スピードワゴン小沢一敬 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

多くの日本人が最初に属するコミュニティは幼稚園か保育園だと思う。

幼児といっても人間には変わりない。

集団である以上、そのなかで人間関係の好き嫌いというものは存在する。

 

ただまだ幼いので、そこに存在する好き嫌いの理由にそれほど深いものは

ないかもしれない。

乱暴だから嫌いとか、うるさいから嫌いとかそんな理由である。

基本、話したりしたことない者を嫌いになることはあまりかったような気がする。

 

ただ、これがちょっと成長して中学生や高校生、いってしまえば社会人になると、

話したこともない隣りのクラスの生徒や、他部署の人間でもある種の‘嫌い’に非常に

近い感情を持ったりするケースが多くみられる。

 

中学あたりから、クラスの中とかでよく耳にするようになったのが、

「生理的にダメ」

という言葉。

 

別になにかされたわけでもない。

いわれたわけでもない。

ぞれ以前に直接話したこともない

はっきりいって、相手が自分のことをしっているかもわからない。

 

だけど、はたから見ていてどうしても好きになれない、という現象である。

 

なにがダメかというと、顔や話し方や声や動き方がだめというわけで、決して人間性を

否定しているわけではない。

 

さいわいオレはこれまでの人生で、誰かから「アンタ、生理的にダメ」といわれたことは

ないし、誰かがオレのことをそういってたという話もきいたことはない。

(耳に入ってこないだけで、どこかで誰かがいっている可能性はあるが)

 

ただ、これまで在籍していたクラスや職場などにおいては、周囲の人間が特定の人物に

たいして、「ワタシ、Aくん生理的にダメ!」などといっているのは頻繁に聞いてきた。

 

簡単に「生理的にダメ」というけど、これは実に難しい問題である。

オレも人の子なので、綺麗事抜きでもちろん生理的にダメな人間はいるのだが、

食べ物の好き嫌いと同じで、「生理的にダメ」にかんしては、ダメというほうも、いわれたほうも

双方別に悪くないのだ。

 

それにプラスして性格がサイアクとかいうタイプの人間は別だが、顔や体格や声やクセという

いわゆる個性全般は本人が好きで選んで生まれてきたわけじゃないから、しょうがない。

 

受け入れるほうも、どうしてもそれを好きになれないのならばそれはしょうがないことである。

だから、難しい。

見かけとかで判断せずとりあえずは食べてみろといったところで、サソリやコガネムシを食べられ

ない人は頑なにムリだというだろうから、それと同じである。

 

子供は親を選べないとか、自分の名前を選べないとかいうけれど、親や名前はもちろん、

性格や体質、もちろん顔や声も選べない

 

努力やポジティブさで未来は変えられるとかいうけれど、現実どちらのほうがサクセスストーリー

に近いかというと、ブサイクで不器用な人間が寝る間も惜しんで努力するより、木村拓哉の顔の

生まれてきた怠け者が、ちょっと着飾って竹下通りを歩くだけのほうがスカウトされてけっこうな

大金稼げるというのが現実だと思うのはオレだけか。

まあ、これはあくまで芸能界を例にした極端な例だけど。

 

どんな容姿、どんな性格だろうが生んでくれた親に感謝するというのは当然だと思うから、

それは認めたうえでわけてかんがえて、どんな顔、どんな性格、どんな体格、どんな声で

生まれてくるかというのは、人間が人生で一番はじめに体験する運に任せるしかないギャンブル

だと思う。

 

整形したとかいう例は別だが、アナタが美男美女なのは、あなたの才能や努力ではない。

アナタの親がたまたまアナタにそういうデザインを与えたからである。

 

アナタが主任から係長になれたのはアナタの頑張りかもしれないが、それ以前にアナタが主任

になれたのは、アナタの親がアナタを「組織での生活に適合できる人間」に生んでくれたから

である。

 

主任、副主任、バイトリーダーどころか、集団生活がムリなタイプに生まれた人だっているのだから。

 

そこを勘違いしちゃいけないとオレはいつも思っているし、そういう勘違い人間にもならないように

心掛けている。

 

そういった思考をふまえて本題だが、お笑いコンビ・スピードワゴンの小沢氏。

 

やはり声にかなり特徴があるので、はじめてテレビで観た時からずいぶん長い間、

どうしても好きになれなかった。

 

でも、最近声のことを一度概念からはずして、本人が語っている昔のエピソードとか聴いていると

好きというにはまだ微妙だが、人間的にはとても純粋で、優しくていい人なんだろうなってことに

気づいた。

 

良い意味にも悪い意味にも人にすぐおぼえてもらうということでは、あの人の声はすごい強力な

武器になるけど、その反面であまりよくしらない人からも声だけで嫌悪感を抱かれちゃう損な部分

もあるんじゃないかなって思った。

 

声がクセあるうえに、お笑いとしてやっているクサい恋愛ワードネタもまたクセがあるから、

受けつけない人には、ネタでさらに受け付けなくするってことになっているようにも思える。

芸人としてはそれはひとつの正解かもしれないけど。

 

オレも正直ネタは今でもあまり好きじゃないけど、じっくり話を聞いていると、小沢氏の人間に

かんしてはかなり好きになってきた。

 

あの人は男女問わず、基本的には誰にも優しいし、感受性や表現力も豊かだなと。

ただ、やはり声以外にもクセはあるが(笑)

 

勝手な心配で、余計なお世話だけど、生まれつきでどうしよもない声のことでこれまで、

いじめられたりしたこともあったのかなあ、なんて考えたりもした。

 

冷静に考えるとこれまで声でずっと拒絶するあまり、本人の人間性をあまりしろうとしなかった

視聴者のオレがいたことに気づいた。

 

たしかアメトーークだっただろうか?

 

書くと長くなるから興味ある人はネットとかで調べてほしいが、昔貧乏で学校のクリスマス会に

持参する交換用のプレゼントを自分で工作して持っていった日、帰宅した時の母親とのエピソードを

自分で語りながら涙していた小沢氏。

観客は泣く小沢氏を見て笑っていたが、オレはかなり心をうたれた。

 

家計を支える母親を想った優しさ、そしてそんな息子の想いを察する母親。

もっと話題になっていい話だけどなと思った。