江ノ島chronicle (前編)  | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

海が見たい。

ここ最近ぼんやりそう思い続けていた。

 

どうして海が見たくなったのかと理由を訊かれても答えられない。

「海が見たくなった」という心境が、理由そのものだから。

それ以上の答えはない。

 

やはり小さいころ、よく連れていってもらった江ノ島がいい。

近いし、懐かしい。

事情があって今は小説の執筆も出来ない状態だが、何度も報告している

ようにその舞台は江ノ島だ。

気分転換だけでなく、肉眼でみた景色の記憶の更新取材もかねてゆくという

理由づけもできる。

 

そういうことで先週、曇り空の下ひとり江ノ島へ向かった。

 

小田急線に乗り込み、藤沢駅で片瀬江ノ島行きへ乗り換える。

 

あと数駅で海のある終点という位置になるのに、藤沢駅には海の気配がない。

それが逆にいい。

 

 

片瀬江ノ島駅は海を意識して竜宮城を思わせるような建築物になっている。

 

細くて長い小田急江ノ島線の車両はオレにとって、その竜宮城までいざなって

くれるリュウグウノツカイ。そんなイメージ。

 

機械仕掛けのリュウグウノツカイに乗って揺られながら片瀬江ノ島駅に到着。

約2年ぶり。

 

改札をでたら海から吹いてくる潮風の出迎え。

 

駅前ロータリーの右にはハンバーガーショップが一軒、そして左には土産物屋が数軒。

ほとんどの土産屋がシーズンにはまだ早いといわんばかりにシャッターを

閉めた蕾状態だが、一軒だけ開花時期を早めてしまった桜のようにシャッターを

あげていて、その軒先に浮き輪やビーチボールのカラフルな花を咲かせていた。

 

目の前の橋の中央には昔から変わらず雲と裸婦の融合したようなモニュメントが佇んでいる。

 

その橋を渡れば、江ノ島へと渡る弁天橋のたもとへと続く地下道がある。

近くにあったコンビニで昼食用の惣菜パンを一個買い、通路を降りた。

 

 

子供の頃、この地下道を通るのが好きだった。

いや、大人になった今でも好きだ。

ここをくだるとなんだかタイムトンネルを歩くみたいで心が弾む。

抜け出た時、もしかしたら自分があの夏休みの少年に戻っているんじゃないかと

妄想したりする。

 

観光客は多いが、まだ海水浴シーズンではないので洋服をきて歩いている。

 

この地下通路は下で三方向に別れ、ふたつは砂浜に直結している。

なので、シーズンになると水着姿の男女や家族連れが当たり前のように往来している。

 

シーズン真っ只中は、通路の地面が海から上がってきた人たちが肌やサンダルの

裏から落していった砂の絨毯が完成されて、歩くと地面がシャリシャリと鳴いていた。

この時季はまだ海水浴客がいないから砂の絨毯は敷かれていない。

 

小学生の時、家族で江ノ島にきて、島へ向かおうとこの通路を歩いていたら、海水浴に

来ていたビキニのおねえさんたちのグループが前から歩いてきただけで、なんだか

とても恥ずかしくなり、体温が一気にあがったものだった。

 

海水浴もそれはそれで楽しいんだけど、大人になってからは海で泳ぐよりも島をゆくほうに

楽しみと趣きをおぼえた。

 

それもシーズン前、まだ賑わいをひそめている島、砂浜、そして海がいい。

まだ水着やパラソルの色がうるさくない静かな風景の江ノ島を歩くのが好きだ。

 

海を見ながら弁天橋を渡る。

欄干の外側を見る。

お世辞にも綺麗とはいえないグレーの海。

だけど見ていると落ち着くのはなぜだろう。

 

橋を渡り終えると、江ノ島だ。

前方には江ノ島の入り口の象徴ともいえる青銅の鳥居が見える。

 

 

 

子供の頃に連れてきてもらったときから、この鳥居、そして鳥居をくぐった先にある

道が大好きだった。

 

この鳥居を目の前にして改めて、江ノ島に来たということを実感していた。

そして、この先にオレの夏休みがあるんだと思っていた。

 

算数の授業で先生にさされ、答えを間違えて笑われることもない。

大嫌いだった球技大会もない。

クラスのカースト制度からも解放される。

そんな空間に江ノ島は浮かんでいた。

 

焼夷弾のように降り注ぐ嘲笑、学力もしくは身体能力差別、そして偏見。

心に着火した一片の火は瞬く間にコンプレックスという炎となり、長い間、

身を包んで焼き続けた。

 

防空壕……

そう、オレにとって夏休みというのは、そんな状況下から避難できる防空壕のような

季節だったかもしれない。

 

本物の防空壕は崩れない限りいつまでも隠れていられる。

しかし、夏休みは、一か月もすればいやでも抜け出ることになる。

違いはそれだけだった。

 

鳥居をくぐって仲見世通りを歩く。

どこの店も賑わっている。

子供の頃にはなかった洒落たガラス細工の店なども江ノ島に進出していて、若い

女性客が出入りしている。

 

仲見世通りでひとつ確認しておきたいことがあった。

それは途中ひっそりと横に伸びている路地だ。

そう、ここ。

 

 

店ばかりに気をとられていたり、前だけ見て歩いていると見過ごしてしまい

そうな細い路地。

 

以前、記事でもちょっとだけ紹介したが「江ノ島西浦写真館」という小説を読んだ。

おそらくこの道の先に西浦写真館がある設定だと思った。

 

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過去にもなにげなくこの路地は歩いたことあった。

だけどそのときはまだ、この本を読んでいなかった。

 

西浦写真館という名前の店は実在しないだろうとはわかっていたが、もしかしたら

名前は違えどモデルとなった写真館とかあるのかと、一応確認してみたく歩いたが

定食屋だけで写真館らしきものはなかった。

 

江島神社を越えて、さらに先へすすむ。

 

毎回紹介しているが、江ノ島の中でオレが好きな景色が見える場所のひとつだ。

 

 

眼下に広がる海。

その海を囲むような樹々の葉がおりなす緑のフレーム。

誰も覗かないコイン投入式の双眼鏡。

 

最高だ。

ここからの景色がみたいがために、わざわざ江ノ島まで足を運ぶといっても

過言ではない。

 

額にかすかに汗をかきながら階段をさらにあがる。

階段の途中に昔からあった写真屋が閉店したような感じになっていた。

 

階段をのぼり切ると、亀ヶ岡広場にでる。

 

時間も正午あたりだし、この広場で昼飯のパンを食べようかと思ったが、

もうちょっと歩いてからでもいいかと思い、食べるのをやめた。

だが、この判断がのちの後悔を招くことになる。(詳細は後編で)

 

広場から先は岩場へと続く道だ。

この道も風情があって昔からとても好きだ。

 

手作り感満載の博物館。

さまぁ~ずもかの番組で立ち寄っていた。

入ったことはないが、ここもまた子供のころから目にしていた気がする。

 

 

ちなみに最近の江ノ島は各エスカー乗り場やお店の前にご当地のガチャガチャがたくさん

設置されていて、外国人観光客がそれをやっている光景を見かける。

 

階段の上り下りを繰り返し先へゆくと、「山二つ」という展望地点がある。

 

その名の通り、この場所がちょうど江ノ島を二分する地点らしい。

 

 

ここもまた江ノ島を歩くたびに、足をとめて眺めていた好きな場所のひとつだ。

 

この場所に来て景色を眺めると、毎回「ルビンの壺」を思いだす。

 

ルビンの壺というのは、見方によってあるいは人によって、壺に見えたり、ふたりの人の

顔が向き合っているようにも見えるあの「だまし絵」である。

 

両側に断崖はあるが対象というほど左右の形状が似ているわけでもない。

だから実際に比べてみると、ルビンの壺とはまったく似てない風景なのだけれど、

ここでこのアングルをみるたびに、まるでパブロフの犬のように反応してルビンの壺が

脳内に浮上してきてしまうのだ。

 

それはさておき……

 

海と断崖が創造する江ノ島の壮大な自然は美しい。

 

しかし美しい自然がある場所には魔力も存在する。

とくに水がある場所は。

 

東尋坊も華厳の滝も、日本が誇る自然であり有名な観光名所でもあるが

同時に自殺の名所でもある。

感動させる力もあるが、失わせる力もある。諸刃の剣のように。

 

しかし、江ノ島ではあまりそういう悲しい話を耳にしない。

これだけの自然があるにもかかわらず。

 

それはきっとこの地に温かいものが流れているからではないだろうか。

島の体温のようなもの――

 

冷えた心を抱えて訪問してきた人たちにも、島はその体温をそっとわけあたえている。

それが江ノ島という島なのだ、きっと。

 

だから人はここへやってくる。

そしてオレも。

 

さて、先へすすむとしようか――

 

 

(後編へ続く)