また太宰治賞の時みたいなヘマをやってしまった。
勘違いしないようにしないといけないってあれほど自分でも気をつけてたのに、
やっぱオレはバカなのか……。
第118回の文學界の中間発表(二次予選通過者)が今月7日発売の6月号だと思って
先日帰宅途中に本屋いって表紙見たら、いきなり「大賞発表」されてた(爆)
ちゃんとそのヘン意識してたにもかかわらず、ずっと予選通過者発表号と大賞発表号を
勘違いしてて、予選通過者が発表されてる号はとっくに一か月前に出てたにもかかわらず
ずっと一カ月待ってたうえに、確認し損ねた。
雑誌の月の号表記って一カ月先ってのもあるから間違ったままで強く思いこんでたな。
発売日の7日にそれに気付いたんだけど、バックナンバーはもう本屋に置いてないから
3日まって、今日図書館に行って6月号(5月売り)を見て一応確認。
さきに「大賞」を確認してから予選結果を見ると本末転倒になってしまった。
わかっちゃいたけど「落選」です。
うん、やっぱり、そう簡単には門を開いてくれないな。
ただでさえ予選通過すら不可に近い狭き門なうえに、文學界新人賞となると芥川賞に
もっとも近くて倍率もずば抜けて高いからかなり厳しいわ。
当然競争率の問題もあるけど、一番の原因はオレの実力不足以外の何者でもないのだが。
オレとしては文學界新人賞は今回で2回目の応募で、各文学賞結果におけるこのコラムでの予選発表順としては4番目となったが、今回落選した作品は事実上2作品目であり、2番目に送り出した作品だった。
第118回文學界新人賞の応募総数は全1713扁だったもよう。
その中の1作がオレの作品だった。
そんな応募作品数の中で2次予選突破して紹介された50名強の人達はやっぱりすごい。
(1次予選通過者は発表ナシなので通過したかしていないかはわからない)
ちなみに今回の新人賞受賞者はオレよりも若い1978年生まれの男性。
経歴を見ると、慶応義塾大学文学部を卒業後、しばらくの間、引きこもりやニート生活をして
現在はアルバイトをしているとか。
先日の記事で紹介した「ひらきこもりのすすめ」の内容を思い出す。
ひとりで引きこもってこそ、そこから生まれる哲学や文学があるっていうことがものすごく
現実味を帯びてくる。「共喰い」の田中慎弥もずっと閉じこもって執筆してたし。
そうなると、オレはまだ環境における鎖国率が甘いのかもしれぬ。
社会なんかと関わっていないで、洞窟の中でじっと正座して悟りと哲学を極める心がけでいないと
とてもじゃないけど賞なんてとれないかも。
でもな、多少社会とかかわってその実態を知ってこそ、堂々と批判も出来るし、小説の素材が
視界という投網にかかってくるというのもある。
やりかたは人それぞれで、あとはバランスだな。
ちなみに太宰治賞の大賞も数日前に決まったようで、それもオレより若い女の人だった。
両受賞者の方、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
さて、予選結果報告はこのへんにして、執筆近況報告でも。
このブログではちょこちょこ細かいストーリーを描いたり、構想とかはそれより前からしてはいた
けれど、本格的に各文学賞応募における短編および中編の原稿執筆を開始して、おかげさまで
この5月で一年を迎える。
いやー早い。 ファミスタのナムコスターズで走塁するピノの足と同じくらい早い。
400時詰め原稿用紙換算で最小枚数は99枚から最大枚数は295枚くらいだったかな。
焼き直し作品は抜いて、1年で合計4作品プラス現在執筆中1作品か。
まあ、自分の時間を削ってかけるのはこのくらいが妥当なとこだとは思う。
少なくはないんじゃないかな。
書き始めた時、もし1作品目の途中でいやになったりアイデアつまって挫折したらどうしようと
も思ったが、いざ書いてみると、その才能の有無は別としてこうやって今日まで書き続けること
が出来たということを考えると、決して向いていない作業ではなかったのかなと思うし、また
継続する才能はあるのかもしれないとプチ自画自賛してみたりする。
もし、こうやって執筆する目的が「夢を追う」とか「賞金目当て」だったらたぶんここまで
続けることはできなかったんじゃないかな。
オレにとってこうやって文章や比喩や物語を紡ぐことって「好きなことをやる」とかじゃなくて
「比較的自分が一番上手く出来る作業」をやってるんです。
「カネ目当て」とか「夢追い」とかじゃなくて「義務」みたいな感覚なんですよ。
こう書くと笑う人もいるかもしれないけど、そうやって笑いたい人は笑ってくれていいんだけど。
なんだかね……
オレって生まれてきてからアルバイトや「社会人としての仕事」はしてきたり、していたり
だと思うんだけど、よく考えてみると今まで「人間としての仕事」っていうのを何ひとつして
きてなかった気がしてた。
だからこうして今、平日夜1、2時間や週末の外出しない日にパソコンの前で数時間執筆
してると、社会人としてではなく「オレとしての世の中でに仕事」をしているような充実感が
あるわけ。
その作業の結果が合格するとかしないとか、カネになるとかカネにならないとかそういうこと
じゃなくて、純粋に「オレが出来て他の人があまり出来ないこと」をやっているという感じ。
「認められる・認められない」「カネを生む・生まない」とか実益的なものをいっさい無視して
の自分だからこそ出来る作業。
それだけ気持ちがあるぶん、今回落ちた作品は純文学と同時に、自分なりに娯楽性も
まぜこんでみたし、社会への批判メッセージも練り込んで作りあげた作品だったから
そのぶんちょっと残念ではあったけど。
だけど、数か月前にバイト時代の先輩から電話が掛かってきて、執筆状況を聞かれ
「今まで社会人としての仕事はしてきたけど、今は人間としての仕事が出来てる気がします」
と答えたら、先輩は(気を使ってくれてる部分もあるだろうけど)「偉い」と言ってくれて、そして
「今って、それを感じることが出来るやつもなかなかいないし、自分のやるべき仕事という発想に
気付くやつもいない。そしてそうやって自信もって言えるってことが素晴らしい」
と温かい言葉をかけてくれてとても嬉しかった。
小説だけでなく、歌でも画でも芝居でも、表現者にとってはそれをすることを応援してくれる人の
存在も、また否定的したりバカにして笑ったりする人の存在もある意味でチカラになる。
応援してくれる人に対しては励みになるし、その期待にこたえたいという気持ちになる。
一方、そんなムダなことに時間使うなんてとか批判したり、笑ったりする人間の言葉に関しては
はっきり言えばその憎しみが燃料となり起爆する。
だからある意味で表現者にとって双方の存在というのは貴重だとは思う。
さて……
そういうことで今回は予定通りの落選。
文學界新人賞は文学賞の中では珍しく前期と後期で1年に2回の募集と発表があり、
本来なら今書いている5作目を6月締切の119回新人賞に応募しようと思っていたんだけれど
団長の思い……いや、もとい断腸の思いで、それは一度スルーしようかと考えています。
締切的には決して間に合わないことはない。
だけど、規定枚数が明らかにオーバーすることが確実だ。
「文學界新人賞」の原稿枚数は100枚程度。
100枚に近い分にはほんにすこしイメージ良くなつと考えるし、あくまで‘程度’だから
90枚から110枚くらいなら許容範囲内だろう。
だけど今書いている作品は、すでに90枚近い……
ストーリー的にはまだ中盤なのに。
出来るだけ贅肉になりえる文章を削ってもさすがに100枚前後に納められる世界観では
なくなった。
(書き始める前にあるい程度の構成はしていて、その時に100枚前後になるか200枚程度の
どちらかだと思ったからある程度の想定はしていたが)
執筆において相当熟練された方なら、執筆途中や推敲の段階で、余計な場面や描写をこそぎ
おとし、原稿枚数において驚異のダイエットを成功させ、スリムかつシャープに仕上げることが
可能かもしれないが、文筆青二才にオレにはまだそこまでの技術はないし、自画自賛じゃないが
今のところ削っていい部分はない。すべてが重要なのだ。
(なんか、カット出来る歌詞はないからフルで歌わせてきれないと出ないぞ!って言う紅白出場歌手みたいなこと言ってるなw)
だから、現在で既に確定している最低枚数を踏まえると、原稿枚数規定が100枚前後である
文學界新人賞に今執筆中の作品は出せない。出撃不可。
またかなり先になってしまうが応募出来るのは10月締切に「群像」とかそのあたりだ。
これはしょうがない。
とりあえず、今書いている作品に関して、次回の文學界新人賞出撃は断念する。
だけど……もし余裕があれば、オレみたいなモノがやるにはまだ早すぎるタブーかもしれ
ないと承知だけど、100枚程度で収まる話(ストック)を同時執筆するかもしれない。
前に日ハムのO谷をプロ入りしたばかりで片方でも結果出してないのに二刀流だなんて
中途ハンパだと書いたが、これをやるとオレもそれに近くなってしまう。それこそひとつも
結果出してないのに。
でも次が「群像」だとまた発表までかなりの月日が空いてしまうのも事実。
メリットとしては2作同時執筆は、片方で行き詰った時に気分転換して執筆そのものは続けられる
ということ。これはちょっと検討中ね。
とりあえず次に向けて出来るだけ毎日コツコツと書き続けたいと思う。
書き終えたあとはちょっとくつろいだりして。
先日もパソコンで執筆してて書き終わって、一息つこうとテレビをつけたら情報バラエティー
がやっていて、コメンテーターが座る席の下の部分にすらっとしたおみ足が写ってたから
ああ、パソコンに向きあってて疲れた目の保養になったなあと思いホッとしたあと、視線を
おみ足から上のほうへあげていったら、そこにミッツ・マングローブの顏があって
一瞬でもドキッとしてしまった自分に嫌悪感を感じてしまいました。
おしまい。