俺はまだ本気出してないだけ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前からずっと気になっていることがある。

刑事コロンボが好きだったわけじゃないが、細かいことがきになるタチなもんで。


いつからかこの国にひっそりと根付いてきた結果主義に従順する今時の組織に多く見られる

風潮について。


職場において、自分よりあとにいわゆる‘年上の新人’が入ってきたり、バイトの現場において

‘年上の後輩’が入ってきた場合における対応の仕方についての矛盾と境界についての疑問だ。


実体験としてあるのだが、オレがバイトしていたときも営業マンだった時も、やはり自分よりあとに

‘年上の後輩’が入ってきたことがあった。


オレは小さいころから「年上の人には『です』『ます』という敬語をしっかり使え」と教えられてきたので、あとから入ってきた年上の新人の人とかには立場上当然指示はするが、それに伴う話し方は『さん』づけで、当然「○○さん、今度はこれを××してもらえますか?」というような

接し方をしてきた。こちらが先輩ではあるので相手も当然敬語で答える。


だが、その様子を見ていた「オレの先輩・上司」からオレがこう訊かれることがしばしばあった。


「なんで『さんづけ』で呼ぶの? ケンのほうが先輩でしょ?」

「どうして先輩なのに後輩に対して敬語使うの?」

と。

オレは普通に「いや、後輩だけど年上ですから……」と答える。


そこで不思議そうな顔をしながら「ああ、そう」という感じでそれ以上なにもいわず去って

ゆく上司もいれば、「社内での先輩としての威厳にかかわるから新人に敬語を使うな!」

という上司もいた。


高校の時にダブっているクラスメイトの友人に別の友人がタメ口で話している風景は

見たことあったが、芸人の世界と同様にたとえ相手のほうが年齢は上だとしても

先にその世界(空間)にいた人間のほうが偉いのだということを社会で改めて知った。


だからこれまでオレの立場を抜いた視点で見ても、年下の人間が年上の人に

「君づけ」あるいは呼び捨てで、タメ口で話す光景を当たり前のように何度も見てきた。


年下クンの理論としては「向こうのほうが後輩だから」というだけのことらしい。


シビアに割り切った声に聞こえなくもない。

しかし、オレはあらゆるケースにおいてもその年下クンがその理屈を貫いているのかという

のが疑問だ。


大体の場合、あとから入ってきた年上新人とはいっても、せいぜい年下クンと1~4歳くらい

しか離れていない例が多い。


年下クンから見れば年上といっても同年代に近いという感覚のタメ口もあると思う。

ところが、敬語において先輩後輩の間柄を強調する年下クンが、ある時、10歳~20歳くらい

離れた貫禄あるごっついオジサン、あるいはまるで生き字引のような神々しいオジサンが新人で入ってきたら、敬語を急に使う上に、呼ぶときも「さん付け」だったりする。


これがオレには理解不能なのだ。

年齢に関係なく先輩は先輩、後輩は後輩なんじゃなかったのか?


年下クンのいう、「敬語を使う年上と使わない年上」の基準とはいったいなんなのだろう。

3歳上でも20歳上でも、同じ年上であるし後輩には変わりないのではないのか?


たとえ新人でも20歳上の人に対しては敬語を使うんだったら、それはやはり先輩後輩とか

よりも年功序列ということに違いないではないか。


その年下クンが仮に25歳の主任だとして、その後45歳のゴッツイ安岡力也みたいな

新人が入ってきても、他の新人と同様に

「安岡クンさぁ、最近ちょっといい加減に仕事やってんじゃない? ねえ?」

と、いった感じで言えるのであればオレとしては疑問もないし言うこともとくにない。


だけど、わけのわかんないところで敬語OK/NGのスイッチを切り替えている年下クンていうのは

ほんとに疑問だ。



では、アナタがそういった新人には敬語を使わない年下上司クンになったとして、ちょっと

シミュレーションをしてみましょうか。


アナタはとある企業の25歳の主任。


ある日、26歳でアナタよりひとつ年上の新人が入ってきました。

年もたったひとつ上なだけだし、新人なのでアナタは組織の風潮のしたがってタメ口で

接します。


さらにその翌日、今度は27歳の新人が入ってきました。

昨日入った新人よりもさらにひとつ上です。

昨日の新人ともひとつしか違わないし、アナタ自身ともふたつしか違わないので同じように

タメ口で接します。


さらにさらにその翌日、今度は28歳の新人が入ってきました。

昨日入ったふたつ上の新人にはタメ口で接しているし、その新人ともひとつしか違わないので

同じようにタメ口で接することにしました。


さらにさらにさらに、その翌日に29歳の新人が。

さらにさらにさらにさらに、その翌日には30歳の新人がというように、日に日に一歳ずつ

上をゆく新人が入り続けます。



最初はひとつ上の26歳に人のタメ語なんだから、その人とたった一歳しか違わない

27歳の人にもタメ語でいいだろう。

28歳の人も27歳の人と一歳しか違わないから同様でいいだろう。

29歳の人も28歳の人と一歳しか違わないから同様でいいだろう……


と、いった感覚で進んでゆくかもしれませんが、その流れはやがて50歳の人を迎えることになります。


その時、果たしてアナタはその50歳の人に対して抵抗なく同様に「クン付け」「タメ語」で接して

いるでしょうか?


いや、おそらくいつの間にか後輩新人に対して敬語を使っていることになっていると考えられる。

厳密にいえば、その50歳の新人との遭遇に到達する以前のどこかの地点でさりげなくタメ口から

敬語に変換しているのだ。


4歳から5歳くらう年上の新人に対してまでは、それほど抵抗なく組織の風潮に従って

タメ語で話したりしていると思う。


それが7歳~8、9歳くらい年上の新人相手となると、自分の中にちょっとした躊躇いが生じる。


そして10歳離れた貫禄のある感じの新人が入ってきたら、おそらくそのあたりで自然と敬語で接しているんじゃないだろうか。

あくまで雰囲気的なものだが、本人のなかでこの人はオレより目上といったような暗黙の意識が

発動するのだ。


それではここで問う。

9歳上と10歳上は、たったひとつしか違わないのにそこで敬語とタメ語を区切る理由は何?


いくら年上とはいえ、上司や先輩にそんなことを訊く人間はいないと思うが、そこで

「ボクとBさんは主任から見れば同じ年下の新人で、ボクとBさんは年がひとつしか違わないのに、主任はどうしてBさんだけに敬語を使うんですか?」


と訊かれた場合、その理由をしっかりと説明できる先輩や役職者というのはいるのだろうか。


それが説明できないのであれば、つまりは実力主義でも順序でもなんでもない。

結果的には単に年功序列なだけ。

新人には一環してタメ語っていうのは実力主義を装ったポーズでしかない。


と、いうのがオレの見解なんだけど自己の正解をお持ちの方は是非教えて頂ければありがたい。



ちょっと前になるがBSで、

映画「オレはまだ本気出してないだけ」

がやっていたので観てみた。


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主演・堤真一。

(だけどなぜかアフィリには濱田の名が?)


原作は読んでいないが、中年のサラリーマンがいきなり会社をやめて漫画家になるという

生活をおくり出すある意味、中年の現代サバイバルコメディ。


いや、ひとことでコメディと言えるかどうか。


職場の人が既に観賞していたので話したのだが、今どこの会社がつぶれるかわからない

不況のこの時代。

とくに主人公の年齢設定が自分たちに限りなく近いことを考えると、けっこう重い話だった(爆)



主人公は漫画家になるため会社を辞めるのだが、当然すぐにデビューなんてできるわけもなく

ファーストフードでバイトをし、生活費を補いながら家でダラダラと漫画を描く。


ファーストフードで働くシーンに入った時、主人公の堤真一が別の若いバイトの男の子と

職場で話してふざけあっている。


若いコのほうが笑いながら「何いってんですか!店長~!」と堤真一にいい、その言葉を受けた

堤真一も嬉しそうに調子に乗っている。


そのシーンを見た瞬間は堤真一が実社会でもキャリアも年齢もずっと上だということから

一気に店長まで駆け上がったシーンからスタートしたのかと思った。


だけど次の瞬間、入口のほうで誰から入ってきた。

ふざけあっていた若いコがそっちを見てひとこと。


「あ、本物の店長……」


入ってきたのは本物の店長。20代。


つまり、若いコが堤真一に対していった「店長」というのは年長者ながらの‘あだ名’だったのだ。


これは何気にリアル(笑)



仕事中にふざけていたバイトの堤演じる主人公(42歳)に対して、20代の本物の店長が

「しっかりやってよ。オトナでしょ?」

みたいなことをクールにいう。


イタイ。そして不況を生きる中年のオジサンオバサンは腹の底から笑いにくい(爆)



冒頭のフリに通じるけど、いくら現場の最高責任者とはいえ、20歳くらい離れた若僧から

タメ語でそう言われるのもシャクだと思うけど、店長というあだ名で呼ばれるのもイタイなあ。



誰もがわかっていることだけど年を重ねてゆくと、新しい仕事やルールを憶えることよりも

新しい環境にとびこむことのほうが疲れる。


とくにオレなんて若い頃から、知らない人ばかりがいるパーティとか新年会とか披露宴とかが

苦手だったから、さらに年をとった今、それが仕事の場だときたもんならヒットポイントを一気に

奪われて、ザオリクでも蘇生不可な状態になりそうだ。


現在甘んじている環境を捨て、新しい世界に挑もうとする場合、

もっとも体力を使うのは目指すメインフィールドにおける奮闘ではなく、その行動のために

補う生活日を稼ぐことかもしれない。


ちなみのこの映画の中で物語の軸となるキーパーソンは3人。


主役の堤真一。

その友人役の生瀬勝久。

そして一見やさぐれた感じのフリーター役である山田孝之。


会社を辞めて無謀なチャレンジをする主人公は根拠のない自信にまみれているが

時々我に返り、自分の選んだ道が怖くなったりする。


友人の生瀬勝久は地道にサラリーマンをやっていて、友人の無謀ともいえる挑戦を

冷めた目で見ていながらも、自分のようにただ組織にしがみついている人間と違う

部分に憧れている。(最期には触発されアクションを起こす)


ふたりとは年齢が離れていながらも、3人でよく一緒にいる山田孝之。

なにをやってもうまくゆかず、続かないが決して働きたくないわけではない。

根は素朴で優しい。


周囲からは仕事する気のない今時の若者のように見られているが、年齢にも関わらず

自分のやりたい道を進む決心をした堤に対しても、毎日毎日サラリーマンとして汗を流している

生瀬に対しても憧れと尊敬の念を抱いている。



この3人が酒場で横に並んで呑んでいるシーンというのは、今の世の中で働いている

人間が心の底に持っている心境の縮図のように見えた。



身のまわりにいる人間が自分の年齢やリスクをあまり考えない挑戦に出た時にでる

嘲笑や心配は、実は憧れと紙一重。


バカなことにうってでたなあ、と思いつつも心のどこかではそういうモノを見つけることができた

相手を羨ましがっている。

そして、自分にはそこまで賭けにでるパワーも度胸もないなと。


挑戦にでたほうもほうで、あいつみたいにやはり安全地帯でおとなしく身を固めていたほうが

よかったかなとたまに不安になったりもする。弱音になるから口にはださないけど。



この映画は観る人間によって、コメディにもあればドキュメントにもなると思うし

励ましのもなれば警鐘にも変化する映画だと思う。


レビューにもこんなようなことがあったけど、

「死ぬ理由がないから、ただ生きている」っていう人がいたら観たほうがいいかもしれない。



最期にひとつ補足。


この「俺はまだ本気だしてないだけ」というフレーズ。

コラムの芸風やオレの人間性からして、オレがこのフレーズを大好きだと思い込んでいる

友人や読者様がいるかもしれないから、はっきりと言っておく。


映画は別として、オレは日常生活におけるこの「俺はまだ本気だしてないだけ」という

フレーズが大嫌いである。


そんなもの言い訳以外の何物でもない。すごくタチの悪い言い訳だ。

オレは絶対に言わないし、これまで言ったこともない。


そんなこと言うくらいならば最初から本気だせよ!という話である。


いってしまえば、オレはあらゆるシーンで割と早い段階から本気をだして生きてきた。

意外かもしれないがみなさんが思っている以上に早い段階から必死で。



ただそれを評価する人間が無能ばかりで、オレの動きや隠れた結果を見抜いてもらうことが

あまりなかったから今まで報われなかっただけである(爆)