ロッキー5/最後のドラマ | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

誰々が日本代表に選ばれたとか、誰々が優勝したとかいうスポーツの

話題にはまったく興味がない。

前回のワールドカップでどこの国が優勝したのかということさえもしらない

オレだから。

 

そんなオレでも最近は野球以外のスポーツも多少関心を持つようになってきた。

ただし、俗にいうフィールド上の熱い戦いには興味ない。

オレがちょっと興味あるのはフィールドの外で繰り広げられている場外乱闘的な

試合……というか泥仕合。

とくに「相撲」と「カヌー」はね ( ̄▽ ̄)

 

いやいや、はっきりいってしまえばヤジウマ根性である。

それは大なり小なり誰だって持っている。人間だもの (みつを)。

 

とはいっても別にもっとドロドロになるように煽るつもりもないし、必要以上にその話題

ばかりテレビや新聞で見たいとまでは思わない。

でもやはり、人の不幸は蜜のテイストともいうように、最初の報道は興味深々である。

 

しかしこういうと怒られるかもしれないけど、カヌーとかは今回の騒動で逆に競技の

アピールになったんじゃないかな。

 

カヌーという競技だけに‘水上’では小細工ナシのスポーツマンシップに乗っ取った

熱い男の姿が写されていたけど、まさにその‘水面下’では陰謀が潜んで

いたのだからシャレにならん。

 

でも、これらの件にかんしてテレビのコメンテーターが「スポーツマンシップに反する!」とか

いったり、街角インタビューでスポーツファンが「子供たちの夢を壊す!」とかいっているのを

聞くけど、オレは正直そこまで攻撃もしないし、見損なったりもしない。

 

どんな職業の人間がどんなこといったって、所詮人間だからそんなモンだって最初から

思っているから。

 

アスリートが全員スポーツマンシップに乗っ取ったフェアな人間だとか、警察官が全員正義感に

燃えている人間だとか、子供を教育する教師が性犯罪を絶対犯さないなんて、ハナから思っていない。

 

だから、そういう人たちがなにかやらかした場合、単純に「人」としての批判はするが、別にその職業

だから以外だったとか、裏切られたとかいった思いはない。

 

どんな人気がある仕事についてようが、どんなステータスのある職業についていようが、所詮は

人間だもの。(みつを)

 

……何度もいうと、カヌーファンやスポーツファンからじゃなくて、相田みつをファンから怒られそう

だからみつをというワードを用いるのはこのくらいにしとこう。

 

だけど、あのカヌーの一件の被害者選手のほう、あれは本当にショックだったと思う。

そこは察する。

 

濡れ衣で出場停止処分になったこととかよりも、すごく身近にいる仲の良い先輩にハメられた

ということのほうが比べ物にならないくらい、心に大きなダメージを受けたんじゃないかなと思う。

 

スポーツという舞台ではないけど、オレの周囲にもオレの体調を心配してくれているふりをして、

連絡とかしてきたけど実は冷やかしで、心配するどころかオレの体調が悪いことをネタのようにいい

ふらして喜んでいたやつがいたと、本当に仲のいい数名の友人たちからの報告で知った時はショックと

怒りで打ち震えたものだった。

 

「裏切り」というのは、相手に心身ともに最大のダメージを負わせる卑怯な攻撃である。

 

オレはスポ根モノのドラマや映画はあまり好きじゃないのだが、シルベスター・スタローン主演の

ロッキーシリーズは好きで、いくらかは鑑賞している。

 

ちょっと前にBSで『ロッキー5』を放送していたので、これは観ないとと思い鑑賞した。

 

 

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シリーズ4作目では、親友アポロを試合で殺したボクサー、ドラゴを敵本拠地のロシアで倒した

ロッキー。

 

その後アメリカに戻ったロッキーだが、体はもう再びリングに立てない状況になっていた。

 

そんなロッキーのもとに、彼の熱狂的なファンだという若い白人ボクサーのトミー・ガンが弟子

にしてくれと現れた。

 

最初は拒否していたロッキーだがトミーの熱意に負けて、彼を教え子として認め、一流ボクサーと

して育てるトレーニングを続ける日々に充実感をおぼえる。

もう自分がリングに立てないだろうと感じているロッキーは、トミーにボクシングを続ける夢を託して

いたのだ。

 

そんなロッキーのもとに、カネ儲けしか頭にないえげつないプロモーター・デュークが出現。

 

ロッキーがリングに立てば、まだまだ金になると企むデュークは、ロッキーの体がヤバいことを

しりながら試合をすることを提案するが、ロッキーは自分の体や妻や家族のために拒否。

 

するとデュークはなんと、ロッキーの教え子であるトミーを、ロッキーの代わりの金づるボクサーと

して待遇で誘惑し、引き抜いた。

 

デュークのもとで大舞台に立ち続け快進撃を続けるトミーは、自分を育ててくれたのがロッキーで

あるという恩を忘れ、挑発するようになる。

つまり、裏切りだ。

 

いろいろあった末、映画の最後では元師匠と元弟子のけじめをつけるべく一戦が開始される。

 

だが、この映画のすごく良かったところはその最後のバトルの舞台が、大観衆であふれる

ホールとかでなくて、ストリートファイトだったところ。

 

何百、何千とかいうような観客もいない。

全力で戦ったところで、1円も手に入らない。

 

にもかかわらず全米を震わせたチャンピオンが、人間関係のけじめをつけるために薄暗い

スラム街みたいな街中で、かつての教え子とこぶしを交わすという演出はなかなか素晴らしい

ラストだった。

 

大物アーティストやアスリートが引退する時の舞台は、大観衆を収容できる国民的なスタジアム

という相場がある。

 

だけど、どんな大物にもスタート地点となったちっぽけな場所が存在すると思う。

 

引退する際の最後の最後のステージにおいて、そういう大舞台よりも原点である小さな場所を

ラストステージとして選ぶアーティストやアスリートがいたら、オレは心から尊敬できるかもしれない。

 

ロッキーシリーズは基本、あついボクシングストーリーだが、この5作目においては、

スポ根というよりも、裏切りやスポーツの裏に潜むマネーゲームを描いた深い社会的な

作品だったと思った。