まんが日本昔ばなしっす | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。



ある一人のサラリーマンが、妻と小さい子供のいる家庭持ちの同僚の家に行って、
結果泊まることになった。

夜になって、その同僚の子供が眠たくなってきたと言いだす。
泊まることになったそのサラリーマンが同僚とその家族への御礼といった感じで、
「じゃあ、おじさんが昔話を聞かせてあげるから一緒に寝に行こうか」と同僚の子供に
向かって声を掛ける。

子供の親である同僚は「おお、○○悪いな! しかしお前、昔話なんて子供に話せるのか?」と
馬鹿にするが、サラリーマンは「話せるよ」と言って子供と一緒に寝室へ入る。
子供を布団にいれると自分も添い寝する感じで横になり子供に「昔話」を語り出す……

「昔ね、君のお母さんには、お父さんじゃない好きな男の人がいたんだけど
ある日、君のお父さんがお母さんに無理やりお酒を飲ませて結婚をね……」

といった‘昔の話’を小さい子供に話すといったブラックでシュールなネタ。
現実であったらかなりのモラルハザードだ。

「コボちゃん」でお馴染みの四コマ漫画の巨匠、植田まさしの四コマでそんなネタがあったのを
憶えている。
フリテンくんだったか、かりあげクンだったか、のんきクンだったかまでは憶えていないけど、たしかにある意味では言葉通りの「むかし話」であるには違いない(笑)

でも実際にどこまで遡ったら、それが「昔」というのに当てはまるのかといった基準は
あいまいだ。

「昔」といった言葉に限らず、基準があいまいな言葉というのは世界基準で考えると
限度がないようにも思える。

たとえば「肌色」という言葉。
差別だとかそういった意味はなにもなく、我々日本人はごく自然に「肌色」といった表現を
用いているが、外国に「肌色」といった言葉の概念はあるのだろうか。

黒人からすれば「黒」という色はあっても「肌色」なんていった概念はないかもしれない。
白人からしても「白」といった概念はあったとしての「肌色」なんて概念はないかもしれない。
もっと言えばシュレックにとってなんか「肌色」=「緑色」ではないだろうか??


「むかし話」というのも、どういった話が昔話で、どのくらい前の話が昔ばなしなのかも
冷静に考えてみるとこれがけっこう頭を悩ます。脳ミソのシワが伸びてなくなりそうだ。

むかしに書かれたり作られたのであれば、それは「むかし話」であるのか?
だが、それで考えてゆくと、その話が書かれた‘当時’は「むかし話」ではなくて
「ふつうの創作話」だったはず。

いわゆるふつうの作り話が年代モノのワインのように時間経過とともに熟され、その結果
何年も前に書かれた話が今になって「むかし話」といったように定義されたというのが
的確だ。

ただ、それで言うと現代に書かれて世に出た純文学や大衆娯楽、時代小説も数百年後の世界に
おいては文学や娯楽ではなく「むかし話」として認識されることになる。それもちょっと違うかと思う。

ならば竜や鬼や河童といった架空の生物が古い時代に登場する話が「むかし話」なのかと
言われたら、それもまた微妙であり「伝説」という領域とのボーダーがあいまいにも思える。


素朴な疑問をひとつ言えば、今のこの平成の時代にまったく新しい「むかし話」というものは
作ることが出来るのだろうか。

体裁や形式だけの「むかし話」ではない。
数百年後にまだ人類も日本も滅びておらず、文化というのもがちゃんと存在していたとして
その時代に「日本のむかし話」として国民から認識されるものを、今のこの時代に新しく
作りだすことは果たして可能なのだろうか。

実力のある作家サンだったら、架空の生物などが登場するいかにもそれらしい新しい話を
作って世に出すことは可能だと思う。それも永遠に語り継がれるような寓話を。

ただ、その作品が数百年後、いやもっと後の時代になった時に果たして
「日本のむかし話」という位置づけで認識されるか、それとも単なる「平成時代に書かれた名作」という位置づけで認識されるのか。
そこは疑問だ。

「銀河鉄道の夜」なんかも実は文学かむかし話かで微妙なとこだったのではないかと思う。
どこかむかし話っぽいテイストはあるが、登場人物がおじいさん、おばあさんではなくて
子供(しかも名前がカタカナ)だったうえに、鉄道といった近代的な乗り物が要素として入って
いたために、時代背景ギリギリのところで、むかし話というよりも「文学」「童話」といった
括りのほうに入ったような感もある。


土曜夜にやってたこのアニメ「まんが日本昔ばなし」
一時期けっこう見てたな。

PTAや親が子供に進めたい番組の代名詞だったから。
その30分後くらいには同じ局で加トちゃんが「ちょっとだけよ♡」とかやってたんだけど(笑)

改めて動画見てみると懐かしい。

というか、いろんな昔はなしの詰め合わせだったようなこの「まんが日本昔ばなし」っていう
アニメーション自体が、数年たった今の時代からの視点でみると「むかし話という昔話」といった位置づけになりつつあるような気もする。


このオープニングの動画……

当時は竜という架空の生物の背中に、風の又三郎みたいな架空の男の子が乗っかって
遊んでいるようなイメージで見ていたのだが、改めて見てみると、乗っている子供が一切笑っておらず表情もかわらない。で、どこか寂しさが滲みでているようにも見える。

そしてその男の子を乗せた竜はやがて遠い闇の中へと消えてゆく……

最近思ったのだが、この映像は架空の生物と架空の男の子が互いに戯れているという場面ではなく、理不尽な理由で幼くして死んだ少年のもとに、天からの迎え(竜)の使者がきて、少年を乗せて冥界へと連れてゆくような悲しい場面に見えるような気もする。
歌の切なさもそれをあらわしているような……