水木しげるの墓地、つげ義春の聖地 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前回の記事でゴジラというワードをちらっとだしたのだが、

下の画像はそのゴジラのオブジェである。

 

 

設置してあるのは調布市にある「くろがねや」というホームセンターの駐車場の片隅。

 

手前の碑を見ると、しっかり「竣工記念 東宝株式会社」と表記されている。

つまりは公認、というか公式。

 

そう、我が府中市のすぐ隣に位置する調布市は映画関連の会社が多いシネマシティ

なのである。

 

シネマだけではない。

調布市は漫画カルチャーとの縁も深いのだ。

 

日本において漫画文化や、多くの漫画家に影響を与えた水木しげるや、つげ義春が

住んでいた(いる)ことでも有名である。

 

それに流れもあり、4月に発売された「散歩の達人」の府中・調布特集号の表紙も

ゲゲゲの鬼太郎だった。

 

 

 

当然読んでみた。

 

水木しげるが調布にいたことはしっていたけど、今眠られているお墓も調布だということは

恥ずかしながらしらなかった。

てっきりお骨は故郷に戻ったのかと勝手に思い込んでいた。

 

お墓の場所を確認すると、すぐ近くは何度も通ったことのある場所で、自転車で20分ほどで

ゆける距離ではないか。

その他にも水木しげる作品や、水木氏と親交の深かったつげ義春氏ゆかりの場所もちらちらと

周囲にあるようで、これは是非と思い先日巡ってきた。

 

自転車で甲州街道を府中から東へと走らせる。

ちょっと前にレンタサイクルでイヤ~な思いをした駅のすぐ近くにある味の素スタジアムの前を

過ぎれば各目的地はもうすぐだ。

 

お墓の前に、まず最初の水木聖地。

 

「八幡神社」

 

 

この日は中まで入らなかったが、ゲゲゲの鬼太郎の原作の中でネコ娘が

住んでいる設定になっている神社である。

 

鳥居をくぐったその先にある神社の縁の下にネコ娘はいるようだ。

そこで妖怪同士の合図である口笛をピューと吹くと、ネコ娘に会えるかもしれない。

 

水木しげる先生が眠っているお寺はそこから数分の住宅街の中にあった。

「覚證寺」

 

 

この日は境内の樹々の手入れがあったようで、業者さんの車が中に停まっている。

 

門を入り進んで、建物の右側に奥の墓地へと続く通路があるのでそこをすすむと

目の前にお墓が広がり、水木しげるのお墓はすぐに発見できた。

 

過去に別記事で書いたとおりだが、たとえ有名人であったとしても自分の身内以外の墓石を

勝手に撮影するのは基本的にマナー違反になる可能性があるため、今回は水木家の敷地内

の墓石は撮影せず、外枠のレリーフと囲いだけ撮影と報告。

 

入口左右では、デフォルメされた鬼太郎とねずみ男が、眠っている先生を見守っていた。

 

こちらはゲゲゲの鬼太郎。

 

 

こちらは原作好きならば通じるビビビのねずみ男。

 

 

お墓の囲みでは、先生が描き続けてきたたくさんの妖怪たちが今でも息づいていて、

とても賑やかだ。

先生もさそかし喜んでいることだろう。

 

 

物心ついたことから、オレは鬼太郎が好きだった。

 

誕生日には決まったように鬼太郎図鑑や妖怪大百科を買ってもらっては

部屋で熱心に見ていた。

 

鬼太郎が暗闇を歩いている風景があり、その風景の中に何匹かの妖怪が

隠れているのを見つけるページがあって、それがとても好きだったのを

今でも憶えている。

 

大学4年生の時、週刊少年チャンピオンでおなじみの秋田書店の新卒採用に

応募したことがあった。

応募選考のひとつに「偉大だと思う漫画2作品について作文を書け」という課題があって

「ゲゲゲの鬼太郎」と「銀河鉄道999」の2作品をテーマとして書いて郵送したら、通過した。

 

銀河鉄道999は主人公テツロウがその都度訪れる惑星に事情があり、それが環境

汚染だったりいろいろ社会的で、ゲゲゲの鬼太郎は人間の行動がきっかけでおこした問題で

静かに暮らしていた妖怪が狂って暴れ出し、どうにもできず結局鬼太郎に解決を依頼する

ところがなんとも人間社会のアイロニーをえぐりだしていると感じると書いた。

 

人間が起こした問題で妖怪と妖怪(鬼太郎)が血を流して戦い、騒動のもとをなった張本人の

人間はなにもせず傍観するだけ。

やがて鬼太郎が妖怪を退治するなり、説得したりして解決したら、その時は鬼太郎にお礼を

ゆうももの、またすこししたら同じ過ちを繰り返し、鬼太郎が戦う悲しいループとなる、という

旨を作文に書いたのだ。

 

我ながらちょっといいことを書いたなあと思っただけに書類は通過して、本社面接までいったが

例により作り笑顔やマニュアルポジティブ発言ができないオレなので、その面接で落されたが

交通費1000円支給されたのは嬉しかった(笑)

 

そんな感じで、ゲゲゲの鬼太郎という作品はオレにとっても、すべての人間にとっても偉大な

道徳作品であると思う。

単なるオバケモノやバトルモノではないのだ。

 

いろんなことを教えてくれた水木しげる先生に感謝しつつ、墓前で手をあわせ、お寺をあとに

した。

 

覚證寺のすぐ近くにある店がこの中華料理や「八幡」である。

 

 

 

近くに住んでいた水木しげる先生がよく通って食事していたというのもあるが、

まだ改装前の木造だったころ、この町中華の2階にあった部屋に同じ漫画家の

つげ義春が下宿していたのだ。

 

当時その2階の部屋でうたたねをしていたつげ義春先生がみた夢があの名作、

「ねじ式」の元ネタとなった風景だというではないか。

つまり「ねじ式」の生誕の場所はここなのだ。

 

なんとも気だるくも幻想的な悪夢を描いたような名作「ねじ式」。

ごく当たり前のように、漁港の民家と民家の間から機関車がでてくるシーンはある意味で

衝撃的だった。

 

つげ先生は千葉県の房総半島を愛していてよく足を向け、あのシーンの舞台は

太海という駅から歩いたところにある漁村である。

どうしてもその場所を見たかったオレは、数年前に18切符で友人をつきあわせ、

いってきた(笑)

 

※当時まだガラケーだった時撮影した画像

4

 

「ねじ式」はてっきり本人が太海の漁村を歩いている時に浮かんだ世界観なのかな

と思っていたが、実は調布の下宿先で見た夢から生まれた案だったとは意外。

 

太海は太海で歩いたんだろうけど、そのときはとくになにも考えておらず、帰ってから

見た夢でまたその風景が出てきたと捉えるべきなのだろう。

 

鳥山明の作品である「アラレちゃん」。

そのアラレちゃんが通っている学校のクラスにキツネのお面を被った少年がいるのを

しっている人は多いと思う。

彼にはちゃんとした名前がある。

「ねじしき君」。

 

つげ義春の描いた「ねじ式」の中に登場する機関車はキツネのお面を被った少年が機関士と

して運転している。

アラレちゃんのクラスにいる「ねじしき君」の元ネタとなったキャラはもちろん彼だ。

 

今や世界的な漫画家である鳥山明氏にさえも大きな影響を与えたつげ義春氏の突き抜けた

シュールで不条理な世界観は凶暴なくらいに美しい。

とくに「ねじ式」は。

 

そんな名作がこんな近くで誕生していたなんて、改めて震えてしまった。