江ノ島chronicle (後編) -海を見た日に- | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

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インディ「パパ! 11時の方向だ!」

ヘンリー「なに? 11時になにがおこるというんだジュニア!?」

インディ「違う!時間じゃない!! 11時の方向に敵がいるんだ!!」

 

中学生の時、「インディ・ジョーンズ・最後の聖戦」を観に映画館に連れてって

もらった。これは本編の中のワンシーンにおける父ヘンリー・ジョーンズと

息子インディアナ・ジョーンズの会話である。

‘11時の方向’

オレが時刻以外のその表現をはじめてしった時だった。

あのシーンと会話は今でもオレの中で印象的に残っている――。

 

 

 

 

(本編)

 

引き続き、情緒ある道をすすむ。

夏が来れば、頭上から蝉の声の雨が降り注ぐこの道も

この時季は静かで、ずっと下のほうで波が割れる音が聴こえてくるか

どうかという空気だ。

 

前回書いた「江ノ島西浦写真館」という本の舞台同様に、

オレにはもう一カ所見ておきたいところがあった。

それは御岩屋道の途中にあるはず。

 

すこし前に「江ノ島ねこもり食堂」という小説を読んだ。

江ノ島という言葉のつくタイトルにひかれて読んだのだが、最初に手にとって

見たときの表紙のイラストは昔よく見ていた風景に似ていた。

 

その場所を確認したい。

そして、おそらくここだろうと思うところへ来た。忘れずに撮影。

 

下がその「江ノ島ねこもり食堂」という本。作者は名取佐和子さん。

 

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そして、こちらがオレの思うそのイラストの元ネタとなった場所。

みなさんはどうお感じだろうか。

 

 

小説の舞台は江ノ島にある半分亭という架空の定食屋。

実際にこの場所には遊覧亭という店がある。

そこが結びついているかどうかはさだかでないが、小説の舞台をめぐって

歩くという行為は趣があって好きだ。

 

ここからもうすこし歩くと、島の奥地である岩場の稚児ヶ淵に到着する。

緑に囲まれた道から一変して海と岩が広がるパノラマとなる。

 

 

この場所も子供のころ、とても好きだった。

 

岩の窪みにたまった水の中にいるカニや、波打ち際に運ばれてくる小魚を夢中になって

追いかけたり見つめたりしていた。

 

波が打ち寄せる岩の裂け目に腰をおろして、しばしの間、砕け散る波とそこから生まれる

白い泡を見つめながら昔を思い出す……

 

 

腹もかなり減ってきた。

そろそろコンビニで買ったパンを食べよう。

空も広いし、開放的でちょうどいい。

 

そう思って、場所をすこしずらして段差に座り直し、バッグからパンを取りだし

封を破った。

 

グラタンコロッケバーガー。ちょっと高いやつ。

せっかく江ノ島なんだから、しらすとか食えばとお思いだろうが、この日はあまり

食欲がなく、ひとりで店に入ってしっぽり食いたい気分でもなかったからパンひとつ

買って、どこかでかじればいいと思っており、きりのいいここで食うことにした。

 

一口かじる。

腹が減っていただけに美味い。

そこで一息つく、

 

ふたくちめを食べようと口に近づけたその瞬間……

 

「バシィィーーーーッ!!!」

 

顔の右側を得体のしれないワサワサしたもので思いきり叩かれて衝撃を受けた。

 

ほぼ同時に、パンをもつ右手首とそこから先の5本の指にかけても衝撃と痛みが走った。

まだ一口しか食べていないパンが破裂して、上半分が瞬間的に吹っ飛び、岩場に

ぶち撒かれた……

 

 

本当になにがおこったのかわからない。

この時ほど、呆然と恐怖の2つの感情を同時に味わったことはない。

周囲を歩いている観光客もオレのことを見ている。

それでいえば呆然と恐怖にプラスして羞恥だ。

 

残ったパンの欠片を指先に持ったまま3~5秒たっても、まだ状況が把握

できない。

いったい、オレの身になにがおこったというのだ!?

 

ちょっと頭のイカれた観光客がいて、なにか軽い毛皮のような物でふざけて

食事中のオレの顔と手をはたいたのかとも思ったが、左右を見回しても

イカれた観光客どころか普通の観光客自体が直接オレにふれられる位置には

いない。

 

左を見たあと、首をやや上にあげ、なんとなく斜めに空を見上げてみた。

 

広い空の上のほうにひとつ、いや、ふたつの黒い影があった。

11時の方向。

頭に浮かんだのは中学生の時に観たインディ・ジョーンズのスクリーン。

ただ、インディ・ジョーンズの中で11時の方向にいたのは敵であるナチスの軍用機

だが、オレが見た11時の方向にあったのはそんな大きな物ではない。

しかし、なにか軍用機に近い攻撃性と恐怖を感じる。

 

そのふたつの黒い影は、ものすごい速度で斜めに急降下し、オレの視線と同じ高さまで

きたら、今度は翼を水平にして岩場の上の宙を滑るように高速で低空飛行して、オレめがけて

飛んでくる……。

 

ここまできて、やっと状況を理解した。

 

 

トビ2匹 強襲。

 

さっきのは一撃めだ。

パンは破裂したのではない。

上空からパンを発見したトビの1匹が、オレの手をめがけて急降下してきて、

目にもとまらぬ早業でパンの半分を強奪し、また空へと飛んでいったのだ。

 

オレの顔を思いきり叩いたザワザワしたものの正体はトビの羽だ。

手首から先に受けた痛みは、パンをくわえたトビが去り際にくらわせた体当たり

だった。

 

そして、オレの指先に残されたわずかなパンの一片までも残さず奪おうとしている

トビによる第2の攻撃がすぐそこに迫っている、というのが今の現状である。

 

同じ視線の高さで低空飛行で宙を飛ぶトビと正面から目があった。

こんな体験はじめてだ。

冷たくて感情のない目をしている。そう感じた。

 

すごい速さで突っ込んでくるトビ。

本当に恐ろしかった。

同じ規模でとらえたら失礼なのは承知だが、視覚的なものでいえば戦艦の甲板にて、上空から

零戦が特攻して突っ込んでくるのを目の当たりにした米兵が感じた恐怖はこれに近いものがある

かもしれない。

 

パンの欠片をつまんでいるオレの指とトビとの間合いはもうわずか。

「このまま欠片を持ってれば、指ごと食いちぎられる…」

そんな恐怖を感じ、パンの残りを放りなげると、トビはオレの指をかすめて一度通過し、

その後に空中で軌道を変えてUターンし、岩場にばらまかれたパンをすべて綺麗につまんで

またはるか上空に去っていった。

 

 

以前からトビに注意という看板は江ノ島入り口で見かけてはいたが、

実際に襲われている人間はみたことなかった。

食べ物を持って歩いている人もいたけど、トビに襲われているのを見たこと

ない。なのにどうしてオレだけ……?

 

オレはどちらかといえば自然の動物たちを愛するほうの人間だと思っていたが

このときは、さすがに腹が立った。そしてへこんだ。

 

ド低俗の鳥公が……オレの昼飯奪いやがって。

人間だけでなく、猛禽類までが手負いのオレの心にとどめを喰らわそうとしてくるとは

思わなかった。

 

そういうわけで、昼飯はトビにくれてやった。

島の中にも定食屋はあるけど、なんかしゃくだし、食欲もさらに失せたからどこかで

改めて食べる気にはなれなかった。

腹へったなァ、ちくしょう……

 

本当はこの稚児ヶ淵はもちろん、江ノ島全体を通してゆっくりしたかったんだけど、

トビのせいでなんともイヤな気分になったのできた道を早くも引き返すことにした。

本当に腹減ったなァ、ちくしょう……

 

とりあえず入口の青銅の鳥居までは戻ってきた。

橋も渡って戻る前に、島に向かって左側にある通りも歩いた。

 

ここも賑やかだ。

観光地だけに昼間からみんなビールを飲んで、サザエや焼きイカを堪能している。

 

 

実はここでも足を運んでおきたいところがあった。

それは通りの一番奥にある店。

江ノ島は何度も来ているけど、そこまでいったことはなかった。

 

「文佐食堂」

映画「海街diary」で風吹ジュンが働いていた『海猫食堂』のロケ地となった店である。

 

 

 

映画については、またそのうち映画テーマ記事のとき改めて。

(ちなみに今回の連作の記事タイトルのつけ方、ピンときた人はすぐきたかと思われる)

 

江ノ島をあとに弁天橋をまた渡る。

渡り終えたところで、そのまま駅へ向かわずちょっと波を見つめに砂浜に立ち寄った。

 

 

とくに綺麗でもないこの海が、ただ見たかったから江ノ島までやってきた。

それにしても、腹減ったなァ……。

 

ドラマ「とんぼ」のオープニングでは長渕剛がスーツ姿で傘さして、こんな海の中から

あがってきたなあと、ぼんやり思いだす。

 

水も波もグレーだ。

だけどオレは江ノ島が好きだし、他の多くの人も好きでこの場所にやってくる。

 

これくらいの水の色と風景がオレには身の丈相応なんだろうと思う。

だから江ノ島が好きなんだ、きっと。

 

自分を含めた10人の人間がいたとする。

他の9人はそれぞれが5つの果実を手にしている。

 

周囲より多くの果実を持ちたいなんてことは願わない。

だからオレも同じように5つの果実を持ちたいといったら「贅沢いうな」といわれた。

ちょっと遠慮して「じゃあ、4つでいい」といったら、それでもまだ贅沢だといわれた。

 

考えてもどうせ答えなんてないから、自分の年齢も忘れて貝を片手に砂色のカニと

戯れていた。

右の頬には、トビの羽の温度の気持ち悪さがまだ残っている。

 

 

雨宮まみというライターさんが著書でこう書いていた。

 

「あほらしいことに関わらず生きていこうとするのは、けっこう難しいものだ」

「楽しいから生きているわけではない。でも、生きている以上、楽しいことがなければ

希望を持てないから、私は必死に楽しいことを求め続ける。まるで希望の奴隷のようだと

思う」と。

 

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さて、そろそろ家へ帰ろう。

 

トビに多少気分を壊されてしまったが、いくらか気分転換にはなった。

またすこしたったら、ここにこよう。