開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

先日あることがきっかけで、ふと自分たちに番号が付けられていたこと

(マイナンバー制度)を思いだし、ふたたび怒りがこみあげてきた。

 

マイナンバーというものにもまた腹が立ってきたし、

それをつけられたことをすっかり忘れていた自分自身にも腹が立ったし、

このオレのように当時の国民が怒って抗議をしても、すこし経てば

あっという間に忘れて怒りも冷めるだろうと制度を決行した国の企み

がそのままになったという結果にも改めて腹が立った。

 

人間が感じる怒りとか衝撃とかいう感情は、やはり心の中に長期滞在せず

直ぐにでていってしまうものだなと痛感する。

 

このブログにおいては何度かとりあげている相模原障害者施設「やまゆり園」

の事件もさしげなく風化の流れになりつつある。

それはいけないことである。

 

やまゆり園事件における書籍は数冊発行されており、紹介したとおり何冊かは

参考に読んだ。

今回紹介するのはなかでも比較的最近出版された書籍である。

 

月刊誌『創』にて連載されていた手記ややりとりに加筆修正を加えたもの。

他の関連本異なるところは被告である植松聖と直接やりとりしているという部分だ。

 

 

 

植松本人の主張が記されただけに出版においてさ賛否両論があったのはけっこう

話題になった。

 

犯罪を犯したものの主張が書かれた本という意味では、やはり神戸児童連続殺傷事件の

犯人である元少年Aが書いた「絶歌」の騒動があっただけに、それを連想してしまう印象が

あるからだろうというのはこの本にも書いてあった。

 

しかし、はっきりいってしまえば「絶歌」の出版に興味をしめしたのは第3者の読者だけで

あり、被害者遺族側は誰ひとり賛同していない。

それどころかいきなり不意打ちの裏切りを喰らったようなショックだったろう。

 

被害者児童ふたりのご遺族はもう時間が経っているだけに、事件や少年Aの存在は

忘れたいと思っていたころに、あの反省していないAが自己満足に満ちた手記をだして

遺族の悲しみと怒りを再沸させたわけである。

 

しかも出版社のほうは世間や遺族から反対の声がくることをしっかり予測したうえで

出版直前まで情報をリリースしなかったわけである。

なので、それをしったところでもう「出版中止」を訴えることはできない。

できるのは今後の「出荷停止」と「販売さしどめ」どまりである。

出版社バッシングをするつもりはないが、でもこれはさすがに世の中に真実を

しってもらおうというよりも、話題に乗せた商業主義の匂いを感じないとはいえなかった。

 

だが、この「開けられたパンドラの箱」のほうは、植松のことなども思いだしたくもない

という遺族の声もあったと同時に、植松は正直聞きたくないがだけれど真実をしりたいし

事件を風化させたくないので出版してほしいという遺族の声も多くあって出版された

過程がある。

 

編集部もほうも事件をかけて遺族に気を遣って編集したようだ。

編集部曰く、とてもじゃないが植松の言葉や主張はそのまま掲載できるような内容では

なかったとのこと。

なので被害者の心情を配慮したうえでかなり削ったものの事実を歪曲したりヘンに

偏った文にならないようにしたというので、そこは評価するべきだと思う。

 

当の植松聖本人はいまだ精神鑑定のために、横浜や立川の拘置所を行き来している

ようだ。

一貫して、自分のやったことは正しいといっているらしく、そこはブレていない。

不気味である。

 

ある意味で植松という男は使命感がすごいとこの本には書いてあった。

障害者はいきていてもしょうがない。

そして税金がかさむ金食い虫だから、どうにか始末しないとしょうがない、

自分は正しいことをやったのだからと信じている。

 

植松に限らず一般社会や企業でもいえることだが、間違ったり歪んだ考えを持った

人間がぶれない使命感を持ってしまったということほどヤバくて、厄介なものはない。

 

だから犯罪から2年ほどたった今でも植松はブレないのである。

通常の犯人ならば、逮捕され起訴されたあと急に怖くなって責任逃れをしようと

供述をかえたり、あるいは病気のふりをする。

 

でも植松はそれをしない。

本にもあったが、減刑を目的として病気や精神疾患のふりをすれば仮に減刑になったとしても

それは今まで自分が主張してきたことの正当性を破棄することになるからである。

 

もう植松のことは聞きたくないといっていた被害者家族のひとりが、どうしてこの本の

出版に反対しなかったかといったら、「黙っていたら植松に負けたことになるから」と語っていた。

 

今回の事件について、警察マスコミ発表では被害者の名前はすべて伏せられていた。

それについて遺族の人は「自分に子供のことも実名で発表してほしい」といっていた。

 

他の殺人事件などでは被害者の名前が実名で報道されるにもかかわらず、

今回の事件では名前を伏せられるというその‘気遣い’が、逆に健常者と分けて差別している

ように感じられるということだ。

そして被害者となった子供もひとりの名前ある人間だったのに、障害を持っていたというだけ

で「名もなき被害者のひとり」という記号にされてしまったような思いもあったのだと思う。

 

気遣いが転じて差別になる。

これはよくあるし、とても難しいことだ。

 

小さい頃、友人数人と休み時間に鬼ごっこをやった。

オレは運動神経があまりよくなく足も当時早くなかったので、回数にすれば1回か2回だけ

だとは記憶するが友人たちが気を遣ったのかオレを‘おミソ’にしたことがあった。

一緒に走りまわったり逃げ回ったりはするが鬼にはならない役である。

 

子供だっただけにおミソに指定されたそのときは、なんとなく優越感を感じたが

あとになってなんか違和感が追ってきて、それからあれは差別されてたのかなと

感じたが、その感覚とそれほど遠くないかもしれない気がする。

 

それと、これも被害者家族によって考え方は違うと思うから一概にはいえないけど、

そこで障害者を持っている人たちだから実名を伏せたり、同時に殺された子供の名前を

ださないでほしいということは、植松にいわせればそれは

「自分の子供が障害者だと知られたくないからでしょ」

というようにも捉えられそうになり、それはやはり障害を持つということにうしろめたさや

抵抗を感じているからだとも捉えられる意味でもあるから、実名で報道してほしいと

訴えたのだと考えられた。

 

ここはとても難しいところである。

通常のイメージだと、あらゆる事件における被害者は実名で発表され、遺族は

被害者側のプライバシーを尊重すべきだと訴える。

 

しかし、いじめ自殺で我が子を失った親や、今回のやまゆり事件の遺族の方がたは

自分の子供を実名で発表してほしいという。

 

理由は、自分の子供たちが被害者というひとつの「記号」として世間に認識されるのでは

なく、ひとりの人間としてこれまで世の中に存在してきたということをしってほしいからだとか。

その思いはなんとなく通じてくる。

 

本の終盤に書かれていた対談(植松ではない)から、気になった1文を引用紹介。

 

「でもちょっと前まで、高校の保健体育の教科書には『結婚とは健康な男女が子どもを

つくることだ』って書いていたそうですね」

「福沢諭吉が言い始めたんですよね。『人の上に人をつくらず』なんて言った人が、

実は優生思想を唱えていた」

 

……

 

植松だけじゃない。

 

オレらが今までの人生で当たり前のようにおぼえてきたこと、

違和感感じることなく習ってきたこと。

 

すべてもう一度、概念の確認作業をしてみたほうがよいかもしれない。

 

衝撃さや残虐性の問題だけではなく、そういった世の中の背景もいろいろ考えさせられた

事件だった。