がんばれゴエモン!からくり道中 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。



小学生から高校生くらいまでは、年に1回か2回ほど芸術鑑賞会とか偉い人の講演を
聴くような企画があって、学年全員でバスに乗り、学校近くにある市民ホールなどに
出向くことがあった。
おそらく、みなさんもあったと思う。

学校側が企画するものなので、だいたいがお堅い内容のモノだった。
伝統芸能や合唱などの観覧などで、詳しい内容はともかく、こんなのに行ったなあって
いう程度の記憶はいくつか残っている。

高校時代で覚えている企画のひとつは、今はもう亡くなられた有名大学教授・森毅氏の
講演会。

たしか、多摩センターだっただろうか。
すごい人数を収容できる大型ホールに生徒全員が入って、学校側が呼んだ森毅氏の話を
1、2時間聴くという企画だった。


森氏がかなりの権威だということはのちに知ったのだが、当時高校生だったオレらにとって
はよくわからない知らないオジサンのひとりでしかなかった。

こじんまりとした会場で目の前に講演者がいるならば、いくらバカな高校生とはいえ、
一応礼儀を考え、少なくも黙って聴いたふりくらいはするだろが、なまじ超大型ホールを
貸し切って、生徒全員を入れてしまったのが学校側としては大失敗。

ホール中央あたりから後ろの席にいる生徒は、檀上から離れていることもあって
講演開始まもなく、あちこちで私語を咲き乱れさせた。
高校生にとって、森氏の話など難しくて馬の耳に念仏だったのだと思う。

オレらは一応最後まで聞いていたけど、内容はやはりわからない部分が多かったのが
正直な意見。

最初はホール後ろのほうだけが私語で騒々しかったのだが、やがてそれが伝染。
講演中盤には既に9割以上の生徒が、檀上でタンタンと語る森氏を無視して、近くに座る
クラスメートと笑ったりしながら騒ぎ出した。

翌週アタマに行われた全校朝礼の時、校長先生が全校生徒の前で

「先日の講演会が終わったあと、森先生のところに挨拶にいったら、先生から
『講演中はずいぶんウルサかったねえ』といわれた。私はとても恥ずかしかった!!」

と、生徒に向かって叫んでいたのは今でも覚えている。

たしかに当時の森氏知らなかったオレから見ても、講義中のあの騒々しさは失礼だと思った。
森氏の指摘は当然。

ただ、講義中に私語をしていた生徒も当然悪いが、企画した学校側の段取りも悪すぎる。

芸術だとか哲学だとかに興味も薄い偏差値50以下の高校デビューばかりの生徒を
あんなホールのまとめて放り込んだところで、社会的地位のあるオジサンのありがたい
おはなしをじっくり聴くとでも思ったのだろうか。

学校側というか教師側のほうも、そういう結果を予測せず、そういった企画こそ、
ためになるのだという自己満足があったのではないだろうかと今は思う。

勝手に当時の生徒を代表しまして、森先生、あの時はどうもスイマセンでしたm(__)m。


森先生の難しい講義はそんな感じだったのだけれど、その一方で集まった生徒全員を
釘付けにした芸術鑑賞会もあった。
テーマは落語。


これも同じく高校から近かったどこかのホールでやったわけだが、学校が招いたのが
三遊亭小遊三師匠と林家木久蔵(現・木久扇)師匠だったのだ。

今考えれば、弱小学校にしては豪華な企画。

ちなみにオレはこの当時、「笑点」をあまり観ていなかった。
木久蔵師匠のほうはラーメンで有名だったから知っていたが、小遊三師匠の名前は知らなかった。
フリーザなら知っているけど、コユーザって誰?レベルの認識。


だけど、いざ落語が始まってみると面白い。
笑点をあまり観ていない高校生のオレから観ても面白く、周囲のクラスメートも釘付けだった。

印象に残っているのが木久蔵師匠の落語。
以下のとおり。

入院中の大師匠のお見舞いに行く際、師匠の大好きな甘いモノを持ってゆこうと思って
アーモンドチョコレートをも持っていった。

ベッドの上にいる師匠にそれを差し出すと、師匠が「これはなんだ?」と聞いてきたので
「チョコレートでございます」と答えた。

それを聞いた大師匠はチョコレートを一粒つまんで、口に中にポイと放り込んだ。

ゴリッ!ゴリッ!と口の中で噛む音を数回させたと思ったら、大師匠は急にけげんそうな
顔をして、口からペッと、チョコの中に入っていたアーモンドを吐きだした。

「師匠!どうしたんですか!?」

と訊いたら、大師匠はこう答えた。

「チョコレートに‘タネ’が入ってた」

ここで生徒一同大爆笑。
オレも笑った。
木久蔵師匠は偏差値50以下の礼儀知らず高校生たちのハートを見事わしづかみに
した。

あの芸術鑑賞会は面白かった。


高校の時はそんな感じだったけれど、中学の時は演奏を聴く系の芸術鑑賞会がほとんどだった。
中学生なんて高校生よりも教養がなく、興味ある音楽もロックとかアイドルばばかりなので
演奏中、私語こそしないが、そこまで興味深く耳を傾ける生徒もいなかった印象を受ける。
演奏される曲とかもクラッシックとか日本の伝統的なものばかりで、曲名も聞いたことない
ものばかりだから、みんななんとなくボンヤリとステージを見つめている感じ。

ある演奏会の時もそんな様子だったのだけれど、知らない曲が次々と演奏されてゆくなかで
ある1曲の一カ所に差し掛かった時、そこにいた生徒たちがザワっとなった。
オレもなった。


知らない曲名の中で、聴いたことあるようなメロディーが流れてきたのだ。

曲名は今でも覚えている。
「八木節」だ。
※動画で演奏されている方々は当時の観賞会で演奏されていた方々ではないです。




この八木節の途中の
ポンポンポンポコポン!ポンポコポンポン! ポンポン!

という部分が当時話題だったファミコンのゲーム「がんばれゴエモン!からくり道中」
のBGMにそっくりだったのがざわつきの理由だ。

似ているかどうか冒頭のゴエモンの動画の0:30のあたりを聴いてみていただきたい。


実際にはわからないが、オレはゴエモンのこの部分のメロディ、ぜったいに八木節から
ひっぱってきたと思って、wikiでゴエモンの項目とか調べてみたんだけれど、書いてない
んだよな。どうなんだろ?


ゴエモンのBGMに似ているということがキッカケで、演奏会が終わったあと一緒にいた
クラスメートがオレに「やっぱ、八木節が最高だったよな!」といってきた。

そんなオレらのやりとりを近くで見ていた女性担任が微笑ましい顔をしていた。

きっと「そういう音楽に興味なさそうな中学生だけど、良さがわかったのね」とか
思ったんだと思う。

たしかに当時は八木節のすばらしさというよりも、ゴエモンBGMに似ているという意味で
印象に残った。


今考えると、音楽的な歴史の順序でいえば存在を知る順が逆だとは思う。

だけど、ゴエモンのBGMに似ているということが印象に残ったことで、八木節という
存在とその名前、そしてメロディーだけは今でもしっかりと憶えている。



ホントのところ、ゴエモンBGMのあの部分が八木節引用なのかは不明だが、どちらにせよ
新しいモノから古い歴史的なモノを知るいいキッカケになったのは事実。


ちなみにゴエモンのゲーム自体は友人から借りてちょっとプレイした程度で、BGMを憶えていたというだけで、それほど思い入れはない(笑)