発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

大学の時の卒業旅行は気の合う仲間少人数で伊豆の下田へいった。

泊まったのは友人のひとりが手配してくれた聚楽ホテル。


手配してくれたその友人が家から「黒ひげ危機一髪」を持ってきてくれたので

夕食と風呂をすませたあと、部屋で酒を呑みながら、友人のH、F.、Y、そしてオレの

4人でそれをやって遊んでいた。


どこぞの市長の「賭けをしない麻雀なんて発言」じゃないが、男だけでただゲームしても

面白くない。

よって月並みな罰ゲームを設けた。


飛ばした人間は、メンバーのうちの誰かひとりから向けられた質問に答えるか、

リクエストされたことをやらないといけないというものだ。

(質問、リクエストする人間は、たぶん直前の回で飛ばした人間だったと思う)


何回かゲームをしているうちに、友人のひとりのYが黒ひげを上に飛ばした。

罰ゲーム執行だ。

その前に飛ばしたのがオレだったので、オレがYに質問する番だった。


それまでの過程で飛び出してきたのは今までで一番恥ずかしかったことは?」などと

いう質問ばかりだったので、オレはちょっと趣向を変えて、Yにこうリクエストをした。


「じゃあ、似てなくてもいいんでひとことだけ、つぶやきシロ-のマネして」


クオリティは求めていない。

ただ、その場が盛り上がるかなという単純な考えと、あとYは普段から冗談いったり

モノマネしたりとかいう面をまったく見せない男だったので、これを機会にYのそういった

一面を見てみたいという思いからだった。


オレからそう要望されたYは、即座にこういった。


「あ、ごめん。 オレ、そういうのはほんとムリ」


この黒ひげ大会初の‘拒否’である。


似てる似てないや、ウケるウケないのクオリティは求めていなかった。

軽いノリと、Yの違った一面をも見たかっただけ。


オレは一応もう一度、「いや、別に面白くなくても似てなくてもいいんだよ」と。


だけどYは改めて


「あ、いや、オレほんとにモノマネとかギャグとかはダメなんだ」

と答えた。


Yの目と口調が真剣だったので、ちょっと拍子抜けになったがオレはそのリクエストを取り下げて、なにか無難な質問に変更したら、Yはそれには答えていた。



Yにとって、そういうことは人前でやりたくないか、あるいはほんとうに人格にマッチしない

芸事だったので拒否したのだと思う。


これが大勢の人間を前にしたステージ上とかでやれとかいわれたのなら嫌がるのは当然かも

しれないが、その場は気の合う同級生4人しかいないホテルの一室だ。


スベッたところでたいしたダメージはない。


Yというひとりの人間にとっては、そこがどこかとか相手が気のしれた仲間だとか関係なく、

絶対にやりたくないことなのだ、やるのが苦痛なことなのだとわかったから、オレは軽くも

強制することはなかった。


オレもYと似たような部分があるから、そこで頑なに拒否する気持ちは理解できたのだ。


オレや、オレらのような集まりの場じゃなかったら、きっとYになんとしてもしつこくやらせようと

してたヤツ吐いたと思われる。


「そんな真剣な場じゃないんだから、深く考えず軽い感じで盛り上げるためにちょっとやればいいだけだよ!」

とかいって。


でもね、人によっては本当に些細でなんともない簡単なことでも、それが本当に苦痛でしょうがない人や、能力的に単純にそれができない人もいるということをオレは痛いほどわかっている。


だから機嫌を損ねていたとかいうことはまったくなかったが、Yにたいして、ちょっともうしわけない

‘フリ’をしてしまったかなとは反省している。



そうなんだ。


Yのこの件に関してはプライド的な拒否や、人の楽しませ方の自信の有無からくるものかもしれないが、クオリティに関係なく、自分にとってはものすごく簡単に当たり前のようにできる行動でも

人によってはものすごく難易度の高い行動だったり、清水の舞台から飛び降りるほどの度胸が

必要だったりすることもある。


似てなくても全然笑えなくてもいいのでたったひとこと、つぶやきシロ-のマネをすることは

オレにとってはこれ以上ないほど容易なことだが、Yにとってはいろんな意味で絶対にできないこと。


でも、この差は決しておかしいことでもなんでもないのだ。


自分にとっては簡単にできることでも、人によっては限りなく難しくまた苦痛であることもある

ということを人はもっと自覚するべきだと思う。


「いくらなんでも、そのくらいはできるだろう」とかいう人がよくいるが、世のなかに誰にでも

できて当たり前、理解できて当たり前なんてことはきっとひとつも存在しない。


そういったやりとりや討論も、健常者同士であれば冗談ながらにも話したり、分かり合えたり

するが、見た目だけでは普通の健常者に見える発達障害の人の場合は、よくこの

「いくらなんでもそれくらいはできるだろう」

という概念に悩まされるのだ。



前から気になっていた本があったので、先日立川の大型書店までいって購入してきた。


少し前に発達障害を告白したモデル・栗原類の本。


発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由/KADOKAWA
¥1,296
Amazon.co.jp

このブログでもちょくちょく書いているが栗原類は好きだ。


はじめてテレビで見た時、いろんなキャラを演出して必死に売り出そうとしているタレントが

乱立するなかで、なんというか彼にはその、ニセモノっぽさをまったく感じなかった。


直感ではあったが、人を見る目がないと自覚するオレとしては珍しく正解の視点だったようだ。



この本を読むと、彼が今まですごく苦労したり悩んだりしてきたのにかかわらず、冷静に

自分を分析し、なおかつ他人のことまで考えているのがよくわかる。



栗原類はADD。

注意欠陥障害という発達障害。


人から聞いたことをすぐ忘れてしまったり、出かける時にはいつも何か物を忘れてしまったりする。

そして2つのことが同時にできない。


いい加減に話をきいているわけでもない。

やる気がないわけでもない。

能力の問題で純粋にできないだけなので、それ以上の理由などない。


だから学校生活などにおいてもいつも何かを忘れてしまうのだが、外見が健常者に見える

うえに、コミュニケーション能力と表情も乏しいので、


『聞いている顔をして、人の話を聞いていない人』


と捉えられてしまい苦労してきたようだ。


何度か書いてきているが、オレも数字をおぼえることができない。

たとえば「74」という数字を聞いても、数秒たったら「47」だったか「74」だったか、もうわからなくなったりするし、場合によっては数字ごとすべてふっとんだりする。


数字が嫌いだとか、おぼえる気がないとかそんなことじゃないのだ。

漢字とかはすぐに覚えられるけど、数字は小さい頃からおぼえられなかった。


だからガソリンスタンドでバイトしていた時は正直きつかったし、オレにサービス業が向いてないと

痛感していた。


オレも栗原類と同じで、2つのことが同時にできない。

ガソリンスタンドではハイオクとレギュラーの2種類があり、さらに客によっては満タンに限らず

10リッターとか2500円ぶんとかと注文してきたりする。


ハイオク満タンとかレギュラー満タンならばまだおぼえられるが、ハイオク20リッターなどと

いわれると、油種と数字の両方をおぼえなければならない。



20,20,20、20……と数字ばかりを忘れないように集中しながら、ポンプを稼働するボタン

がある装置にゆく間に、数字はおぼえていながら、ハイオクだったかレギュラーだったかを忘れて

しまったりする。


1分間くらいの短時間で同じ客に3回聞き直して、怒るどころか呆れて「いいかげんにしてくれよ」

と笑われたこともあった。


やがて営業マンになってからもそれは変わらなかった。


商品名やキャンペーンのタイトルなどはすっと頭に入るのだが、締切日や料金などの数字関連が

どうしてもおぼえられず、いつも必要以上に料金表と締切日を書いた進行表を手元に持っていた。


いつまでもこれじゃいかんと思い、毎日家に帰ってからも自分の時間を削り、商品の料金を

暗記しようと思い、資料を眺めたがやはりおぼえられなかった。


その後の会議で締切日を訊かれてもぱっと答えられなかったことで、心ない上司から

冷めた口調で

「おまえの仕事に対する姿勢と意欲にはもう呆れましたよ」

といい放たれた。


それから体重は8キロ落ちた。

やがて左右の手首を切って血がダラダラと垂れ流れている夢を見るようになった。

だけど必死になってやるべく仕事はなんとかやり、成績は残した。


さきほどの話に戻るが、一般の人にとってひとつの事柄を憶えたり、たった2桁の数字を

おぼえるということはできて当たり前のことかもしれない。


だけど、それができない人もいるのだ。オレや栗原類もことを抜きにしても。



もちろん、自分のできることやできないことをよく自己分析して、就く仕事や環境を選ぶ

というくらいの考えはおこすべきかもしれない。


だけど、


誰が誰にたいしてであっても「いくらなんでもそのくらいはできるだろう」という概念だけは

捨ててもらいたいというのがオレの願い。


甘えではない。

栗原類のような発達障害者だけでなく、やる気の問題抜きでそういう能力に欠けている

人間もいるのだ。


栗原類は仕事を受ける際、自分にできないことやフォローしてほしいことをあれこれと

前もってスタッフに伝えるらしい。

母親も息子が仕事を受けた際、スタッフサイドにいろいろ伝えるらしい。



でも、それは決して責任回避のための「予防線」ではないのだ。



栗原類が著書で書いていたのは、前もっていくら「これはできない」「あれはムリ」とスタッフサイド

に伝えても、結局スタッフ側から

「いくらなんでもそのくらいはできるだろう」と判断され、決まった企画をやらされる。


そして結局間違えたり、ミスをしたりすることになる。


こうなると栗原類本人も辛いと思うが、なにより一番の被害を被るのは制作スタッフ側である。


栗原類という人間はとても優しく、人のことを誰よりも考えている若者だというのが書いている

ことからも伝わってくる。


できないことをやって自分がミスすれば最終的に一番迷惑を掛けてしまうのはスタッフだからと

理解しているから、たとえ自分が予防線を張ったり、やりたくないことをうるさくアピールしている

人間だと誤解されようとも、相手に迷惑を掛けないために前もってそういうことを伝えているのが

よくわかる。

相手を気遣うために自分が誤解される悔しさ。わかる。



最近よく思うことがある。


発達障害、あるいはその可能性がある人はよく相手に迷惑掛けちゃいけないと思い、なにか

行動を起こす前に前もって、

「自分は○○ができないので」

「○○は苦手なので、他の人に任せたほうがいいかもしれません」

と伝えることがある。


それはその人なりの気遣いだ。


だけど、それにたいして


「自分ができないことを障害のせいにして逃げてない?」


とか普通に口にしてしまう人がいる。



いや、確かに中には健常者なのにそういったスケープゴートを作っている人間もいるのは

事実だと思う。


だけど、いうほうも少しだけでいいんでデリカシーというものを持ってほしい。



オレがさっき書いたことを踏まえて――



もしその人が何か簡単なことをおぼえたりできなかったり、俗にいう空気を読めてなかったり

する発達障害者だったとする。あるいはほぼ健常者だけど、部分的な能力で軽度の障害を持った人だったとする。


そういう人たちがしっかりと自己分析して他人に迷惑掛けないよう、なにかミスが起こってからではおそいから、前もって親切心で明確に「自分は○○ができません」とかいったのに、それにたいしてそっけなく「逃げ」だと返された時の心境を。


受けるほうもそれが「予防線」か「気遣い」か、それなりに長く付き合ったうえで、その話し方と

表情を見ればわかるはず。


それでわからないのであれば、その人は所詮、言葉尻や表面でしか他人の心境を判断できない

人である。



栗原類も本の中で書いていた。

自分自身をしっかり見つめて、改善できる部分は少しでも改善する。

それで自分にできることとできないことをしっかりと判断したうえで、周囲にも伝える。


そこまでやっても「言い訳だ」とかいう人は無視すればいいのです、と。



また本書には栗原類のお母さんや、主治医、そして親交のあるピース又吉直樹も文章を

よせている。


栗原類はお母さんも同じ発達障害だという。


でも、だからこそなのだろうか……


文章を読んでいて、自分の息子をよく理解していると同時に母親としてものすごく深い愛情を

感じ取ることができた。



発達障害の有無を問わず、世間一般においてだいたいコミュニケーション能力に欠けていたり

人をふれあうのが苦手な人間にたいして、親や友人がとりたがる行動は、多少強引にでも

ある程度「社会に適合させること」である。



つまりここに見え隠れするのは、本人の性質の尊重や、その人間ならではの長けた能力を

見つけだして引き出すことではなく、とにかく周囲に協調させて溶け込ませること。


これって純粋になにか間違っていると思う。


無難に生きる術を叩きこもうとしてるだけというか、良い部分も悪い部分もすべて含めて

いわゆる平均といわれるものまで、その人間を近づけようとしてるだけじゃないか。


それって優しさといえるのだろうか?


だったらまだ悪い部分も残しながらも、他人が発掘してあげることができなかった部分を見つけて

あげて褒め、それを伸ばすように助言などしてあげるほうがオレは優しさだと思えてくる。


お母さんの書いた文章を読んでとても感銘をうけた。


お母さんはなにかとこなすことができない類くんにとって、決してスパルタでも過保護でもなく

最高の「理解者」なんだなと。



それは著書の終盤で栗原類が書いていたことからもわかる。



発達障害者にたいして、なんでも「あなたはそのままでいいのよ」といってしまうと

本来改善できたはずの部分や、開花せきた才能まで閉じたままにしてしまう可能性もある。

そこが難しいと。


周囲が簡単にできることでもムリならムリでいい。

だけど改善できるところは改善するように心がける、と。



発達障害者やその可能性が濃厚な人にたいして、家族や周囲の友人は、その人を世間一般の

感覚に近づけるリハビリ係ではなく、その人の優しさや才能を誰よりもしる理解者であってほしい

と思った。


この本はたくさんの人に読んでもらいたい。


立川の書店でこの本を探してながら、たどり着いた棚を見て驚くと同時に嬉しい気持ちになった。


その本棚で唯一、この本だけが横一列面だしで配置されていたのだ。



最近は勝間和代とかも発達障害だったとか聞いた。


書道家の武田双雲も、診断こそ受けていないが「自分もおそらく発達障害」だと告白した。



この本に文章を寄せたピース又吉も書いていた。

類くんの存在がもっといろんな人に発達障害をしってもらうことになってもらうキッカケになれば

いいと。


まったくオレも同感。



自分のまわりに不器用な人や、モノをおぼえられない人や、空気を読めないという人や

自分のことばかり話す人がいた場合、その人にたいして天然だとか、やる気がないだとか

気遣いできないだとかバカにする前に、まずは発達障害というものがどういうものかと

よくしってもらいたいという思いで、本日の記事に至った。



ここまでの長文、最後までお付き合いいただいた読者様には心より御礼申し上げます。