のふがいなさにも腹立たしい。

(あくまで初任給のプレゼントはしてないということで誕生日とかはある)

 

はじめて社会にでて働いてもらったお金で親にプレセントを贈る。

そういうハートウォーマーなインタビューとか特集はあっていいと思う。

それはそれで大事というか必要。

 

でも現象にはオモテとウラがあるのだ。

メディアはそれをしっかり公平にとりあげてほしい。

 

初の社会人としてもらったお金で親にプレゼントを贈る温かい若者がいる一方で、

親に贈り物をするお金どころか、そのお金を得る環境すらも与えられない非正規労働の

若者がいることもまた事実です――

と。

 

もう10年くらい前になるだろうか。

日払い派遣の現場にでむいたことが数日だけあった。

 

そこでちょっだけ話した若いニイチャンがいた。

オレはスポットのバイトだったけど、そのニイチャンは正式に派遣登録したバイトらしかった。

 

明らかにオレよりかは若いけれど、それでも昭和後期生まれ暗いだろうと思っていたら

なんと平成生まれらしく驚いた。

 

言葉使いも礼儀もしっかりしている。

ヤンキーでもなければ不真面目な印象もない。

ただ、純粋過ぎてオレみたいに不器用っぽいなという感じがした。

 

大学卒業したけど、どこも決まらず派遣バイト登録したようだった。

 

昔のオレみたいだったが、オレは昭和生まれだからヘンな意味まだ自分でも納得できる

部分はあった。

もともと不器用なうえ、くわえてロスジェネと重なってしまったから。

 

だけど……

 

平成に生まれた若い人すらも、もうまともな社会人スタートすら与えられないなんて重症だ。

他人にあまり興味がないこのオレですら、この平成生まれの青年にたいしては不憫に思った。

 

それぞれの職場が設定した給与や、個人の能力差があるから多少の高い安いの差が生じる

のはしょうがない。

 

でも……

 

働く意識がある人、働きたいって思っている人たちみんなが世間のいう最低限の「初任給」

っていうやつをもらえるような世の中にしてゆくべきだと思う。

 

初任給で親にプレゼントを贈るというのが当たり前っていう感覚は持ってはいけない。

贈りたくても、そのお金を稼ぐ場所すらも与えられない若者もいるという認識をもっと

もたないといけない。

 

日雇い現場のニイチャンと会って話して、バブル崩壊の呪いはオレら氷河期世代だけ

でなく、平成生まれにまでもおよんでいるとしって切なくなった。

 

その呪いを令和にまで持って行ってはいけない。

 

 

 

2019年 4月末

もう決してもらうことのできない初任給を想いながら――。