笑ゥせぇるすまんっす | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

 

 

ファシズムという言葉はダジャレにされやすい。

 

他人が独裁者色の強い人物を揶揄してダジャレにする時もあれば、表現者が自らのことを

ダジャレにしてそう名乗る時もある。

 

今は一応一般の人というカテゴリーに属している橋下徹は、政治家時代、独裁者のような発言が

多かったことから、マスコミよりその思想を「ハシズム」と揶揄された。

 

また、「おぼっちゃまくん」などでおなじみの漫画家の小林よしのり氏。

彼もまた、今は雑誌サピオにおいて、日本社会や歴史あるいは世界情勢について自分の思っている

ことを思いきり発信する「ゴーマニズム宣言」を連載しており、タイトルのとおり言いたいことを傲慢にいう

といういみで自らの思想を「わしズム」と謳っている。(氏は自らのことを‘わし’と読んでいるため)

 

そんなクセの強い橋下氏と小林氏。

互いに顔を合わすことがない間は、批判しあっていたが、テレビ朝日深夜の討論番組で初共演してからは、いくらか歩み寄っているのが感じられた。

 

最初は小林が橋下を呼び捨てで批判したことからはじまった。

それをしった橋下が小林にたいして「呼び捨てにするな」と批判。

それにたいして、小林が「公人は呼び捨てでいいのではないか」と応戦。

 

そんな流れあったが、1度目の共演では橋下も実は昔、小林よしのりの本で歴史を学び、

とくに「戦争論」などはヘタに分厚い参考書なんかよりも読みやすく、わかりやすかったと評価。

 

一方で小林よしのりのほうも、2回目の共演後のブログの中で、

「橋下とワシは考え方は違うが、嫌いにはなれない」

「番組側の編集も公正で気に入ったから、また出たい」

などと、どちらかといえば評価するようなことを書いていた。

 

ただ、3回目かの共演あたりで、考え方の相違により激論、そして大喧嘩。

 

「ハシズム」VS「わしズム」、ふたたびとなったようだ。

 

普段、橋下のツィッターなど覗かないが、その時のオンエア直後のツィッターを見てみたら

「小林よしのりはやっぱり馬鹿だった!」などと呟いており、一方で小林のほうも自身のブログで

「橋下は安倍寄り」「わしの良心が痛むからあの番組にはもうでない」と不満をぶちまけていた。

 

クセがある者同士は意気投合するのも早いけど、喧嘩別れするのも早いと感じたのはいうまでもない。

 

ただ、なんでも右は左かっていう視点で見るのは間違っているとわかりつつ、やはり心のどこかでは

「この人は右寄り」「あの人は左寄り」っていう視点で見てしまういけない部分があるのは自覚している。

 

とくに発言にクセや中傷含む攻撃性が強い人にかんしていえば、あまりよろしくないことだけれども

自分の中で「右」か「左」か、とりあえず位置づけたくはなってしまうのは否定できない。

 

そこで改めて考えてみたのだが、橋下氏と小林氏はしいていえば右か左かどちらなのだろろうか?

ということである。

 

両者ともに自己理論が濃く、「○○ズム」という言葉で揶揄されているイメージからすると、

ともに「右寄り」という印象を持ちがちだが、話ちゃんと聞いてみると、そうでもないのが現実だ。

 

とくに小林よしのり氏のほうにかんしていえばわからない。

 

保守的な思想も持ちつつ、現政権を批判して革命をしないといけないという思想も持っている。

 

「小林よしのりは右寄りなんですか? それとも左寄りなんですか?」

といったささいな疑問を持っている国民はそれなりにいるようだ。

 

結論からいえば、右でも左でもなく、真ん中だといえる気はする。

コンテンツに応じて、保守でもあり革新でもあるのが普通だろう。

 

昔からあるものはすべて守らないといけないというのも違うし、昔の人間が作ったものはすべて

変えないといけないというのも違う。

 

でも、やっぱりクセや主張が強烈な人っていうのは、やはり中間でなく、いろんな境界において

‘どちらなのか?’って考えてしまう。

 

 

「笑ゥせぇるすまん」というアニメがあった。

オレが中学生の時から高校生の時にTBSで放送されていた「ギミアぶれいく」という2時間番組の

中のコーナーで放送されていた15分ほどの短編アニメだ。

 

登場するのは喪黒福造(もぐろふくぞう)という、黒ずくめのちょっと不気味なセールスマン。

キャッチコピーは‘大人のアニメ’。

これは当時比較的斬新ではあった。

 

オレがいまだに悩むのは、この喪黒福造という主人公が果たして、「悪者」と「善玉」のどちらの

位置づけなのかということである。

 

陰謀と貶しあい、そしてストレスの渦巻く人間社会で生きている悩める弱った人の前に喪黒は現れる。

 

そして、その悩める人にたいして、ためになる場所を紹介したり、救われる商品などを無償で提供する。

そのかわり、通う回数や使う期限などを制限し、その約束を破った客は凄惨な末路をたどることになるという1話完結のブラックな大人世界の話である。

 

基本的に客はその約束を破り、悲惨な結果になるというのがお約束である。

 

ただシリーズを見ていると、だいたいはお客が自分自身にたいする甘えから約束を破るのだが、

時には周囲にいる意地悪い人間に騙されて、その結果喪黒との約束を破ったことになる場合も

少なくない。

 

でも、そんな場合でも喪黒によるお仕置きと、悲惨な末路は確定していて逃れられない。

流れにかんしてはなんとも複雑で、お客のほうに同情すらしてしまうことも多い。

 

ありきたりの勧善懲悪ものと微妙に異なるのは、喪黒が近づく人間が傍若無人な無神経タイプ

ではなく、繊細で気弱で行動力のない人間が多いということ。

 

つまり強い人間をこらしめるというよりも、どちらかといえば権力の傘下にいる弱い人間に

近づいて、陥れているという捉え方ができるのだ。

 

喪黒が善意で助けようと思った人間たちが、たまたま忠告を破ることが続いたことでこういう末路が

待っていたのか?

それとも、喪黒は最初から弱って悩んでいる人たちを狙い、陥れようとしていたのか?

 

いまだに喪黒というキャラが「正義」なのか「悪」なのか判断しかねる。

 

ただ、ギミアぶれいくが放送していた時、一度ラテ欄に「喪黒の悪の手が迫る」みたいな表記があった

から、藤子先生および製作サイドとしては喪黒は悪者なのかなって思った(笑)

 

そんな大人アニメの名作「笑ゥせぇるすまん」。

ちょっと前から東京MXにて、「笑ゥせぇるすまんNEW」として新作が放送されている。

 

喪黒の声やってた声優さんがたしか亡くなられたと思ったが、玄田哲章さんが新たに喪黒の

声をやられていて、見事に再現させていた驚いた。

玄田さんといえば、オレはどうしても「ハイスクール!奇面組」の豪くんのイメージがある。

 

NEWのほう、オチとなる「客の悲惨な末路」の演出や設定はちょっとネタ切れ感があり、

おどろおどろさがやや弱いのだが、それでもなんとなく懐かしい。

 

ということで、今回は久々にアニメネタをお届けでした。

(アニメネタはもう完全にネタ切れだったので)