スーパーえびすリアリズム | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

日本人は「反省」という言葉が好きだ。

 

なにか問い詰められれば、ごく自然に「反省します」と口にしているし、

一方で他人がなにかしでかしたら、やたらと「しっかり反省しろ」と口にする。

 

そういう人間があまりにも多すぎて、オレはいつも

「アナタたちのそういった『反省しろ!』とすぐに口にする部分を反省しろ!」

と世界の中心から少しズレたあたりで叫びたいと日々思っている。

 

まあたしかに反省という行動は人類にとって大事なことであることは否定しない。

 

ただ……

モラル論抜きにして、純粋な自分の考えとして、世の中には「反省しないで欲しい人」

というのが存在する。

もちろん、なにをしでかしたか、なにをいったかの程度にもよるから、殺人などを

犯して反省しないなどというのは論外だけど。

 

たとえば、漫画家の蛭子サン(笑)

 

某旅番組において蛭子サンが人気でたのは、彼が反省しない人だからだろう。

 

共演者が我慢して長い距離を歩いているのに、毎回毎回ひとりだけ文句をいう。

泊めてくれた宿や料理にたいして、毎回失礼な感想をいう。

 

だけど、それが面白いからずっと好評なのではないだろうか。

 

一回目で共演者や視聴者から「自分勝手いわないでください!」とか「失礼だろ!」

とかいわれて、そこで落ち込んだり、反省して二度と同じことをいわないような蛭子サンに

なっていたら、きっと番組はつまらなくなり、視聴者も離れてゆく。

 

何度注意されても変わらないそんな蛭子サンだからこそ、面白く愛されているのだ。

 

過去をほじくりかえすようだが、蛭子サンてかつて一度賭博かなにかで検挙されたことがあった。

 

 

犯罪は犯罪だからいけないことなので、本当はこういうこといっちゃいけないのだけれど、

それを教訓として、ギャンブル依存症の人を救うような会を立ち上げて頑張るような蛭子サンは

見たくない。

そんな蛭子サンは微塵も面白くない。

 

ホントにホントに世間的にはこんなこといっちゃだめだのだが、またやらかして、

「いや~、ほんとに好きなんで、またやっちゃいましたよ~ すいません」

とカメラの前で申し訳なさそうにする蛭子サンのほうがまだ愛せるような気がしてしまう。

 

先日仕事で調布へいってきたら、駅前の調布パルコにてそんな蛭子サンの展覧会が開催されていた。

無料。撮影自由。

別にそれほど蛭子マニアというわけじゃないが、これは観ておこうとおもった。

 

『スーパーえびすリアリズム in 調布』

 

 

 

しかし、どうしてPARCOで蛭子??

 

『蛭子(えびす)』……

漢字の読み方を変えれば『ひるこ』

 

ひるこ → ぴるこ → ぱるこ。

象形文字がひらがなに変化していったような過程でこのようになったというのは

きっとオレの考え過ぎ。

 

外観も意外としっかり。

 

 

入口では笑顔の蛭子サンがお出迎え。

 

 

 

椅子も壁もすべてがイッツ・ア・エビースワールド。

 

 

 

ここでたくさん公開してしまうと、いくら無料とはいえ天下のPARCOの営業妨害に

なるので、あとすこしだけ公開。

 

うーん、シュール・オブ・シュール。

 

 

 

この4コマなんて、ナンセンスのようで実は今の社会情勢を描いているように映る。

 

 

昔ながらの温泉街にこんなスマートボールがあったら、それはそれで面白い。

 

 

 

展示は6日までだから、もうすぐ終わりのようだ。

 

 

補足として、入場した時に係の女性からアメをもらった。

 

よく見ると、蛭子サンの古稀を記念した金太郎アメではないか。

 

 

ラベルを見ると、製造元は「金太郎飴本店」と記されていた。

 

さすがはPARCO。

 

おちゃらけた企画のようで、細かいところも抜け目ない。