ブログの記事を書くにあたって当初書こうと思っていた内容を
「差し替え」たことはおありだろうか?
オレは何度かある。
ネットの世界で有名な用語とか小ネタといったものをオレはよく知らない。
だから前もってその言葉やネタを下調べしておかないとヘタしたらヤケドをしてしまう。
ネット(ブログやSNS、掲示板)の世界ではとっくに誰かが使っていて浸透しているような
ネタだということをまったく知らずに、思いついた瞬間に「よし、このネタ使おう」と閃いて
アップしてしまったようなものなら、間髪いれず「そのネタもう有名ですよ」とツッコミが入る
ことは不可避だ。
今年の夏の終わりに何気なく歩道を歩いていたら、道端でひっくりかえって動かない蝉を
見かけた。
「ああ、セミが死んでいる」と思いながらもとくに気にせず、そのすぐ横を通りぬけようとした
瞬間にセミが「ビビビビビッ!」とその羽と足をばたつかせた。そしてまたピタっと動かなくなった。
ついに御臨終か?
そのセミの最後のあがきのようなばたつきを見た瞬間、オレの頭の中に「セミ・ファイナル」と
いうワードが閃き、それをそのまま記事タイトルにして、本文枠にその写真だけはめ込んで
終わったら、意表をついた一発ネタになるんじゃないかと、ひっくり返ったそのセミの画像をとり、
夕方に家に帰った。
さっそくその一発ネタをアップしようと意気込んだが、一応念のため、最近同じネタを書いてアップした人がいないかどうかを確認してみようと「セミ ファイナル」で検索してみた。
かぶった場合、あとからアップしたオレがパクッたみたいになるから。
すると……「同じネタを書いた人がいる」程度の状況ではない!
誰かとネタがかぶったどころか、その「セミファイナル」という言葉が既にネットの世界の住人
の間ではスタンダードなワードとして浸透しているではないか。
あぶないあぶない。
自信満々でうっかりアップしてたら「そのネタもう使われてますよ」というツッコミコメをうけると
同時に羞恥プレイもうけるところだった。
その日はもうそのネタを書く気まんまんだったのだが、既存ネタとなるとそれは使えない。
だけどせっかくコラム書く気持ちでパソの電源入れた限りはなにかは書いておきたいと
思った結果「セミファイナル記事」をアップするのをやめてジャッキー・チェンの「香港国際
警察記事」に‘差し替え’て記事をアップした。
それがオレが行った最近の記事内容の差し替え。
差し替えはテレビの世界でも多い。
少し前に一週間ぶんのテレビ欄を見た時、その週の金曜ロードショーで放映される映画が
「センター・オブ・ジ・アース2」となっていた。
その映画はタイトルとだいたいの世界観くらいしか知らなかったのだが、地上波で見れるぶんには
面白そうだと思い金曜に見てみようと思ったのだが、金曜日の朝になって改めてデジタルテレビ
欄を見てみたら、放送される内容が「センターオブ~」から、ウィルスミスの「アイアムアレジェンド」
に変更されていた。
???
ちょっとの間考えたすえ、なんとなくその理由が推理できた。
「センター・オブ・ジ・アース2」って予告編くらいしか見たことないけど、その部分から
こういうような物語でこういうシーンがあるんだろうというのが想像出来る。
後日、この差し替えの件について「センターオブ~」を見たことある人にきいたところ
やはり「センターオブ~」の中で火山が噴火するシーンが登場するとのことだった。
つまり、今回の内容の差し替えは日テレ側の自己判断による自粛の差し替えだった。
時期的にアレがあっただけに。
うーん、どうなんだろ?
オレは実際に「センターオブ~」を一度も観ていないから当然その中のあるという噴火の
シーンも目にしたことはないから、それがどのくらいの演出でどのくらいの時間なのかという
ことがわからないが、一部の視聴者の間では「そこまで考慮して差し替えるまでもないのでは」
という声もあったようだ。
ただ人数的にはわずかだとしても、時期が時期だけにそんな映像は観たくない人もいるだろう
というのも事実だから、日テレの判断は無難といえば無難だとは思う。
ずっと前のサメ出現騒動の時もそうだった気がしたけど、局としてはかなり前から企画して
その日に放映すると決めていたとしても、タイミングを合わせたようにそれを想像させる
自然災害や動物被害が発生した場合、編成局は判断に苦悩するんだろうなと同情する。
特にここ最近は、台風に洪水にPMなんたらの環境汚染やデング熱などの感染。
上に書いた噴火もそうだ。自然がもととなる災害が多い。
そうそう、最近ではこの日本でも「竜巻」が増加してるではないか。
竜巻にも特化した映画が存在して、若い頃ひとりで映画館に観に行った。
それが「ツイスター」だ。
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この映画はオレの中ではヘタに愛だとか哲学だとかのたまったりしないシンプルさを
評価できる高レベルのエンターテイメント竜巻映画だったんだな。
巨大な竜巻が生きている牛とかを巻き込み、宙を飛ばすシーンとかはCMやダイジェストでも
かなりやっていたから憶えている人も多いのではないだろうか。
日本でも本格的に死傷者をたくさん生みだすような巨大な竜巻が発生したら、この映画もおそらく
はしばらく地上波で放映出来ずに「釣りバカ日誌」とかに差し替えられるんだと思う。
監督はヤン・デボン。
アルバイト時代、いろんな映画を観に行ってオレよりも先にこの「ツイスター」を観た先輩が
「ツイスターを観て、あのヤン・デボンていう監督の芸風がなんとなくわかるような気がしたよ」
と言っていた。オレもそれはわかるような気がした。
そう、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが出ていた爆弾が仕掛けられたバスが暴走する
あの「スピード」の監督のヤン・デボンなのだ。
観た人はなんとなくわかる。
「スピード」と「ツイスター」の共通点が。
両方ともただひたすら突っ走って‘魅せる’作品なのだ。
なんだかんだ言ってもあくまでメインは「バスの暴走」と「竜巻の大暴れ」
人間はその次の次の次くらい(笑)
話に多少のドラマは挿入するものの、他の映画みたくドタバタの中に中途半端に
男女のロマンスや濡れ場、仲間との友情、親子愛、自分自身の再発見……
そんな甘ったるいもんに尺をとらない!
そんなシーンに時間をとるくらいなら、そのぶんバスを加速させる!
巨大竜巻に一軒でも多くの家を吹き飛ばさせ、大暴れされる!
そんな心意気が感じられてならない。
とりえずは絶えず観客を飽きさせないという意欲が大いに感じられるのだ。
そういう芸風ではルーツを辿るとスピルバーグの「激突」に行くつくのかもしれない。
オレはふだんから何にあらゆるものに関して哲学性があるものが好きだと公言しているが、
実際、世界観も映像も大したことないのに、何かと実はどこどこの部分で親子の愛乃大事さを
訴えているとか、男女の深い愛情を観客に伝えようとしているとか、主人公が少しずつ成長して
ゆくとかいった要素を‘ムリヤリねじこむ’ような作り手側の言い分はあまり好きではない。
「中身のないチャラい話のようで実はためになる要素を含んでいるんですよ~」みたいな
いやらしい解説のつくような作品よりかは、まったく哲学性がゼロだとしても、エンタメとして
完全に割り切ったかわりに充分見ごたえのある作品のほうが好きだ。
小学生のころは、アクション映画とか冒険映画とか観に行っても、冒頭とかでよく流れる
会議シーンや、主人公とヒロインが抱きあうラブシーンの時はやけに退屈で、
「あ~、早くこのシーン終わらないかなー」とか心の中でよく思っていたのを思い出す。
「スピード」とか「ツイスター」に関しては、観ている子供の退屈率が限りなく低いのでは
ないだろうかと考える。