ケン74は静かに暮らしたい | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ウィルスとストレスの同盟軍によるオレの体にむけた同時テロ勃発。


日曜昼あたりになんとなく寒気を感じたが、たいしたことないだろと普通に米炊いたり、

シャワー浴びたりして過ごしていたのだが、あまりにも悪寒がひどくなってきたため、

やむを得ず体温を計ったら、原因不明の39.5度


以降2日ダウン。


昨日一日は部屋から一歩も出ることなく暗い部屋の中でもがいていた。



コンタック


今朝なって37・5度


2日たってかなり落ち着いてはきたものの、周囲の勧めもあって病院へゆく。

クスリをもらって、今は借り物のギリギリ平熱。

まだ頭がクラクラするが気力があるうちに更新。ゴホゴホ。


先生曰く、おそらく何らかのウィルスに感染だろうとのことだったが初見ではわからないとの

こと。


何で当たり前のように生きてきただけなのに、こんな目にあうのだ。

今回の発熱に限ったことじゃない。これまでに起こったことにたいしてもだ。


『このケン74の人生に……こんなヒドイ事が……あっていいはずがない』



発熱の直接の原因はやはり謎のウィルスだろうが、オレの防御壁を徐々に浸食させてウィルスの

侵入口をこじあけたのはやはりストレスだろう。


質の高低はともかく、哲学的な人間や、矛盾を許せない人間、八方美人を演じることに対して

大根役者あるいはオファー拒否をする人間はただ生きているだけで他人の数倍ものストレスを

負担せざるおえない。

そう自覚している人は他にもきっとたくさんいる。


「きちっとしているふりをして周囲にもそれをアピールしているが実はテキトーに生きている

やつ」ほどストレスを背負っていない。


「いい加減ぽく見えて、実はあらゆる事象ややり取りに関して深く考えてしまうやつ」ほど

ストレスをしょい込んでいる。


ふつうに生きているだけならば何もストレスに感じないという人が羨ましい。


オレ自身に直接的な攻撃がなかったとしても、妙に小利口な人間や矛盾だらけの

人間を見ていると、細かいことでもそれだけで腹が立ってストレスになる。


かつての職場の女性や、知人女性から決まってよく聞くグチがあった。

「ホント、オンナノコ同士のあつまりってメンドくさいんだよ!」

「オンナ同士の好き嫌いって、ホントにエゲツないんだよ」


オレは男だからオンナ社会の詳細はまったくわからんが、たくさんの女性がオトコであるオレに

対して強くグチるくらいだから、本当にそうなのかなあとは思う。


ひとりの女性からは最期にひとこと、

「ケンさんはオンナ社会だったら、きっと生きていけないですよ」

と笑いながらつけくわえられた。


言葉の真意はわからんが、なんとなく理解できるような気もした。


ただはっきりいえば、オトコ社会だって女性に見えないめんどくささがかなりある。

それ以前に男女問わず、人社会が矛盾と見栄と「私が正しい」という思い込みの

オンパレードでめんどくさいことこのうえない。



このコラムでも何度か紹介しているが穂村弘という歌人がいる。

どの本を読んでも共感することばかり書いてくれる人なのだが、この前図書館で借りた

「蚊がいる」というエッセイ集も読んでいて、なるほどと頷かされ、面白い視点だなと感じる

箇所がいくつかあった。

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友人同士で部屋に集まった際にデリバリーピザを頼もうという話になったという。


電話から数分後、ピザが数枚届き、それをみんながいる部屋のテーブルに運び

蓋をあけた時、多くの友人がナイフを入れようとする手前で、ひとりの友人がじっくりと

ピザの表面を凝視していたという。



なんで切らないの? なにを見てるの?とその友人に聞いたところ、頼んだピザにトッピングされているはずのものが間違いなくすべて入っているか確認しているという。


ナイフを入れてしまってから気付いたら、それがは既に「使用後」のピザになるので返品も

クレームもきかない。だからナイフ入れたりかじりつくまえに、まずは確認をしていたという。


穂村氏はこれにとても納得いったという。

オレも納得した。


これまでのピザを頼んだシーンを思い出してみても、蓋をあけてまずトッピングを確認する

という行動をとった人物を見たことがない。オレ自身もやっていなかった。


たとえばマルゲリータを頼んだのにパイナップルが乗ったモノが来たというような、ピザそのものが違うという場合はさすがに気づいてクレームを出すだろうが、ウィンナーやサラミのような肉が

主役のピザにおいて、同席しているはずのアンチョビとかが不在でも肉ばかりに目がいってアンチョビ不在に気づかないパターンはありそうである。


カワリモノのように見えて、実はこのトッピング見極め人は正しいかもしれない。

そして、こういう人こそが仕事においてもプライベートにおいても

「自分はモノゴトをきちっと丁寧に見極めて進行させる人間だ」と人にいえる資格があるのではないかと思った。

だから、オレはそういったことを「いえる資格がない」人間だと自覚した。


それをふまえて考えると、組織や集団の中で本当にモノゴトをしっかりと進行している人間ってどれくらいいるのだろうか。


きっとあまりない。そのくせ他人に対して「オレは何事もいい加減にやるヤツが嫌いなんだ!」

という人間はバーゲンセールのワゴンの積み込みたいほどたくさんいる。


自覚がないのに偉そうなこという奴を見ていると、それだけでもうストレス。


ここでの例はたまたまピザだった。

だからたかがピザの例だという人もいるだろう。


だけど「ひとつくらい入ってなくてもいい」「1回くらい入れ忘れられたって気にしない」

なって感覚がそのまま肥大していったら、とりかえしのつかないことになる。

「タコの入っていないタコ焼きを許したら、社会の底が抜ける」

これは穂村氏の論だ。


自分はいい加減なやつだと認めたうえで人に対して説教もしないやつは別にいいけど

実はいい加減なくせに、人に対して「いい加減な進め方するな!」とか「しっかり考えてから

動け!」とわめくう輩にはストレスがたまる一方だ。



あと、もうひとつ穂村氏の飲み会でのストレス話。

これもずっと前に記事で書いたが穂村氏は(大人数での)飲み会が大嫌い。

単純に大人数が嫌いだというのもあるし、ちょっとトイレに立って戻ってきたら自分の席に誰かが

座っていて自分が移動しないといけないのがイヤだとのこと。オレも同じ。


それに加えてもうひとつ。


「酔っ払いの人たちは酔っぱらっているくせに、その場に心からは同調していない人間を見つけるのがとてもうまい」という理由。


酒でできああがってすべての感覚がもはや麻痺に近い状態であるくせに、その場を静かに過ごそうとか楽しもうとする人を見つける眼力だけは麻痺するどころか、さらに力を増し、そういう人たちに寄っていっては

「なに醒めてんだよー!」とか「なにひとりで落ち着いちゃってんだよー!」とか

「楽しんでないんじゃないのー!」

とかいってくる。

それが迷惑だと(笑)


わかる。 オレも酒は好きだけどそういう絡みはいやだ。

本当に心配してくれて、耳元でそっと「大丈夫?楽しめてる?」とか訊いてきてくれる人は

好きだけど、こちらに対する心配じゃなく自分が絡みたいからそういって絡んでくる人間は

イライラする。

見ててストレスだ。

カラオケで人が歌っている時、聴きもしないで隣りの奴とベラベラしゃべっていたり、選曲本だけに目を落としているくせに、間奏に入った時だけ急に顔をあげてイエー!とか叫んだり強めの拍手したりして、歌が再開した途端にまた見向きもせずおしゃべりしたり、視線を本に落としたりするようなやつと同じくらいに不愉快だ。

これはオレの持論だが、共感してくれる人はきっといると思う(笑)


それを考えると職場やバイト先に限らず、酒の場やレジャーなど本来ストレスを

発散すべく場所においても一部の人間というのはそこでさらなるストレスを背負わされることになるのだな。


つまり生きている限り人間はストレスから逃げられない。

そりゃあ、高熱もでるわ。


困難に打ち勝った時こそ気持ちいいとかいう人もいる。


でもね、理想的な困難なんてそうはないものだ。


誰かが「ヤクザがかっこいいのは映画の世界だけ。実際のヤクザは非道」と語っていたけど

打ち勝った時嬉しいような困難なんて、それこそ映画やスポ根ドラマの中だけ。


「勝てそうもない強敵が出現した」「大事な試合の前に怪我をした」

そんなドラマや漫画ででてくるような理想的な困難は少ない。


たいていは本題とは関係ない方向から打ち込まれてくる理不尽な困難ばかり。

乗り越えたら清々しいどころか、それに打ち勝とうする時間を費やすのももったいないような

誰かが打ち込んできた八つ当たり要素搭載の粗悪な困難ばかりなのが現実。


真正面から飛んできた乗り越える価値に値する困難だったら立ち向かってもいいけど

ただ単純にオレの人生を妨害したり挑発したりするような低俗な困難にオレの人生の

時間を削ってまで乗り越えるようなことはできれば避けたいのだ。



そう、働きたくないとか動きたくないとかいうことじゃなくて、心の安定という意味でオレは

静かに暮らしたい。


オレは誰にもストレスを与えたくない。そのかわりにオレにもストレスを与えないでほしい。


オレは基本誰も批判したくない。だけどオレを批判したり嗤ったりする人間がいたら

オレもそいつを批判しなければならない。

誰かを批判したり攻撃したりするということはそれなりにパワーを使うのだ。


オレはできればそんなことにパワーをつかいたくないし、そんなやつにパワーをつかうのも

ばかばかしい。


オレは自分の心の安定を乱されずに静かに穏やかに暮らしたいだけ。


セレブのような生活も大金も興味ない。


あらゆるプロの世界で年収○億とか聞くと、すごいと思う反面、そんなにもらってどうするの?

って醒めることがある。


まあ彼ら彼女らの場合は金目的で頑張ったんじゃなく、好きな世界で頑張った結果がその

年収になったんだろうけど、1年で10億とか20億ってどうやったって死ぬまで使い切れない

じゃん、と思う。


オレがあまのじゃくなのかもしれないけど、見ていてたまに思う。


どんなに高いモノでもためらわず普通に買えたり食えちゃう彼ら彼女らよりも、

牛丼屋でたまに奮発してネギ玉とかトッピングした時に贅沢を感じるオレのほうが

もしかしたら幸せなんじゃないかなってね。

「金額」よりも「感覚」


「勝ち負け」よりも「生きのびる」ことが大事。



「激しい『喜び』はいらない……そのかわり深い『絶望』もない。


『植物の心』のような人生を……


そんな『平穏な生活』こそ、わたしの目標だったのに




これはジョジョの奇妙な冒険第4部のラスボスである殺人鬼・吉良吉影の名言。

作者である荒木飛呂彦氏も多くのジョジョファンからも愛されている哲学的悪役は

「殺人鬼でなければ」という前提がつけば、あらゆる言葉に説得力があると評判。



オレもこういったように静かに暮らしたい。


口にだすと今の時代「向上心がない」とか「困難から逃げている」とか叩かれるからあえて

いわないが、実は多くの日本人が今心の底で思っているのはコレなんじゃないかなって

思える。


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うう、勢いに乗って長文書いていたらまた頭が痛くなってきた……

寝よう……

みなさまも体調にはくれぐれをお気をつけて。


熱がぶりかえしていなければ2日後くらいにまた更新します(笑)