クライマーズ・ハイ | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前にもちらっと書いたかもしれないが、 多少は名が知られている某サブカル誌を出している

出版社の人と仕事で話をさせてもらった際に本人から直接聞いた話。


「うちは社会の裏を取り上げる読み物を出す会社です。だからたとえば広告担当の

営業マンが必死になってソニーやフジテレビなどのナショナルクライアント(大企業)から

大きな広告枠をもらって喜んで帰社したら、編集部がその企業の裏を暴いた特集記事を

書いていたりする兼ね合いもあり、その広告が載せられないという場合もあります」


これを聞いた時にオレは思った。

今時、出版社らしい出版社だな。と。

一応は広告料よりも内容を優先しているから。


その時に書こうとしている記事が、限りなく真実味のある企業への鋭いメスなのか、

それともただ、誌面を盛りあげるためだけの、名誉棄損に近いガセネタ寄りかにも

よるのだが、良かれ悪かれ出版社としてのプライドは持った企業だなと感じた。


どんなに売れていても、広告だけ多くて読み物部分がたいしたことない雑誌は

所詮カタログに過ぎない。

「ぴ○」のラーメンガイド雑誌なんて紹介している店は多いが、明らかに不味い店の

情報もいくらか掲載されている。



ただ、現実的に広告収入なしの販売収入のみで社内が潤う版元なんて稀だと思う。

村上春樹か東野圭吾でもとりこんでいないと厳しい出版不況時代。


広告頼り批判を上にしたところで、「そういうクライアントが金を出しているからおまえらの

給料が出ているんだ!」と言われたら、あまり強く反論できないのもキツイ。

出版社で長年勤務していた身だったので、そのへんはよくわかる。


出版社に限らない。

新聞社など広告枠を持つ紙媒体を取り扱う企業にとって、そういった収入と信念のバランスと

いうのは実に難しいものだ。


また同じ会社で同じフロア内だったとしても、広告部、編集部、販売部などとそれぞれ個性も

得意分野も知識も異なる人間で構成されているから、絶えず意見のぶつかりありや、責任に

なすりあいがある。まるでひとつ屋根の下にいる嫁と姑のようなもの。


冒頭で書いたように、広告営業がせっかく大きな獲物を持ち帰っても編集部と上層部の

判断で無駄になる例も決して珍しくはない。


もし、自分が新聞社に勤めていて、一面のすべてを任されたとする。

すると部下や同僚がその面に乗せる大きな広告を持って帰ってきた。

しかし自分には、どうしても余すことなく掲載したい記事と文章があり、それを全部載せるには

広告枠を外さないといけない。


広告を外すということは単純にそのぶんの収入が入らないというだけではない。

せっかく広告出稿をするといった客の怒りを買うのは必至である。

今後のつきあいさえもなくなる可能性だってある。

しかし、新聞社の使命というものは大衆が知りたがっている事件の真実を誤解生むことなく

伝えること。


読者視点で見れば「広告よりも情報だろ」と簡単に言えるが、これが実際に働いている

立場の人間だとなんとも難しい。


だけど、この映画で堤真一演じる主人公は、飛行機墜落事故に関する記事を徹底的に

掲載するため、大金額の広告を思いきりトバしてしまい、上から叩かれる。


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日航機墜落事故があったのは、たしか小学校中学年か高学年の時だった。


テレビを点ければ絶えずそのニュースが流れていた記憶がある。

リアルタイムの国内報道でこんなに凄まじい大事故を見たのは始めてだったと思う。


当時あの大事故を追った新聞記者たちの奮闘を描いた映画が「クライマーズハイ」。

年末にやっと借りることができた。


物語の重点はどちらかというと事故よりも、新聞社内部で起きている抗争などの人間模様か。


ちょっとヤンチャだが、新聞社としての仕事に信念を持っている堤真一が社内の人間と衝突

しながらも墜落事故の深い部分を遺族のために書こうと貫く姿勢は、大沢在昌原作の新宿鮫の主人公・鮫島を連想させた。


ある意味で新聞社や出版社の内部を垣間見れる作品かもしれない。




しかし、子供の頃に見ていたあの事故からもう30年。


機中で録音されていた機長と副機長(だったと思う)の会話の一部がニュース番組の中で

公開されたことがあった。

たしか、墜落する寸前の会話だったと思う。

「アタマをあげろ!」とか「伏せろ!」とかいったコクピットのやりとりだと思ったのだが、

これがけっこう話題になった。


翌日、学校に行ったらクラスでもお調子者だったAというやつと、そのツレが休み時間に

ふたり並んで机にすわり、笑いながら揃って「あげろ!」「ふせろ!」と言い、ふざけあっていた。


それを見ていたオレは隣にいた友人Nに「あいつら、何やってんだろ?」と言ったら

Nは「日航機のマネしているじゃない?」と答えて、ふたりで笑った。

同じく周囲にいたクラスメイトもみな笑っていた。


あの頃は子供だった。


子供はバカで無神経。そして残酷だ。


ニュースを見ているときは幼いながらも被害にあった人がかわいそうだなとなんとなく思うが

一歩離れて友人のいる世界に行ってしまえば、やはりどこか他人事になる。


だけど、あれから時間が経過して改めて報道映像を観たり、小説「沈まぬ太陽」を読んだりすると

いくら子供であったとはいえ、あの時のIのパイロットのマネや、それに対するオレらの「笑い」は決して許されるものではなかったのだと耐えられない罪悪感がわいてくる。

ご遺族の気持ちを考えるとやはり……。今でもあの時の自分を恥ずかしく思う。


でも、世のなかで人間が動き回りいろんな乗り物を生み出す限り、そういった事故がなくなる可能性がゼロになることは永遠にないんだろうな。