山田詠美「風葬の教室」 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

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ひとつ衝撃的な事実に気が付いた。


もう8月も終わりになろうとしているのに、今年まだ一回も蚊に刺されていない。

刺されないにこしたことはないが、これはありえることなのだろうか。



NASAの人がつぶやいていたとおり、近年でもっとも暑い夏になっているのかわからんが

もしかしたら、蚊さえも飛行するのが困難な湿度または気温にみまわれているか、

あるいはオレの血液があまりにも汚れすぎてて、ついに蚊にも見放されたかのどちらかかも

しれん。


刺されないにこしたことはないけれど、7月に新しいウナコーワをせっかく買ったのだから

一回くらいは刺してくれないと、なんだか悔しい(爆)



それにしてもあの「蚊」というやつは、実は「刺して吸っている」のではなくて、

「切って、そこに滲んだ血を舐めている」というのが本当のところらしい。


漫画やアニメに登場する蚊は、口のあたりから一本の針というかストローみたいなものが

伸びていて、それを肌にプスっと刺してチュウチュウと吸血しているが、実際は口のところから

皮膚を裂くノコギリのような管と、ストローのような管の合計2本が伸びており、まずはノコギリ

のほうで皮膚の表面をキコキコと切り、表面に血がジワーと滲んだら、そこにストローのほうの

先端をペタっとつけて、チュウチュウとやりやがっているようだ。


ただどちらにしても、冷静に考えてみると鉄の塊である軍艦や飛行機が、水に浮いたり

空を飛んだりするくらいの神秘のような気がしないでもない。


あんなに小さな生物の持つ、さらに小さな管が、巨大な人間の皮膚を切り裂くことが

できるのだから。

それでもって、伝染病などを人の体内に密輸しては残して、またどっかにプィーンと

飛び去ってしまうのだから侮れない。


あと、蚊は叩かれて絶命したあと時に最期の一矢を報ってくることがある。


どこかの店にいた時、目の前に一匹の蚊が飛んできたことがあった。


オレの胸のあたりで左右にユラユラと飛んでいたので、拝み手をするように胸の

前でパーン!と叩いた。


撃墜成功。


だが、両手ではさんだとほぼ同時に、その時来ていた白いティーシャツの胸に部分に

赤い点がひとつ、ポッと現れた。


?……


一瞬何が起こったのかわからなかった。

が、すぐに理解した。


血がついたのだ。


そう、オレが両手ではさんで叩いて撃墜した蚊か、それまでにいろんな人の血をたらふく吸って

いて、まるで「浮遊する血袋」と化して、オレの前にやってきていたのだ。


勢いよくオレに叩かれた蚊は、両側の壁で思いきり挟まれて破裂した水風船のごとく、

吸ってきた血を炸裂させ、自分を殺したオレに対してまさに「返り血」を放ったのだ。


デパートの地下に出没するベテランスリのような大物の蚊を退治し、これまでこいつに

血を吸われてきた人たちの仇を討ったような清々しさと、大事なTシャツにどこの誰のもの

だかわからない血をつけられた悔しさという複雑な思いが交差する瞬間だった。



でも生物学的に、蚊という生き物は体が小さいだけに生きている時間でわずか数回した

血を吸うことができないという。


そして血をたくさん吸った蚊は近くでよく見ると血が透けて腹がとても赤くなっているらしい。

また腹にたくさんの血を入れているため、体が重くなり、飛行における速度や動きもかなり

鈍るという。


満腹満足になればなるほど、人間に殺されるリスクが高くなるということだ。

人間の世界も蚊の世界も似たようなもん。

そんなウマい話はなかなか存在しない。



山田詠美の作品「風葬の教室」のなかにもそんな蚊の生態や、運命を人間からの視点で

とらえた箇所があり、何気ないそんな言葉が主人公の少女の心を救う。



――

担任の教師に好意を持たれたがゆえに、教室の中で生け贄となってゆく転校生の少女。

教室を支配する宗教と化したいじめの中で、少女に兆した‘死’の思いを描く代表作。

(解説より引用)


ある日、教室で蚊にさされた先生がクラスの生徒に向かってこんなことをいう。



「先生は蚊に刺されるのが楽しくてたまらん。だから、お酒も煙草も止めないんだ。

いいか、蚊がぶうんと来て、先生の腕に止まるだろ。普通の人だったら、そこで、

ぴしゃりと叩いて蚊をつぶしちまう。


だけど、先生は、自分に止まった蚊をそれからじっと見るんだ。

見てると、蚊の腹が、どんどん赤く染まって膨れていくのが良く解るよ。腹がぱんぱんに

張ると、蚊はふらふらと先生の腕から離れてゆくんだ。


だけど腹いっぱいだから満足に飛べない。

そこを一気にぱしんと叩きつぶすのさ。ちょっとばかり刺されたって、長いこと刺されていたって

痒いのには代わりないんだからな。それなら殺し易いほうを選ぶべき」


……




この言葉から主人公はいじめを乗り切る術をみつける。



それは自分をいじめている連中を心の中でひとりずつ殺すこと。

そして軽蔑すること。



先生の言葉と主人公の見出した回答の間にある解釈は何気にわかるようで深い。

そして難しい。


オレがもし主人公の立場だとしたら、


「横暴で自分勝手なことを好き放題やっているやつなだけに、いつかそのしっぺ返しを

喰らった時を楽しみにしていればいい」


と解釈すると思うが、果たしてこの主人公の深い捉え方はいかがか?



いや、でも結果的に作者の山田詠美や登場人物の先生の意図する結果と違った

勘違い解釈だとしても、しれが結果的にいじめられている子を救いの道に誘うことに

なればそれはそれでいいと思う。


言葉や文章って、そんなもん。

ある程度、その人なりの解釈が入り込むからこそ、悪い意味でも良い意味に捉えることが

できる。



川上未映子の「ヘブン」など、いじめをテーマにした作品は興味があっていくらか

読んではいるが、この「風葬の教室」もなかなか面白かった。



今、隠れていじめられている子たちは、なんでもいいから乗り切るヒントを見つけてほしいと

切に思う。

立ち向かえなんていわない。

だって、立ち向かうことができないような、おとなしい子たちだからいじめらているんだもの。


君たちが死ぬ必要はない。


君たちをいじめた連中がいつかひどい目にあう瞬間をしっかりそのふたつの目で見るために、

君たちは生きるべきなのだ……。





以上、「いじめ」と「蚊」の話でした。


四六時中モスキ~ト言ってぇ♪