侵略する指導者たち | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

社会人としてはいったはじめての会社では、とんでもない先輩の

下につくことになってしまった。

今でも思いだすと、怒りのマグマが湧きあがってきそうだ。

仮にA先輩としよう。

 

入社まもなくは新人なので当然、先輩と同行するわけである。

 

取引先や新規開拓先である首都圏の書店を回るのだが、

最初数件は先輩の営業の様子をただそばで見て、仕事の雰囲気を

しるような感じである。

 

それを2日くらいやったあと、例によってひとつの店の前に来たとき、

「じゃあ、この店は練習もかねて○○くんがちょっと営業かけてみて。

外から見てて、なにか困ってそうだったらあったら助けに入るから」

というような流れになる。

 

見よう見まねで自分ひとりで担当者と交渉したら、ちょうど相手のニーズと

タイミングもあったこともあり、その場で注文書をもらえたりする。

 

喜んで注文書を手にし、店の外にでてそのことをA先輩に報告する。

するとA先輩は

「よかったね」

とひとこといったあと、

「○○くんはまだ注文書の処理の仕方とかわからないと思うから、それはボクが

やっておくよ」

といったので、注文書を渡した。

 

少し経って社内ネットワーク上にある個人新規獲得数データの存在をしり、

それを見てみたら、新人としてのオレの名前も既にそこにあるにもかかわらず、

オレが注文とったその店の新規契約は、オレの枠じゃなくその先輩の枠に

カウントされていた。

 

ありえないということは社会人1年生のオレでもわかった。

 

普通入社したばかりの新人と同行したら、とった1件くらいは自分が交渉しても

あえて後輩にあげたりするのが通常だ。

仕事の流れをしってもらうキッカケの1件としても。

 

しかもオレの場合は完全にオレがひとりで獲った契約。

どう譲ってもその数字が先輩にゆくのはおかしい。

横取り以外の何物でもない。

 

やがて新卒の後輩が入ってきて、自分が先輩になったときも、

そのありえないA先輩は新卒相手に同行したとき、まったく同じことをやっていたようだ。

 

さすがの新卒もオカシイと思ったのだろう。

同行の翌日、

「○○さん(オレ)、A先輩と昨日同行したんですけどあの人、ボクがとった注文も

自分がとったことにして日報に書いてるみたいなんですよ」

とオレに相談してきた。

 

あとから調べたら、A先輩はどうやらオレが入社する前から、新人の初契約を横取りする

常習犯だったらしい。

 

Aという先輩の罪はそれだけではない。

すべて書いてやりたいが、書くとキリがない。

 

とにかくその神経回路を疑うくらいひどかった。

他人がきいたら、「いくらなんでも、それはエピソード盛り過ぎだろう」と信じて

もらえないほど常軌を逸していた。

自分のミスをしらけて部下に押し付けるのは当たり前。

だけど、部下や新人の成果は涼しい顔して、自分のものとして上に報告する。

会社の部署としてのちゃんとした飲み会なのに、嫌いな人間にはその予定を

おしえず参加させない。

まあ、とにかくひどかった。

 

いい大学でてたから学力は高かったのだろうが、アタマはちょっとイッチャッテいた人

だったので、途中逃げるように転職して別に会社にいったのだが、風の噂では

やはりそっちでも問題児扱いされてクビにされたらしく、最後の日に逆恨みでマジで会社に

火をつけて話題になったらしい。(ボヤですみ、騒動は会社がモミ消したとか)

 

本が好きでその流通に関わりたかった背景もあり、就職浪人してやっと入った会社で

当時はまだ仕事がいくらか好きだったが、その先輩の存在のおかげで本にかかわる

仕事までもが嫌いになりそうなこともあった。

ほんとに大迷惑だった。

 

トラウマというものは当時の心境だけでなく、その時ちょうど目にした風景とリンクして

脳にインプットされてしまうことがあると思う。

 

その物自体は別に嫌いじゃないんだけど、それを見ることで嫌だった思い出や光景を

思いだしてしまうという、いわばフラッシュバック的なものだ。

 

若かったオレがその時いくらか楽しいと思っていた仕事にたいして、嫌になりかけたように

対象の本質とはまったく別のものがそこに存在することによって、本来好きだったものが

嫌いになってしまうことは少なくないじゃないかと思われる。

 

その主なものがまさに職場なり、サークルなり、スポーツチーム内なりの人間関係では

ないだろうか。

 

最近、日大アメフト部の悪質タックルの話題が絶えない。

 

もうご存知のとおり、オレはプロ野球以外はスポーツ全般に興味ないから、もちろん

アメフトもよくしらないんだけど、テレビつければその話題だから、だいたいどんな流れか

はわかる。

 

アメフトには興味ないけど、さすがにあのタックルしたほうの選手の会見はなんとも

やるせなく可哀想だと思った。

 

あの若さにしては、すごくしっかりした会見だなと感じた。

オレが二十歳そこそこだったら、あんな落ち着いた会見はできない。

そして開始30秒でそっこーで、「監督からやれっていわれました!!」といっている

に違いない(笑)

 

断る勇気とか、相手が上に人間だろうと反対する勇気だとかいう人もいるけどね、

綺麗事抜きで現実、権力図の世界の中でそんなことなかなかできない。

自らプレーすることなく、事後報告としてをテレビ前に見聞きしてるからなんとでも

いえるだけ。オレもそう。

 

タックルをした選手は「もうアメフトはやりたくない」といっていた。

オレとしては反則を命令させられたということよりも、そっちのほうが可哀そうに思えた。

 

あの発言は申し訳ないから謹慎するとかいう意味ではなくて、彼の中で本当に大好きだった

アメフトがトラウマ的な忌々しいものに変わってしまったんだと思った。

そう思うとなんとも切ない。

 

なんだか難しいけど、彼を責めるつもりはない。

ただ、もうついていなかったというしかないんだろうか。

彼に限らず日大アメフト部員においては。

 

あくまで指示があったという仮定で話しているけど、聴いている限り自分の責任をすべて

若い学生選手に転嫁しているようにしかみえないあの元監督。

そして途中から急に話題にあがってきたあの微妙にアウトレイジ的な雰囲気醸し出している

元コーチ。

たまたま好きで入ったスポーツチームの指揮者がそんなふたりだったという運の悪さとでも

いおうか。

 

今回のこのふたりの最大の罪は、反則指示でも責任転嫁でもなく、ひとりの若い学生が

大好きでだったものを奪い、しかもそれをトラウマに変えてしまいつつあることだとオレは

感じる。

 

マスコミや世間がこの話題に飽きても、タックルしてしまった選手がふたたびアメフトをやりたい

と思うようになるかどうかはわからない。

この事件の最大の闇はそこ。

ある意味で人間社会の縮図に近い。

 

好きなことをできる世界に飛び込めたとしても、その中での人間関係というものの

存在は大きい。

対象が自分より権力ある人間ならばなおさらだ。

 

オレはよく、このブログでスポーツは嫌いだと書いている。

たしかに好きじゃない。

 

だけど冷静に考えてみると、野球もサッカーもバレーもバスケも、ゲームそのもの自体は

楽しいと思えた。

 

学校の授業でやるわけでもなく、勝ち負けに固執するわけでもなく、偉そうに仕切るリーダー

がいるわけでもなく、本当に仲のいい友達と細かいルール関係なく遊ぶぶんにはけっこう

楽しいのだ。

 

オレがスポーツ嫌いになった理由はもちろん運動神経の鈍さもあるが、要素として多い

部分を示すのはやはり、小学校や中学校のときの球技大会で、運動神経のいいヤツが

張り切って仕切って、スポーツできない者をお荷物扱いするような背景が大きいと思う。

 

オレはそういう風潮を先生やリーダー的なやつに訴えた時があった。

でも、悲しいかな、通じなかった。

 

先生やスポーツ好きの人間のいいぶんには

「だけど」

があり、そして「でもやっぱりスポーツは素晴らしいから」

で終わらそうとする。

 

「そういう人間はちょっとクズだけど、でもスポーツそのものは良いものだから」

とはいうが、

「スポーツは素晴らしいけど、でもスポーツ好き人間のそういう悪いところは直させないと

いけないな」とはいわない。

自らがスポーツ好きであるだけに、必ず否定から肯定で終わるのだ。

先に肯定して、あとから否定することはまずない。

だからそのへんにかんしてはもう諦めた。

無駄だなと。

 

ちょっと脱線したが、スポーツが好きじゃないそんなオレでも今回の件のタックルした選手に

ついては可哀想だと思った。

 

アメフトは観ないし興味ないけど、彼にはまたアメフトをやってほしいと思う。

どうしてもアメフトに戻れないのならば、アメフト以上に好きなものを見つけてほしいと

心から思う。

 

今回の事件に限らず、他人の大好きなことやその興味を奪ってしまうということは

大きな罪だ。

まして人の上に立つ者が絶対にやってはいけないこと。

 

職場でもスポーツでも、上に立たせる人間だけは間違ってはいけない。

指導者というのは、過去にプレイヤーとしての功績がある人間が立つのではなく、

下の人間を守り抜ける人間が立つべきなのではないだろうか。