人はなぜ誇りを持たせたがるのか? | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

芸能界を引退した島田紳助が話していたよくできたエピソード。

不良だった学生時代はたびたび問題を起こしており、一度校長室に呼ばれた時に


「おまえは我が校の‘ゴミ’だ!」


と言われたという。



それからしばらく経って、芸能界に入り活躍するようになった島田紳助は母校にゆき、

当時の校長先生を訪れて、「先生、あの頃はご迷惑掛けて申し訳ありませんでした」

と謝罪したら、校長先生は笑顔で


「いやいや、君はわが校のほこりだ」


といったという。



紳助氏いわく「ゴミからホコリに変わった」から大差ないというオチ。

個人的には好きな話だった。



しかし前から思っているけど、日本人は自分自身、あるいは自分の仕事に対して

誇りとか自信を持つという概念がなんか好きだ。

外国人はどうかわからんけど。


それが本当に好き、あるいは好きとまではゆかなくとも自分で選んだ道や、適正だと

思えるような作業であるならば、それは本心だろうから問題ないしこちらも文句つけようが

ないのだが、とくに好きでもない、やりたかったわけでもない、どちらかといえばその仕事しかやれなかったからやっているにも関わらず、自分の仕事に誇りを持とうとしている人が多く思えて、

なんだか息苦しさを覚える。



そして周囲もなんだかんだで人に対して「自分の仕事に誇りを持て!!」と説教するのが

好きだ。


やりたくないのにしょうがなく事務的にやっている仕事に誇りを持つ必要が果たしてあるのか

と考えたりする。


もっと切り込んでゆけば、いやなことには心底誇りなんて持てやしないのだ。

自己暗示に過ぎない。



「自分のやっている仕事に誇りを持たない人間」=「仕事をいい加減にやっている人間」

だという人も多そうだが、その方程式は安直だと思う。

精神論の極み。


もちろん、イコールが成り立ってしまう人間も残念ながらそれなりに存在するだろうが、

その反面、とくに誇りも持たず、事務的に生活費を稼ぐためにやっているが、任されたことは

しっかりと終わらせる人も世の中にはいるのだ。


個人の見解ではやたら誇りだとか自分に自信を持つという言葉を乱発する人間よりも

そういった人間のほうが信頼できる気がしないでもない。



能力や覚悟もないのに、人の命を守っている仕事という肩書きだけで、誇りを持たれても

困るし、あなたの人望や動き方で勘違いして誇りを持たれたら困るといった上司もいくらか

見てきた。

いやいや、あなたのやり方で自分に誇りを持たれたら周りが迷惑ですよって。


人は人に対してやけに誇りを持たせようとするが、本音では微塵も持っていないのに

それを持つように自己暗示かけて生きるのはかなり疲れると思うのだ。



好きじゃないものは好きじゃない。しょうがないからやっている。

最低限はずれたことはしないという前提があったうえで、食うためにしょうがないから

やっているという風に気軽にとらえたほうが、オレは逆にフットワークが軽くなるように思えて

ならない。


自身のやっていることに対して、無理やりに誇りを持とうとか自信を持とうとか強く言い聞かせている人は逆に、誇りという暗示の鎖にがんじがらめになって動きがとても鈍くなっているように

目に映るのだ。


最近わかってきたのだ。

お偉い方々の話を聞いたり、ありがたい文章を聞いていると浮き出てくる疲れの正体が。


やたら前向きな人や精神論が濃い人というのは、なんでも最終的には美徳という壺に納めないと

気が済まないのだ。つまりプラス思考で終わらすということ。


マイナスで終わらせろとまではいわない。

だが、人によってプラス分が重石になるのであれば、プラスにもマイナスにもせず±0を維持する

のも重要。



好きになれない仕事は好きになれない。誇りも持てない。だけどお金をもらっている以上、

結果を出せる出せないは別として、しっかりやる…… それでいいのではないか?



そもそも仕事って、誇りがないとやっちゃいけないものなのか?


日本人て、気の持ちようを隅から隅までテッテー的に美しくガッチリ固めるのが好きなようだ。


たとえば集団的自衛権の話。


過去にも書いたようにオレは賛成といえば消極的賛成。

反対といえば条件付き反対である。


テーマが分散してしまうので、ここでまた賛否論を討論することはしないが、反対派の方々が

よく「世界に誇る憲法9条」とか「キラキラ輝く憲法9条」とか書いた幕をもっているのをテレビで

よく見かけた。


9条があったおかげで日本は長い間、戦争をせずに済んだというのは事実。


現在の社会情勢にそぐわないかどうかはここではおいといて、ここ数十年のことを考えれば

9条が素晴らしいというのは紛れもない事実。それは認める。



ただ、言葉はちょっと悪いというか極端な表現かもしれないが、アメリカからの押しつけ憲法

だというのも事実だと思う。

それはそれで認めるべきだと思う。


それを踏まえたうえで

「押しつけられた憲法だったけれど、結果的にそれが素晴らしいものだったから守ろう」

「押しつけだろうがなんだろうが良いものは良い」

と、それだけいえばいいのではないかと思う。


それを誇りだとかキラキラ輝くだとかいったワードで装飾されまくると、本音というよりも

守りたい一心で必死に美しい言葉で飾っているなっていうような印象を受けてしまう。

あくまで個人の見解。



オレがなんとなく思ったこと。数学は嫌いだけどひとつだけ。


数式においてプラスとプラスをかけると当然文句なしのプラスの答えがはじき出される。


だけど……マイナスとマイナスをかけても答えはプラスになるのだ。


でも同じプラスの答えが出される計算式にしても、マイナスというものがある計算式は最初から

使いたがらない日本人が多いのではないだろうか。


はじき出される答えは同じなのに、マイナスを毛嫌いする人間は、プラスしか使用しない計算式

しか使いたがらない。


いいたいことが少しでも伝われば嬉しい。



あとは国語と英語を絡めて「誇り」の論をひとつ。


「誇り」。


それは英語でいえばプライド。


言語が違うだけで意味はまったく同じだ。


人間というものは実に不思議な生き物で、他人に対してやけに「誇り」を持たせたがるが

「プライド」は捨てさせたがるのだ。

言葉というパッケージが異なるだけで中身は同じなのに。


おそらくだが……


日本語で「誇り」といったり書いたりすると、なんとなく‘美しいもの’‘自信’といった

ニュアンスがあり、英語で「プライド」といったり書いたりすると‘高慢’‘うぬぼれ’と

いったニュアンスが漂うのではないかと考えられる。


用いる場合、プライドという言葉のほうが分が悪いのではないだろうか。



「ボクは自分の仕事に誇りをもっています!」

とか言ったら、おそらくみんなから立派だといわれるだろう。



だけど、

「ボクには今の仕事にプライドがあるから、他の仕事はやりません!」

とかいったら、きっと

「そんなつまらないプライドは捨てろ!!」

といわれる(笑)


「誇りを持て」というセリフはやたらめったら聞くが「誇りを捨てろ」というセリフは聞かない。

だけど「プライドを捨てろ」といったセリフは耳にオクトパスができるくらいよく聞く。


そのくらい誇りとプライドというワードの温度差はひどい。

誇り好きなのにプライド嫌いな日本人。


重ねていうけど中身は同じなんだよ。

誇りという包装紙に包まれているか、プライドという包装紙に包まれているか。


前に書いたバチとオカルトの例にも似ているかもしれない。

オカルト的なものは一切信じないといっているけど、お地蔵さまに唾を吐くことは何か

おきそうだからできないという考え方。


包装紙程度で対応や扱いが変わるくらいだから、実は「誇り」なんてたいして重要じゃないの

かもしれない。

あくまでひとつのとらえ方として。


誇りも埃もミソクソかもしれないな(笑)



必要以上に自分のファッションとか髪型を気にして身だしなみに時間をかけている人が

いると、「おまえのことなんか誰もそんな見てねえよ」とかいう人がいる。


自分の仕事などに誇りを持とうと暗示をかけることが悪いとはいわないが、それと同じで

自分の誇りなんて、自分が思っているほど他人は興味ないかもしれない。



オレは好きでもない仕事などに対して無理やり誇りを持とうとすることはしない。

それはそれであくまで事務的、義務的なことと割り切ってこなし、それとはまた別で

本当に心の底から誇りを持ってやれることを探す。

その結果、文章を書くという作業を見つけた。


そして、オレはなんでもかんでも「誇りを持つ」って連呼しない自分自身にちょっとだけ誇りを

持っている。


誤解のないように最後に改めて。

本当に苦労して自分に合った環境や役割をみつけて誇りを持っている方々には敬意を

表している。


また、何に対しても誇りを持てない人がいたとしても、それは決して悪いことじゃないというのを

今回は書きたかった。


人生が生きづらく動きが鈍くなるくらいだったら別に誇りなんてもたなくてもいいんじゃないの!?


Take It Easy

(気楽にいこうぜ)




グッドナイト。