山の叙景 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

―― いや、もっと ずっと以前から そうだったのだ

――なにか不吉な重いながれのようなものが

ぼくの心を駄目な方へ 駄目なほうへと おし流すようで……

 

――いたたまれなくなっていたのだ

―いっそ駄目になってしまえたら……

 

―― どれほど気がらくかしれないと思っていた。

 

これはつげ義春の漫画「やなぎや主人」の主人公が海をみたくなって房総行きの電車に

飛び乗った時の心の声だ。

おそらく、当時のつげ義春本人の心境でもあると思える。

 

遠い心境ではなかったかもしれない。

無我夢中で救命艇に飛び乗るようにして京王線に乗り込んでいた。

今日のことではない。

 

とりあえず憂鬱が追ってこれない場所で、すぐにゆけるところ。

思いついたのが高尾山だった。

 

1年前かそのへんにもひとりできたが、またやってきた。なんとなく。

解放感を感じたいとかいう気持ちより、とにかく山に登って肉体を無理やりにでも

疲労させれば、いろいろ悩む余裕も削減するだろうという想い一心でここまでくるしか

なかった。

 

 

硬いムササビは変わらずそこにいた。

 

1年前以前も何度かきたことがあるせいか、到着したら自然と足が1号路のほうへ

向かうクセがついていて、この日も気づくと1号路の入り口から数歩入っていたが

ハッとして一度また降りた。

 

高尾山は気軽に登山できる低山だが、麓と山頂をつなぐ路の組み合わせは意外と

多い。

 

毎回同じルートで、1号路スタートではつまらない。

せっかくだからもっとも険しい尾根の「稲荷コース」から登って、帰りはいつも行きで

歩いている「1号路」で下山することにした。

 

稲荷山コースはかなり険しかった。

地面を木の根っこが走っている。

なんとなく懐かしい感じがする道。

はっきりとはおぼえていないが、おそらく子供の頃遠足できたときに、このコースを

登ったんじゃないだろうかと思う。

 

 

のぼりはじめてそんな経たないまま、見晴台があり、休憩できる東屋があった。

これも昔見た記憶がある。

 

まだそんな疲れていなかったが、なんとなく東屋の中でちょっと座ってみたくなった。

先に休憩していたハイカーの人たちにまざって、1,2分だけちょこんと座って出発した。

 

高尾山は都内では貴重な自然と動物の宝庫だ。

だからムササビも有名。

だけどムササビは夜行性だから、あまり登山客とは遭遇しない。

なぜかオレはヘビに出逢いたい気分だった。

でも、そう簡単に出逢うことがなかった。

 

ヘビには出逢わないけど、前方から降りてくる人たちがオレに「こんにちわ」と

挨拶をしてくれる。

誰かと一緒に登っている時に挨拶されるよりも、ひとりで登っている時に挨拶される

ほうがより嬉しく感じるのは、きっと自分の個としての存在を認識できるからかも

しれない。

 

2時間もかからないうちに山頂の広場についた。

もう何度も来て、見ている場所なので感動はない。

感動はないけど飽きることもない。

その身近さが高尾山のいいところなのかもしれない。

 

 

広場の見晴台からずっと先にほうには相模湖ピクニックランドの観覧車が見える。

 

この場所に限らないが、各地の展望台や見晴台から遠くに見えるミニチュアのような

観覧車の存在が昔から好きだった。

子供の頃、そういう景色が見える場所に連れてってもらった日、家に帰ってから

その風景をへたくそな絵で画用紙に書いたりしていた。

 

高尾山の標高は599メートル。

その正直さも好き。

あと1メートルで600メートル。

だけど、ごまかさない。

その心が日本人の素晴らしいとこだったはずなのに。

 

歌舞伎町やアメ横では中国人や韓国人の姿が目立ったが、高尾山では

欧米の人の姿が多く、逆にアジア系はほんのわずかしか見かけない。

これも民族別の興味のベクトルの証明なのか。

 

白人のカップルが山頂の茶屋で瓶ビールを飲みながら蕎麦をすすっていた。

美味そうだと思った。

美味そうだと思った自分にちょっと安心する。

そこで美味そうだとも不味そうだとも、なにも思わなかったら……

それはもう、そういう精神状態を意味する。

 

山頂でとくになにをするというわけでもない。

ただ、そこでしばらく腰をおろしながらぼーっとしていたかった。

ここにいるとなにかに追われている気がしない。

本当の暴力というものは形をなさないものなのかもしれない。

理解力なき優しさというものは時に最大の暴力となる。

 

まだ10代後半か20代前半とおぼしき男性グループが1号路のほうから

到着して山頂の広場を目にして笑いながら「全然感動しねえー!」といいあっている。

 

囲いに座って休んでいる若い金髪カップルはペアの白いTシャツで汗にまみれ

女性のほうはまるで見せつけるかのように後ろを通る登山者たちに透けたブラジャーの

線をさらしているが、その色はケバケバしくてまるで高尾山の神である天狗にたいして

失礼であるかのような印象をうけた。

 

国際色と人間模様が賑やかになり過ぎてきたことから、オレは下山すべく1号路のほうへ

向かい、そして下り坂を降りていった。

 

横にある茂みからなにかが出てきた。

ヘビだ。

願いが叶ったのだろうか。

 

 

周囲をゆく登山客を気にすることもなくヘビは歩道を横断していった。

 

写真を撮ろうとしてちょっと距離を保ち、正面にいってレンズを向けるとヘビは

一瞬こちらを見たあと、2度見してビクッとのけぞった。

ヘビも人間くさいリアクションをするのだなあと思うと、つい笑ってしまった。

二度見した時のヘビの目がやけに可愛く映った。

 

1号路の途中でもいくつかの道への分岐点がある。

だけど高尾山にきたら、行きか帰りのどちらかでは薬王院を通りたいと思うのが性(さが)だ。

 

久しぶりのつり橋ルートも捨てがたいが、ここはやはり薬王院の土を踏んで下山することに

する。

 

途中でこんな石があった。

今までもあったのだろうか? 記憶にない。

 

 

「自らの業の重さを感じてください」と書いてある。

 

新潟の彌彦神社にあった石みたいだ。

持ち上げた時に感じる重さで、自分の業の重さがわかるらしい。

 

両手で持ち上げてみたら、それはとても重たかった。

 

 

上から天狗様が見下ろす薬王院に到着。

 

 

ここも小学校の遠足はじめ、もう何度も来ているから新鮮味はあまりない。

だけど、とても落ち着く好きな場所だ。

 

天狗様の見下ろすさい銭箱にお賽銭を入れて手をあわす。

 

あらためてこの一帯を見渡すと、お賽銭をいれたりする場所があちこちにある。

 

前にきたときにも鳴らした記憶のある願い事の鐘があり、その鐘の下の岩にも

小銭が置かれている。

ここで鐘をならして願いを込めた参拝客の人たちが添えていった小銭だろう。

 

冒険映画の名作である「グーニーズ」の中で、願い事の井戸という場所の

下にグーニーズのメンバーが通りかかるシーンがあり、こういうふうに石や岩の

上の硬貨が置かれた風景を見ると、オレはいつもその願い事の井戸のシーンで

グーニーズのひとり、マウスがいったセリフを思いだしてしまう。

 

海賊ウィリーの財宝を探す旅にでたグーニーズは、強盗フラッテリー一家の追跡を

ふりきって、地下道から洞窟へと入る。

 

その洞窟を歩いてゆくと、たくさんのコインが落ちている場所を発見。

宝にたどりついたと喜び、コインを拾いまくるメンバー。

 

だが、実はそのコインは宝ではなかった。

その場所の上は願い事の井戸という名所で、メンバーがいる場所は訪れた観光客が

願い事を叶えるためにコインを投げ入れている井戸の底だったのだ。

 

それにいち早くきづいた年長メンバーが、他のメンバーに

「それは宝じゃなく、人が願いを込めて投げ入れたものだから拾うな!」

と呼びかける。

 

そんな中、メンバーのひとりであるマウスはぼそっとこういって、コインを1枚だけ

ふところにいれる。

 

「この1枚はオレが投げたものだ。だけど願いは叶わなかった。だから返してもらう」

 

この一言はとても当時とても印象深かった。

けち臭いとか神さまにたいしての気持ちとかそういうことの向こう側にある哲学を

子供ながらに感じていた。

 

おさい銭というものは願いをかなえるために投げるものではなく、神様に感謝する意味で

投げるものかもしれない。

かといって、さい銭だけさんざん受け取っておいて、一部の人間には幸せや富を与えない

不公平業務はいくら神とはいえ、詐欺に値するはず。

 

この鐘の前でちょっと思った。

1枚の硬貨の片面に自分が書いたとわかる印をつけておいておき、すごくささやかな

願いだけ祈って去ろうかと。

そして1年後、そのささやかな願いすら叶わなかった場合はまたこの場所にきて

印を書いた硬貨がまだそこにあったら返してもらおうかと。

 

でも、やっぱりやめた。

もう余計なこと考えるだけ脳みそが痩せるだけだ。

 

軽く周囲を散策して、そのまま下山。

 

途中、ケーブルカー乗り場を通過。

周辺にはサル園やタコ杉もある。

夏になればビアマウントもオープン。

 

このへん一帯は通りかかるだけで落ち着く。

 

ゆっくり下ったので高尾山口駅に戻ったのはもう夕方5時くらいだった。

 

体はほどよく疲れていた。

 

気分的になんとかすこしだけ延命したといったところか。

 

近場ということもあり、これからちょくちょく逃避しにくるかもしれない。