永田洋子「十六の墓標(上・下)―炎と死の青春」他 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

オリンピックにおいて、北朝鮮の美女応援団がテレビでやたらと話題になっている。

とりあげればとりあげるだけ、そして映せば映すだけ、自分の国に注目してほしいと

いう北朝鮮の思うツボなわけだから、個人的にはどうでもいい扱い程度にしていただき

たいところ。

 

ただ、じっくり映像を観てはいないが、ぱっと見た感じではたしかに美人ばかり集めて

はいると思った。

 

当たり前のことだが、評判がよろしくない国や組織に属しているからといって、

そこに美人がいないとは限らないのだ。

 

思想的なことは抜きにして、あくまで外見のみということを先に断わったうえで、

ここ最近、オレの中でもっとも美人なんじゃないかなと思う女性がいる。

 

アイドルでもなければ女優でもない。有名女性誌の専属モデルでもない。

もちろんアスリートでもない。

 

若き日の重信房子である。

日本赤軍の女性リーダー。

素材やアングルにもよるが、今の時代でも十分に通用するルックスだと思える。

 

それを踏まえてだと思うが、事件の再現VTRなどにおいても起用される女優は

だいたい美人である。

 

オレごときがいうまでもなく重信房子が美人として認識されていたのはその当時から

暗黙の了解だったとは思うが、のちに赤軍派と革命左派が合流して連合赤軍が

結成されてからのメンバーの中で、本人曰く不美人でブスだから、綺麗な仲間に嫉妬

して酷いリンチをおこなったという位置づけにされた女性がいた。

それが永田洋子。

森恒夫と並ぶ連合赤軍の最高幹部である。

 

彼女は仲間殺しの罪で、あさま山荘で銃撃戦をおこなった夫でもある坂口弘と

ともに死刑判決を受けた。

当時まだ生まれていなかったオレはリアルタイムでの報道はしらないが、調べた限りでは

女性特有の「嫉妬心」によって、仲間のリンチを指示したとメディアに書きたてられていた

ようだ。

 

永田洋子という女性は果たして、本当にそこまでコンプレックスの結晶のような人物

だったのだろうか。

 

当時の報道の動画を見つけてみてみた。

映像はこちら。

『ニュースステーション 連合赤軍死刑確定報道』

(3:48分頃に永田洋子。そのすこしあとに植垣さんもでている)

 

顔だけ映された静止画像とかを見ると、たしかに地味でギョロ目、そして幸薄そうな印象だ。

だけど、この映像で捜査員にかかえられてパトカーの中へ連行される永田洋子の表情……

不謹慎だとかオカシイとかいわれそうなのを覚悟でいうと、なんとも表現しようのない切ない

色気を感じた。

 

うまくいえないけれど、顔の筋肉の付き方とかカタチだとか、目鼻だちとかいうパーツの

整いとかじゃなくて、その表情に色気がある。

 

逃走のすえ、逮捕され、この時点でもう自分の人生に将来はないだろうということを

しってしまったような疲れ切った絶望の表情。

 

希望に目を輝かすこともなく、異性を意識するような目つきももうする必要がなく、

ただただ、本当にゼロになった裸の表情、そして全身の力が抜けたようなよろめき

具合。

‘性的’な色気ではなく、‘生的’な色気とでも表現しようか。

ただ、純粋にそう感じた。

 

女としても人間としても、良い意味でも悪い意味でもこの永田洋子という女性の闇の

部分は興味深い。

 

彼女は死刑執行を待たずして、獄中で病死した。

なんでもかなり衰弱していたらしく、最後はおむつを履かされていた状態だったという。

 

よって今はもうこの世にいないのだが、赤軍メンバーの人の本を読んだり、インタビューを

きいたりしてみても、それぞれの人がリーダーであった彼女のことをいまだに

「永田」と呼ぶか「永田さん」と呼ぶか迷っているという話をよく聞く。

 

そのへんからも彼女の人格的なものの輪郭がぼんやりと捉えることができる気がする。

‘そこまで嫌われていたわけでもない。だけど誰ひとりリーダーとしての素質は認めていない’

そんな印象をうけた。

 

昨年12月の静岡行きの日のこと。

普通列車だったため、車内での移動時間はたっぷりあった。

せっかくなので‘予習’もかねて、図書館で借りておいた上の書籍を列車の中で読んでみた。

本の存在は以前からしっていたが、難しそうだなと思ったので敬遠気味だったが、今回は

読むにいい機会だった。

 

どちらのいいぶんが正解に近いかなんてことは当人でないとわからないが、それでも

やはり当時のメディアが発信していた永田洋子像とはかなりの温度差が垣間見えた。

 

獄中でも差し入れの甘いお菓子に心弾ませたり、なにかあればすぐ口癖のように

「幸福だわ。幸福だわ」という仲の良い女性看守のことを「幸福さん」とあだ名つけて

こっそりよんでいたりと、つまりは今の時代にもよくいそうなそのへんの‘女子’といった

印象をうける。

 

自分がおかれている環境においてはそれなりに我慢したり、小さな楽しみを見つけようと

している姿勢はみられるのだが、その一方で肝心の事件のことについてはどこかで

もうひとりの最高幹部だった森恒夫に責任をなすりつけているような部分も見える。

 

前にもちらっと書いたが、つまりは‘弱い’のだろう。

 

テレビや雑誌は当時、「鬼女」「嫉妬心の化身」などと書いていたが、この本からは鬼とか

強い者の化身とかいったイメージはまったく伝わってこない。

 

むしろ正反対。

人間の持つ弱い部分を集めて実像化したものが、連合赤軍最高幹部・永田洋子だと感じた。

 

彼女のもとで働き、そして戦っていた元兵士の人は口をそろえていう。

「リーダーには向いていなかった」

「よく泣いていた」

と。

 

夫婦関係にあった坂口弘ですら、手記の「あさま山荘1972」の文中において、

「ハッキリいって彼女は欠点がありすぎた」

と告白している。

 

本来、彼女はリーダーになりたくてなったわけじゃない。

メンバー内のリーダー投票で決まったわけである。

だから極端にいえば、この単なる投票が連合赤軍のその後の流れを狂わせたとも

いえる。

 

確固たる自分の考えがない。

周囲の雰囲気に流されやすい。

また、一度信じた思想は妄信してしまう。

もしかしたら自分の考えが間違っているかもしれないことに気づくのが怖いため

考えなおすことなく、なにごともそのまま突っ走って暴走する。

そんなところだろうか。

この最後の暴走については今の時代の経営者や管理職にも多いと思われる。

 

そして、なによりもリーダーであるという重圧を必要以上に感じ、判断を焦り、

本来ならばとどまることが正解だったところで、間違った方向へのGOサインを

だしてしまう。

 

日本に原爆を落とす指示をだした当時のアメリカ大統領のトルーマンは、

優柔不断な大統領として国民からの指示を失いかけていたという。

そこで信頼の回復を焦り、決断力をアピールしようとして原爆投下を指示したらしい。

 

韓国の李明博も支持率低下で焦って、それで竹島に不自然なタイミングで上陸した。

 

それとさほど遠くない気がする。

 

現代の一般企業の失敗人事にも見られるケースで、トップになってはいけない人間が

トップになったことで、すべての未来が狂う流れ。

やがて待っている壊滅。崩壊。

 

小学校のクラス委員長決めや、組織でのプロジェクトリーダー決めにおいて、たまに

こんな風景を見かけた。

 

ふだんおとなしいし目立たない位置にいるけど、責任感を感じてもらったり

本人の成長のためも考えて○○君にリーダーをやってもらうのがいいと思います、

みたいなことを誰かがいって、周囲がみんな賛成する。

 

一見互いに成長しあったり、磨き合う美談みたいに聞こえるが、これも実はもう古い昔の

精神論の世界なのかもしれないと感じなくもない。

 

小学校のクラス委員長くらいならまだたいした問題も起こらないだろうが、ひとつの組織と

なると、へたしたら横領だとか犯罪につながる事例もないとはいえない。

 

連合赤軍関連の資料や個人の手記を読んでいると、武装化闘争がどれだけ過激だったかとか、

私刑(リンチ)がどれだけ凄惨だったかという当時の考察だけでなく、今の社会におきかえて

当てはめてみると、テーマが簡単に尽きないという結論にたどり着く。

 

連合赤軍も永田洋子の最初から狂った水流の中にいたわけではない。

いつからか狂った流れに入りこんでしまったのだ。

 

「十六の墓標」の上巻のなかで、彼女は小学生のころにあったことをこう綴っている。

 

――小学生になって、この社会に貧富の差があることをしり、心に痛みを感じた。

遠足代や給食費を払えない級友がいた。(中略)

「給食費を払わないのだから、給食を食べるな」

わたしはこうした発言をものすごく腹立たしく思い、この発言をした級友を責めたことがあった。

 

幼くして社会の理不尽に気づいてしまう敏感さ。

そしてすぐ行動に移す力。

 

しかし、そんな敏感さと行動力がなければ、彼女は誰も傷つけず、また自分も穏便に過ごす

未来を持てたかもしれない。

 

でも過激派という人たちは、もともとこういう人たちなのだと思う。

 

それを思うと世の中っていうのは本当に理不尽でうまく機能しないものだなと痛感する。

 

自分以外の他人のことを誰よりも考える人たちが武装して過激な行動に走り、

自分や自分の家族の生活のことしか考えない人たちが、武装せずことなかれな平和な

人生をおくる世界。

 

もう、わからない。そしてうまくいえない。

だからいまだに中間の定義もはじきだせない。

いや、おそらく中間なんてものがそもそも世の中にはない。

オレにとっては中間なものでも他人にとっては全然偏っていたり、その逆もしかり。

中間なんてない。

それが正解だ、きっと。

 

連合赤軍について、そして一連の連合赤軍事件から我々が学んで考えて今に活かさないと

いけないことは思った以上に山積だ。

そしてまだまだ知らないこともある。

 

オレも自分なりに赤軍関連のいろんな本を読んできたつもりだった。

※今回、タイトルの文字数が多くなるから(上)(下)だけしか示さなかったが(続)というのもでていて

それも読んだ。念のため。

映像作品も多少は観た。

 

赤軍についての探求はそこまでが序章で、スナックバロンの扉を叩いたところでゴールだという

つもりでいたが、どうやらバロンはゴールではなくてスタートのような気がしてきた。

長い。先は長い。

 

永田洋子とその著書にかんしては、まだまだ書きたりないがオレも眠くなってきたので、

機会があればまた改めて書こうと思う。

 

最後にもう1冊。

これも連合赤軍の女性兵士である大槻節子さんが書いた日記も読んでみた。

 

『優しさをください』

 

 

この時代は男も女も革命に純粋に必死だったというのが伝わってくる。

 

悲しいことにこの大槻さんという女性も山岳ベースで総括され、命を失ったひとりである。

 

そしてその総括の場には同じ赤軍メンバーでもあり、恋人でもある男性もいた。

 

目の前で恋人を処刑される男性兵士の心境とはどんなものだったのか。

愛する恋人の目の前で死んでゆく女性兵士もまたどんな気持ちだったのか。

 

それを考えるとなんともやるせなくなり、本当に涙がこぼれそうになる。

だからまだ未熟で勉強不足のオレにはご本人の前でそこまで訊けなかったのだ。

 

そう、大槻節子さんの恋人だったという男性兵士……

もう誰だかは、おわかりだろうと思われる。

 

それでは、また。