たしか姫野カオルコのエッセイだったかな?
本来、クリスマスおよびクリスマスイヴという日は、それぞれがキリストの誕生を思って
静かに慈しむ日のはずなのに、日本ではいつの間にか恋人たちが性交渉に励む日に
なっている。偉い人が生まれた聖なる日に自分たちの色情に奔走するとはケシカラン。
……みたいなことが書かれていた。
一理ある。
キリストさんがまだ生存していたら
「オレはおまえらのそういう行為を盛り上がるために馬小屋で生まれたわけじゃない!」
と言っていたと推測する。
まさに「扇情のメリークリスマス」ですよ! ミスターローレンス!(゚∀゚)アヒャ
地元ともいえる国立駅前から伸びている大学通り。
最近はまったく歩いていないけど、あの通りクリスマス近くになると木々がイルミネーションで
輝き、また通り沿いにもオサレなカフェなどがあるために、この時季はカップルが駅の方からたくさん流れてくる。
まだ大学生だったころ、バイトや学校が終わったあと、ロングコートを羽織ってその通りに
繰り出し、駅から流れてくるカップルの群れの流れに逆らい、人をかき分けながらひとりで
駅に向かって歩いたりしていた。
深い意味はない。駅に目的もない。
ただ、みんなが同じようにふたりで寄り添って、同じ方向に歩いてゆく中で
ひとりロングコートのポケットに手を突っ込んで、人波に逆らい肩で風切って駅のほうに
歩いてゆく自分の後ろ姿って、なんかアンチクリスマス気取りでカッコいいんじゃないかなって
いう思いに浸りたかっただけ。若気のITALYである。
駅の手前まで行ったところで結局Uターンして戻るから、そこからは周りと同じ流れの中で
帰ってゆくのだけれど(笑)
なんだろうな。
学生時代もバイト時代も毎年12月は男友達とけっこう飲み歩いて忙しかったんだけど
24日と25日だけは予定が空っぽのケースが多かった(笑)
だから、暇つぶしに散歩がてら大学通りを歩いていたんだろうな、きっと。
ドラマのオープニングの田村正和気取りで。
どうせ寒い中、意味もなく震えながら歩くならば、ちょっとは自分の世界に入ったほうが
ムードあるし。
先日記事でも書いた通り「自分だけが辛い」なんて思ったことはないが、時にはその状況を
楽しんだり、あるいは嫌な思いを乗り越えたりするために、そういった自分に対する自惚れ的な
言い聞かせや、悲劇のヒーロー・ヒロインぶったりすることも必要ではないかと考える時がある。
堀江淳の名曲「メモリーグラス」
歌っているのは男だが、歌は女性目線の世界感。
恋に破れ、ひとりで飲んだくれている女の姿が目に浮かぶ。
「ふられたんじゃないわ わたしがおりただけよ」
確実にフラれた側だと思うんだけど、歌詞では自分がフったと言っている。
明らかな強がり。
「ゆらりゆらめいて そうよわたしは ダンシングドール」
こちらは自己陶酔の頂点。
でも、人間とは弱いモノ。
時にはそうでも思わないと、やっていられなくなったりする。
自分に対してなんとかそう言い聞かせることによって潰されずに救われることもある。
メロディが切なくて綺麗だったこともあると思うが、歌詞的にはナヨナヨした感のある
この歌が大衆に受けて大ヒットした要因はそこにもあるのではないだろうか。
歌の中の女性の気持ちがよくわかるみたいな。
あいつなんか飲み干してやるわ!と言ってヤケ酒をしているわりにはロックでなくて
水割りを飲んでいるというのもリアル。
自分の体質を考えて、ちゃんと節度は守っている(笑)
※ちなみにちょっと検索してみたら氏は現在「お湯割りをください」というブログをやっている。
しかしな、年齢にせいなのか人とに飲み屋に行って、割モノを頼むことがあった時
「飲み方は?」と訊かれると、まずは「水割りで」と答えるのだが、そのあとにすぐ
「水割りをくださぁ~あい♪」と歌って続けたくなってウズウズしてしまう。
若い人とかは知らないから言わないけど(爆)
あと、堀江淳と言えば……死亡説も流れたっけ?
それと昔ボキャブラ天国のネタで
「会津南下 会津南下 会津南下~ 宇都宮市にな~るわ~♪」
っていうのがあった。
おしまい