魔女の宅急便 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

アーティストがリリースしたアルバムを買うキッカケ。

そのアーティスト自体が好きだというファンにとっては当然の行動であるだろうが、

とくにファンじゃない人が買う場合の理由は、

たいてい「その時話題の新曲が収録されているから買ってみた」というところだと

思う。

 

純粋に思うことがある。

いくら自分の好きな歌手がだしたアルバムであっても、たとえばそこに20曲収録されている

としたら、そのすべてが大好きだし、じっくり聴きたいという人っているのだろうか。

 

オレは長渕とか尾崎とか好きで、アルバムもいくらか持っているが、そこに収録してある曲

すべてが大好きというわけではない。

正直、20曲収録されているとしたら最低3曲くらいはトバして聴いている。

(もちろん、どんな曲かわからないから最初はひととおり通して聴くが)

 

音楽に限らずだけど、いくつかの作品が並んでいたり詰め込まれたりするアーカイヴの

中で、ひとつも軽く流さず見聞きするパターンてあるのかと思う。

 

海の生物がどんなに好きでも、水族館いってすべての水槽のじっくり観察する人もいそうも

ないし、美術館いってもすべての作品を軽く流すことなく鑑賞する人もいないのではと

思っている。

 

そしてこれは映画のシリーズでもいえる。

オレはスタジオジブリの映画は好きだけど、はっきりいってあまり好きじゃないというか、

素晴らしい作品なんだろうけど、オレのハマる方向性ではないな、と思う作品もいくつかあった。

 

だけど、なぜか地上波で放送されるたびに、毎回不思議と見てしまったりする。

そして、いつの間にかそれなりに好きになっている。

 

アルバムの収録曲と同じで、最初聴いた時はまったく興味なく、なんとなく聴きながして

いただけだったはずの曲が、聴いているうちにだんだんその良さがわかってきて好きに

なってくるパターンと同じだ。

 

オレにとって、スタジオジブリでいうところのその作品が「魔女の宅急便」である。

 

 

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前々作は、「天空の城ラピュタ」で、なんとなく壮大なスペクタクルという印象。

その次は「となりのトトロ」、こちらはまた一転して、ほのぼの系だったけど日本の風景を

美しく描いているような部分がジブリっぽかった。

 

そんな流れの中、ジブリが4作目(世間の認知度としては)に世におくり込んできたのが

「魔女の宅急便」。

 

最初聞いた時、オレのなかではジブリとしてなにか違うんだよなあといった印象があった。

 

急に少女漫画チックになってしまったというのもあったし、主題歌においてもいきなり

メジャーどころで荒井由実の曲を起用。

 

今でこそ誰もがしる女優となったが、ナウシカの時みたいにまだ無名で、歌い方も棒読み

みたいな安田成美を起用するようなところが良い意味でジブリらしかったイメージだったが

それが急に覆された感じだった。

 

だから当初、この「魔女の宅急便」はジブリ映画の中でも、それほど興味ないという位置づけ

だったけど何度か見ているうちに、惹きつけられる理由がわかってきた。

 

物語の全体的な流れとしては、はっきりいってとくに大きな波や事件はないのだ。

ラストで主人公キキのボーイフレンドである少年トンボが、飛行船にぶらさげられてゆくシーンも

強引といえば強引だし、アニメのオチとしてはありがちでないとはいえない。

 

だけど「魔女の宅急便」という映像の世界の中には、リアルな人間模様がところどころ

散りばめられているのだ。いつごろからかそこに気づいた。

 

たとえば中盤にこんなシーンがある。

 

オソノさんが営むパン屋で、宅急便の仕事をすることになった主人公のキキ。

ある日ひとりのお婆さんから、とあるパーティ会場にニシンだかイワシだかを使った

手作りパイを届けてほしいという依頼を受ける。

 

どうやらその日は孫娘の誕生日(だったと思った)で、自分の手作りパイをプレゼントとして

渡しに届けてほしいというようだ。

 

張り切って引き受けるキキ。

しかし、届ける途中いろいろハプニングがあって、到着が大幅に遅れてしまう。

 

やっと到着してパーティがおこなわれている会場のドアをノックすると、中から生意気そうな

孫娘がでてくる。

遅れたことを謝り、パイを渡すキキ。

 

するとその孫娘はパイに喜ぶわけでもなく、またキキに労いの言葉をかけるわけでもなく

パイをみながらひとこと、「ワタシ、これあまり好きじゃないのよね」みたいなことをひとことだけ

ゆき、家の中へ戻ってゆく。

 

この時のキキの心境としては、自分が怒られるかどうかということは頭になく、ただただ、

お婆さんからのプレゼントに喜ぶ孫娘の顔を想像しておいたのだと思う。

いや、当時映画館で見ていた観客の人も、きっとキキと同じ流れを想像していたのではないか。

 

だけど、それはなかった。

ドアが閉まったあとも、玄関先で唖然としたまま、しばらく立ち尽くすキキ。

 

現実でもアニメの中でも、祖母という人は自分の孫や孫娘が可愛くてしょうがない。

だから、なにかしてあげたい。

だけど、無邪気でわがままな子供にとっては、祖母のそういった優しさがとても

厄介だったりする。

自分が小さかった頃も、そうやって邪険な対応して、大事にしてくれる大人を傷つけたり

していたと思ったからこそ、このシーンにはリアルというか作り手がなにかを発信してたんじゃ

ないかなって感じてならなかった。

 

また後半では距離を縮めたキキとトンボが、ふたりきりで草原に並んで座って語りあう

シーンがある。

 

思春期の男女の雰囲気としてはなかなか良い感じの時間がそこに流れている。

 

が……途中、少年トンボの仲間たちの男女数人が車で近くをとおり、トンボとキキの

姿を発見。

 

仲間がトンボに向かって、「飛行船が来るから一緒に見にゆこう!」と遠くから声を掛ける。

いつもそばに仲間がいるトンボはその誘いに応じようとして、キキにも「君も一緒にゆこう!」

というが、仲間たちとは面識のないキキは、急に不機嫌になりそれを断る。

そしてトンボに「ワタシ、帰る」といって、ひとり帰ってしまう。

 

このあたりの演出がよくあるアニメやドラマと違ってリアルであり、また純粋ながらも不器用な

人間の心境をしっかり表していると思った。

 

他のアニメならば、ここで「一緒にいこうよ!」と誘われ、「うん! いく!いく!」という流れに

なり、その新しい土地で新しい仲間がたくさん増えるという、予定調和のハッピーエンドとなる。

だけど、キキは断る。

 

この時、キキの中で自分が素直じゃないという葛藤がありながらも、いろんな意味の嫉妬が

あってそうしてしまったんじゃないかなと感じとれた。

 

トンボの仲間たちはなにも悪くないのはわかっているが、キキとしてはみんなでワイワイする

よりも、トンボとできるだけ語りあっていたかった。

だけど結論として、その時間に邪魔が入ってしまった。

 

また、トンボが自分とふたりで過ごす時間よりも仲間たちと行動する時間を選んだということが

トンボとその仲間たちのつながりへの嫉妬にもつながったのだと思えた。

異国の地で、同世代の友人がトンボだけの自分と比べてしまうあまりに。

 

「魔女の宅急便」という作品をよく観てみると、俗にいう‘しらない地への旅立ちモノ’としては

このテの作品にはありがちな‘行き先でたくさんの友達ができる’というシーンが

最初から最後まで通してずっとないのだ。

 

パン屋主人のオソノさん、森に住む絵描き少女ウルスラ、そして唯一のボーイフレンドのトンボ。

キキは登場する人物ひとりひとりとはしっかりと触れ合っているが、大人数の中でキキが楽しむ

シーンがないことに気づいた。

 

けっして悪い人間でもない。

極端なほどの人見知りでもない。

 

Aさんとも、Bさんとも、Cさんとも、Dさんとも、Eさんともそれぞれ個別ではふたりきりに

なっても話したり盛り上がったりすることができる

だけど、AさんからEさんまで全員が一緒にいる会場でみんなと同じようにワイワイ盛り上がったり

自分から積極的に話にいったりすることができない。

 

大人数の忘年会や新年会の席が苦痛。

結婚式披露宴の丸テーブルで、どんな人かもわからない新郎新婦の親戚の隣りの席に

座らされるのが苦痛。

そんな人たち。

そして、そんなオレ。

キキの不器用さに共鳴するのかもしれない。

 

新しいステージに到着しても、キキにたくさんの友達ができるという予定調和の設定をもって

こなかったというこの流れは、製作側からのさりげないメッセージではないかというのは

オレの考え過ぎだろうか。

 

周囲に溶けこめなくたっていいじゃないか。

自分に素直に、そして思いやりさえもっていれば、オソノさんとかウルスラとかトンボがキキのもとに

集まってきたように、オレのもとにもわかる人は集まってきてくれる。

 

そう考えると、やはり「魔女の宅急便」というアニメーションは深い。