There is not a standard –基準者などいない– | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ちょっと前に誰かがいっていた。

中国人と韓国人が日本人を嫌う理由について。


彼らが日本人を嫌う理由はいわゆる近親憎悪だという。

同じご近所の人間で顔のつくりや肌の色や髪の色も似ているのに、どうして我々に対して

あらゆる面で同意したり、しっかり謝罪したりしないんだと。


心の根底では似たような仲間という意識があるだけに、日本人は仲間にたいして

どうしてそういう態度をとるんだという考えがあるという。


だから彼らは日本人にはしつこくいろいろいってくるが、肌や目の色の違うアメリカ人や

ヨーロッパ人にはそれほどつっかかってゆかない。


それはアメリカ人とかに対してハナから「遠くにいる違う民族」「どうやってもわかりあえない連中

といった先見をもっているからという分析らしい。


ふーん、なるほど。

それだけじゃなく、歴史的背景や経済競争なども当然理由として存在するわけだが、たしかに

近親憎悪というのも理由のひとつにあるかもしれない。


近親憎悪ねえ……


思い返してみれば、外交という大きな世界感で考えなくとも、大学時代とか友人間における

口論とか亀裂とかって、ささいでくだらない近親憎悪からきたものだと思えるような出来事も

あった。


大学生の時、いっつもつるんでいた同級生の友人(年齢的にはひとつ上)と例によって白木屋で

酒を呑んでいた時に、向こうが信じられないことでキレてきたことがあった。


楽器の弾けない者同士で偉そうに音楽談義に花を咲かせていた。基本趣味があう者同士だった

ので、途中まではスムーズに話していたのだが、途中で友人が「吉幾三の歌はいいよな」と、いかにもその価値観が誰にもあてはまるといった口調でいった。


当時のオレは正直、吉幾三があまり好きじゃなかったので

「あ、オレ吉幾三好きじゃないんだ」

と答えた。


歌は良いとは思うし、本人に対して悪人だといっているつもりもない。

ただ純粋の趣味の問題で当時の吉幾三はあまり好きじゃなかった。


オレのほうの嫌いな理由といってもそれもささいなことだ。

その時から遡って数年前くらいに放送されていた「志村けんのバカ殿様」における

終盤のエッチなゲームのコーナーに吉幾三がゲストで来ていたことがあったのだが、

その時吉幾三が何度かすごくいやらしい笑い声と顔を見せていた……


「ぶっしぇっっしぇっしぇっっ!!」って感じで(爆)


いや、オレも同じ男でスケベだから他の男のことをあまりどうのこうの言うつもりもないし

吉幾三もそれはそれでテレビ向けの演出だったのかもしれないけど、オレはどうもその

吉のいやらしい笑い方と表情にアレルギー反応があったのだ。


だから、その酒の場では「好きじゃない」と深く考えずに答えただけ。


だが次の瞬間、友人はすごい目つきでオレをにらみ、口の端からビールの泡を飛ばしながら

キレた。

「なんでだよ!」と。


オレは嫌いといっただけで、悪いといったわけじゃないし、別に吉幾三が好きじゃない人間が

いたっておかしくはないと思っている。

なのに友人はキレた。


あとになってなんとなくわかったのだが、これもたぶん近親憎悪だったのかもしれない。


それまでその友人とかいろんなジャンルで趣味や思想が一致していた。

長渕が好きで、尾崎が好きで、懐メロが好きで、流行が嫌いで、現在における不満も似たような

ものを共有していた。


その友人もかなりクセが強いやつだったということもあり、自分の中でオレに対して勝手に

「こいつはオレの好きなことには全部共鳴してくれるやつだ」

という幻想を抱いていたのかなって思う。


たしかにそれまではそいつと趣味や思考において馬があったのは事実だが、いってしまえば

それは単なる偶然にすぎない。


だけど、その友人は思い込みが激しいタイプだったので、自分が好きなものについて話をすれば

オレが絶対「オレも好き!」って答えると想定していたのだろう。


だから、オレが「嫌い」と答えたのが予想外だったことにより、たいしたことでもないのに怒って

仲間だと思っていたのに裏切られた!といった気分だったのだろうと分析できる。


それと同時にその友人はやけに自信家な部分があったので、モノゴトの良し悪し、趣味の

好き嫌いにおいて根拠もなく自分の価値観が一般基準だと信じているようなフシがあった。



よく思うんだけれど、たまにギクシャクしたり、口論したりする関係よりも、長い間意見の食い違いもまったくないまま仲良く続いてきた関係であるほど、破局というか関係の崩壊というものがいきなり来るんじゃないかなって思う。


ずっと同じ価値観だと思って続けてきた関係だと、いきなりささいな価値観の違いとかが

表面に出た際、極端に裏切られた感に襲われるんじゃないかな。


よくわからないけど、長年仲良さそうに継続していたバンドやお笑いグループが急に解散する

時も、実はそういうのが原因なんじゃないかなって気もする。


「おまえはオレと同じだと思っていたのに裏切られた!」って怒る人間ていうのは、さっきも書いた

とおりだが見ている限り、あらゆる価値観に対して「自分が通常」「自分が正解」と信じ込んでいる。


今まであってきた人間で考えると、そういうのが一番タチ悪い。


モノゴトに関する価値観や趣味なんて人それぞれなんだから、そもそも正解の「基準」なんて

存在しないし、自らを人類の基準の象徴という場所に位置付けて、他人の価値観や心構えを

さばいたりする資格を持った人間なんていないのだ。間違ってる??


それなのになぜだか自分が基準だというような態度で人と接しながら生きている人間が多い。


趣味だけじゃなく人生や仕事における説教の仕方においてもそういった部分が垣間見える。


少し前にスナフキンの記事(あ、キャラ名出してしまった)の中でも書いたけど、オレは人から観賞されたり、説教されるのが大嫌いだ。


とはいっても別に「怒られたくなーい!」なんて小学校2年生みたいな幼稚なことをいっているわけ

ではないのだ。

時にはキツイお言葉を掛けられるのも大事だろう。


厳密にいえば、「説教が嫌い」なのではなく、「説教している側の内側に透けてみえる見下し感」

が嫌いなのかもしれない。


オレもよくわからないからもしかしたら間違がっているかもしれないけれど、といった多少謙虚な

態度でいろいろ説いてくる人にはあまりそういうもの感じず、こちらも聞くだけ聞かないと失礼だなっていう気にはなる。


その一方で「いいか! よく聞け!」って態度で一方的に上から目線で威張って行ってくる人間には「オレが正解だ」的な匂いがすごくしてくると同時に、心のなかで「こいつよりはオレのほうが上」

といった暗黙の格付けをしているのがよくわかる。


説教の内容は的を得ていたとしても、オレはその暗黙の「格付け」感と、「オレは正解」といった

自惚れに対してすごくいやなものを感じてしまうんだな。

世渡りが不器用な人間て、そういう匂いには人一倍敏感なものである(笑)



確率の問題でいえば、世の中に【平均】というものは存在するかもしれない。


だけど【普通】だとか、明確な【基準】だとかいったものは存在しないとオレは思っている。



だから、たとえ反論であったとしても侮辱しているのでない限りは相手の考えもそれなりに

尊重するし、自分の人生観を押し付けたりはしない。

相手が知識不足の時は、最低限それくらいは知っておいたほうがいいよ程度はいうと思うけど。


いうにしても格付けで相手をしたに見たように「教えてやる」みたいな態度はとらない。

オレも間違っているかもしれないけど、といった謙虚な姿勢で説いてゆきたい。


そして、どんなに話題があっても趣味があっても、ほんとにすべてに対して共感できる

友人や読者さんなんていないのが当たり前だから。


ずっと馬があってたのに、なにかひとつ自分と異なる意見がでたり、ムカつく意見がでたら

それでおわりなんて互いに自分にとって心地よい相手としかつきあいたくないってことだよ。

最初に書いた大学時代の友人がそうだったし。記事内容が原因じゃないけどやはりその後は

絶縁みたいな状況になったしね。

知っている限りでは、その友人は卒業後も残った友人を捨てたり、逆に捨てられたりしたようで

今はきっと孤独な人生のようだ。

はっきりいって生きているかもわからない。


オレも友人を選ぶ目がなかったと反省している。



そして仲良しクラブみたいな関係こそ、ある時ささいな口論で終末を迎える可能性がある恐さも

オレは知っている。


そうそう、前にも書いたけど誰かの言葉でこんなのがあった。


『50%の尊敬と50%の軽蔑があるのが友人』



時にはそれらしいことを口にしたり、時には的ハズレはなことをいってイラッとさせたり……

そういう部分を評価しあったり、反論しあったりしてお互いに基準というものに近づいて

ゆくのではないだろうかと考える。もし、基準というものが実在すると仮定するならばね。



そういうわけで千鳥のノブにいわせるところ、文章の「クセが強い!」このコラム。


これからも読者様に「わかるわかる!」と言わせたい反面、イライラさせることも多々あると

思われますので、それだけ改めてご報告を(笑)



オレのブログは毒舌なんてたいそうな代物じゃないけど、実は毒舌っていうジャンルも存在しないんじゃないかって思う。


マツコも有吉も坂上忍も作家の羽田圭介もみんな毒舌なんじゃなくって、思っていることを

包み隠さずただ「正直」にいっているだけじゃないのかなってね(笑)


おしまい