廃棄業者によるココイチのカツ横流し事件が話題になっている。
そういえば、まだ小学生の頃、家族で食事をしているとき、オレはサラダなどを中途半端に
残したりしていた。
ひとり暮らしをしている今でこそ野菜のありがたみがわかるから、サラダなどは緑色の財宝
のような存在ととらえて、食べ放題チェーンなどにたまに行けばバクバクと何皿も食っているが
実家暮らしの子供にはまだ、野菜のありがたみがわからなかった。
まだお子様なので肉は残さずによく食っていたが、当時野菜はあまり好きじゃなかったので
ちょっと腹が膨れたら、何も考えず残そうとしていた。
ブロッコリの芯、苦いニラ、その他もろもろ。
食べようと思えば食べられるのだが、できれば食べたくない。
そして、それを残すと母親がこう言って、よく怒った。
「世のなかにはお腹いっぱい食べたくても食べられない人たくさんいるのよ!」
と。
当時なんでそう言うのかオレには理解できなかった。
いい加減に考えてたとかではない。
子供ながらにその意味を思いきり真剣に考えたけど、なんでそういう怒り方をするのかが
本当にわからず悩んだのだ。
だって、お腹いっぱい食べられない人がいて可哀想だと考えるのであれば、そういう人たちの気持ちを考えず、自分のほうは全部残さずに食べて満腹になろうというほうがずうずうしくて無神経じゃないのかと思っていた
流れとして好き嫌いで残すということになるのは事実だが、結果的に食べ残して腹いっぱい
にはならないわけだから、満腹になるよりは食べることが出来ない人たちの立場に少しでも近づいているのだから失礼ではない。
むしろ、食べられない人がいるのに残さずに食べて腹いっぱい気分を味わうほうがよっぽど失礼だ。
……そう思っていた。
学校でも一度食べ残した時に友人に言われたことがあった。
「世のなかには食べられない人もいるのに、なんで残すの!?」
オレは答えた。
「だからオレはそういう人たちと出来るだけ同じ立場に近づこうとして満腹にせず残したんだ」
すると友人は言った。
「考え方おかしいね……」
うむ。この件に関してはたしかにオレがおかしかった。
それは認める。
食べ残すんだったら最初から食うなという話だし、飢餓でくるしんでいる人たちの前で食べ物を
ムシャムシャ食って途中で腹が膨れてきたからといって残りをポイとすてるようなマネは絶対できない。
少しあとになってから母親が言った意味がわかった。
「食べるものがあるのはありがたいことだから残すな」ということだと。
だけど、「世のなかには食べることが出来ない人がいる」という言い方をされたオレは
「食べることが出来ない人がいるのに、そういう人を無視して『おまえは腹いっぱい残さず食え』
と叱るのは一体どういうことだ?」
とずっと考えてしまったのだ。
重ねて言うがこれに関してはオレの理解不足であり、間違った考え方だった。
でも、決していい加減に考えてたわけでもなく、自分が食べたくないものがあったからそう
言い張ってたわけでなく、純粋に真剣に考えた結果がそうだったのだ。
でも、もしかしたら日本のどこかにもオレと同じよう言われて、同じように変に哲学的に考えて
しまった人もいるかもしれない。
でも、オレがそういう捉え方をしてしまったことを考えると、人から聞いた言葉や起こりうる事象の
受け止め方というのは本当に人によって違ったりするのがあたりまえなのかなっていう気もする。
捉え方もその人の感覚次第なのだ。
ネガティブなことも人によってはポジティブになるし、ポジティブなことも人によってはネガティブになるというのも感覚の問題。
わかりやすい例をひとつあげよう。
「アナタは大金が欲しかったので宝くじを買いました。
街を歩いていたら目に入った売り場があったので、とくに何も気にせずにそこで買いました。
実はその売り場で前回一等が出たという話を翌日に知人から聞きました」
そこでアナタはどう思うか?
ポジとネガにわかれるはず。
「マジか! それは縁起がいい! 今回オレが買ったのも当たりそうな気がする」
というタイプと
「マジか…。だったらもうしばらくの間はあそこで売っているクジから一等は出ないだろ……」
というタイプ。
別にどちらが正解というのはないだろうが、人の意見の流されずに自分の考えや直感でクジを
購入した人は当たっても外れても後悔しないだろう。
結果よりも大事なのは自分の感性。
宝くじ1枚だと、ハズしたとしてもたった3、400円の世界。
では、これがマイホーム購入ならばどうか。
アナタは家を買うために建売住宅に下見に行きました。
見る限りではかなり気に入った感じの家で、気分的には即決。
すると下見中になにやら平和でない音が上空から聞こえてくる…
ふと上を見ると操縦不能の陥った小型飛行機がものすごい速度で下降してきて
下見していた住宅の壁に突っ込んでしまった。
住宅の2階は大破。
さて、ほぼ購入を決めていたアナタはこの家を買うか?
まだ契約前なので大破した部分に関しては、住む前にちゃんと業者が補修はしてくれる。
問題なのは飛行機が墜落した物件という‘縁起的な部分’である。
このたとえはロビン・ウィリアムス主演の名作映画
「ガープの世界」
のワンシーンである。
- ガープの世界 [DVD]/ワーナー・ホーム・ビデオ
- ¥1,543
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主人公のガープはとある家を連れと下見していたが、その時、小型飛行機が見ていた家に
墜落する。
(上のパッケージにも小さくその写真入っているね)
しかし、ガープはその事故を目撃した瞬間に、その墜落現場住宅の購入を決めた。
「飛行機が同じ場所に墜落する可能性はほぼゼロだ」というのがその理由。
つまり、既に一度墜落しているから、ここに住めば飛行機が今後落ちてくることはないという
理論だ。
とても純粋な心を持ちながらも、あらゆることを自分なりにしっかりと分析している主人公ガープ。
そんなガープだからこそ、待っていた人生や出逢いはどこか数奇だったのかもしれない。
どこかコミカルだったり、悲しかったり、不運だったり、幸運だったりと、この映画には世のなかを
生きるいろんな人々の悲喜こもごもがベスト盤のようにつまっている。
――
男性支配を嫌い、肉欲が人間を駄目にすると信じる看護婦のジェニーは意図的にも名も知らぬ
兵士にまたがったことから子供ができ、ガープと名付ける。
成長したガープは学校時代はレスリングとものを書くことに燃え、やがて作家に。
ジェニーも自伝を書き、それがベストセラーとなって、ウーマン・リブの指導者に祭りあげられてしまう。
ガープは学生時代に付き合っていたヘレンと結婚。性転換した元フットボール選手との友情も生まれるが、夫婦そろっての浮気、ガープの自殺未遂、ジェニーの暗殺。そしてガープ自身も凶弾に倒れる。
(戦後生まれが選ぶ洋画ベスト100・文芸春秋の文章より引用)
この映画の内容に関してはたくさん詰まりすぎていて一言では言えないし説明もできない。
だけど……
すべてを総合すると、原作者や監督が訴えたい大事なことっていうのは、きっとひとつ
なんだろうなって気もした。
でも、そのひとつの答えになかなか辿りつかないんだなこれが、うん。