言ったもん勝ちな言葉たち | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

前回、怪獣関連の記事を書いたが、ウルトラマンにおいてメフィラス星人登場の回のサブタイが

たしか「禁じられた言葉」だと思った。内容はまったく憶えていないが、そのドラマチックなタイトルだけは憶えている。たぶん、元ネタは「禁じられた遊び」だと思うが。


そう、言葉。言葉についての話。

個人的に「禁じたい」言葉っていうのがあるのよね。


過去にも記事で紹介したが、オレの好きな本で「私の嫌いな10の言葉」というのがある。

著者は哲学者中島義道先生だ。


すべてではないが、書かれていることのほとんどは共感出来て、オレもその感覚に近いなと

感じた。


私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)/新潮社
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「相手の気持ちを考えろよ」 

「もっと素直になれよ」

「こんなに大事なことはお前のためを思っていっているんだぞ」


とかいうよく聞く言葉が例にあげられ、先生はそれが大嫌いだと語る。


オレもそういった言葉はあまり好きじゃない。

ただ、本書の中で先生はそれについては書かれていなかったと記憶するが

いわゆる

「もっと素直になれよ」とか「お前にためにいってるんだぞ」といった類の言葉ってだいたい

論争や討論の中で出てくると思うのだが、その多くが

『先に言ったモン勝ち』の言葉だと思えるのだわ。


結論から先に言ってしまうと「相手のためを思って言っている」というのはお互い様ではないのか?


例えば、これは本の中には書いておらず、過去のオレの仕事上の実体験からなのだが

上司と仕事のやり方で討論のようになり互いに譲らずちょっとアツくなってきた。

その時に

「オマエの話は本当に人をイライラさせるな」

と言われたことがあった。


たしかにオレは説明が決して上手いタイプではないし、自分の意見に対してガンコなところもある。アタマが悪いからたまに相手の言う事が瞬時に理解できないこともあるのは認めるし、

問題点だと思う。


だが、その時は「オレが意見を受け入れない態度」をとったことに対してイライラすると言っていた……



ちょっと待て……


討論というモノはそれぞれの確固たる意見と意見がぶつかるのモノであるのではないか。

逆に言えば「イライラしない」討論なんて存在するのか?


その上司からすれば、相手がどういう主張をしようが自分の意見を認めない姿勢であれば

それはすべて「イライラさせるヤツ」ということになるのではないだろうか。


もうひとつ言わせてもらえば、繰り返し言うが、異なる意見と意見が衝突して、互いに譲らずになかなか話が進まないのが討論だったり、そういった仕事の会議というものだ。


相手が認めないという状況下にあって「相手が自分をイライラさせる」というのはお互い様で

それは討論が始まる前に互いに暗黙の了解と承知して、開始したのではないか。

少なくともオレはそう思った。


だが、「オマエと討論するとイライラする」という禁句を相手に先に言われてしまうと、言われた本人もなんとなく、自分だけがガンコなように思ってきてしまうし、もし、周囲にそのやりとりを聞いている人間がいたら、あきらかに「言われたほう」が間違っているようなイメージを持つことは避けられないと思える。


「ガンコ」「イライラする」のは双方共通であるのに、それを口に出してしまうというのはいかがなものか。


他にも「先に言ったモン勝ち」のパワーをもつ言葉というのはけっこう多い。


中島先生も書いていた。

「お前のことを思っていってるんだぞ」という言葉もしかり。

つまりは「お前のことを心配してるんだ」という言葉。


オレは出来る限りこの言葉を言わないようにしている。

それは「言ったモン勝ちの言葉」であることと、「もしかしたらそれは相手を心配する自分の心配

なのではないか」という疑問がつきまとうからだ。


「お前のためを思っていっている」「心配だから言っている」

という言葉は仕事の進行においての討論でも人生論における討論でもよく出てくる言葉だ。


説明下手なんで、こう書くとまた誤解されてしまうかもしれないがマジメな例えで、

考え方の違いから生まれる討論議論というのは、ある意味で、言葉や理論を武器とする

ちょっとした戦争だと思える。

だが、それは決して侵略戦争ではない。

近隣の国が、「間違った方向へ進もうとしているのをとめるため」の抑止戦争である。

相手を支配する戦争ではなく、抑えて道をただすための戦争。


だから「○○」における進行や考え方として

Aが「××であるべきだ」「いや!△△であるべきだ!」といった異なる意見が対立する流れになる。


この状況について、ひとつ念を押しておくのは、実際にAの考えが間違っていたとしても

Bの考えが間違っていたとしても、あるいは両方とも間違っていたとしても、双方ともに

自分の中の確固たる思想と理念を持ってぶつかりあっているわけである。

だから、それゆえにどちらも相手が間違った方向へ進んだり、また間違った考え方をしないように

正しいと思われる自分の考えを相手に叩きこんで気付かせようとしているには違いない。


しかし、ここでAが「お前のためを思って間違った考えを持たないように言っているんだぞ」と言ってしまうことがあるとその発言に違和感を感じずにいられない。


この場面についても、相手の考え方がおかしいからそれを指摘してあげようということも

「お互いさま」なのだ。

言われたほうもきっと、そういった心意気のはず。


論議の答えに関してはAがあっているかBがあっているかはわからないが、それはおそらく

しばらくは答えは出ない。それが討論である。


ただ、どちらがあってるにせよ、間違っているにせよ、相手の事を考えて、思っていることを

いい、違うと思う事は違うと言うことは譲らないという考え方は、「お前のため~」と言われた

ほうも同じはずだ。


だけど、それを先に言われてしまうと形勢的に引け目を感じて、まるで自分のほうは相手を心配せずに自分のことだけしか考えていないように見えてしまう。

(とくにこれも周囲で聴いてる人間から見たら、言われたほうがガンコな悪者にうつる)


事実、もしかしたらAの言う事が正しいこともあるだろう。

だが、「思っていることを強く言い、違うモノは違うとつっぱねる」ということに関して

相手のことを思っているというのは、言われたほうも同じだ。

つまりは、これだって暗黙の「お互いさま」である。


それを自分だけ、良い人として先に抜け駆けしようとこの言葉を出すのはフェアじゃないと思う。


また「それが相手を心配する自分の心配かもしれない」というのは前にちらっと書いたとおり。

自分では相手を心配しているつもりかもしれないが、実際は「こんなに心配してるのに何で

オレのいうことを聞かないんだ」といったこと。

つまりは相手が自分の言う事を聞いてくれないと、自分が落ちつかないし気分がすっきりしないから言う事を聞いてほしいという心配。


自戒の意味も含めて、こういった可能性もあるからオレは「おまえのためを~」といったことを

言うことは控える。言うとしても慎重に。


こういった「言ったモン勝ち」の言葉を先に言われて、「それは思い切りこっちのセリフだ!」

と憤慨した人もオレだけじゃないはず。きっとたくさんいるだろう。


「ガンコだな」

「オレが言わないと誰も言ってくれなくなるぞ」

「その考え方はやめたほうがいい」


先にそう言われて、「それはお前だよ」と思ったことがある人も多いだろう。

たしかに言われたほうが間違っているケースも存在はするだろうが、

相手に対してガンコだとか、そういう考えは捨てたほうがいいと思っているのは相手も同じ

なのだ。

自分が絶対に正しいというような前提を暗示する「先に言ったモン勝ち言葉」のカードを出すのは

個人的にはやはりフェアじゃないと思ってしまう。


オレはもともとゲームはそれほどやらないのでシリーズは『Ⅲ』までしかプレイしていないのだが
人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の中の呪文のひとつに「マホトーン」というのがある。

ドラクエの呪文において、攻撃系、ぼうぎょ系、回復系などと多種多様な呪文が存在するが

その「マホトーン」というのは「相手の呪文を封じる呪文」である。


場合によっては相手に向かい唱えても効かなかったり、またかけられても効かなかったりすることもあるのだが、呪文が効いた場合、かけられたプレイヤーまたはモンスターは全ての呪文を唱えられなくなる。攻撃系もぼうぎょ系も回復系もすべてだ。


だから呪文をつかう相手にマホトーンをかけられてしまったプレイヤーは、あらゆる呪文を使う相手に対して、呪文ナシでの戦いをしなければならない。


ドラクエに関しては基本、人間とコンピューターの闘いであるから、対戦型みたいにトモダチ同士の闘いはない――ですよね?

(ゲーム疎いからオンラインとかで今はあるのかな? うーん、すまん、わからん)


機械相手であれば、そんなマナーのようなものは無いと思うから、出てくるモンスターにかたっぱしから「マホトーン」をかけても全然問題ないし、それも機械相手のゲーム内戦略だと認められる。


だが、これが友人とやる対戦型バトルだとしたら、どうだろう。


呪文の繰り出し方も立派な頭脳戦として、いろんな闘いが楽しめる。

しかし、片方の人間がいきなり「マホトーン」をやったら、かけられたほうは面白くもないし

攻撃を制限されて不利になる。


「先に言ったモン勝ちの言葉」と、ドラクエの「マホトーン」はその効用がとても似ているような

気がする。


さきにそれを言ってしまったほうが「正しい人」「相手を心配している人」というようなニュアンスを

ゲットして、周りにいる人間にもそういうイメージを与えることが出来る。


悔しかったり反論があるなら心の中で叫ぶんではなくて口に出して

「それはこっちのセリフだ!」と言えばいいというような声も聞こえてきそうだ。


言ってもいいとおもう。

でも悲しいかな。


「先に言われた」あとにそういうと、なんだか「悔しいから言いかえしてる」ように映ってしまうので

逆にいやなのだ。

でも、自分からその言葉を相手にいうのがイヤだし、全ての感情において「お互いさま」だという

ことが分かっていたから気も使って我慢して黙っていたら、相手に先に言われてしまった……と

いうような流れは人生というドラマの脚本通りだ。


同じことや同じ不満をもっていたとしても、なんとなく「あとから言ったほう」が負け惜しみみたいに

見えてしまう。


決してマネや負け惜しみでなくても、「後から」のほうってなんか不利になるんだよ。


ちょっと例えがまた違ってズレてしまうかもしれないけど、音楽シーンもそうだ。

似たような音楽や声質の歌手が連続して出てくると、後から売れたほうがパクリやマネという

イメージがつく。

実際は「後から売れた歌手」のほうが先に音楽の世界に入ってそういった曲を書いてたかも

しれないのに、世に出たのが後になってしまうと、先に世に出た似た芸風の歌手のパクリや

リスペクトみたいに見られてしまう。

だいたいが互いの事なんかしらずに、それぞれやりたい音楽やってきた結果、それが似たような

感じだったといったものだと思うのに。

数年前で言えば、宇多田と倉木、 リンゴとヤイコとか。


議論になっていることの感覚の程度とかはあると思うけど、討論というモノは基本、異なる価値観がぶつかりあって確認しあうことだと思う。


話しているうちにイライラしたり、自分の言う事を理解してくれない相手を心配?するのは

双方同じである。


そして、それは結論が出ないのがほとんどで、その流れは自然なことだと思うし、

そんな中でも、自分の中の正しいところと間違ったところ、相手の正しいところと間違ったところを

確かめ合って、明確でなくても互いに一番近づけるところまでの答えを出して一旦落ちつくと

いうのがべストであり自然だと思う。


「根本的な考え方を変えた方がいい」というのは、討論相手だって同じように思っているはず。

ただ、マナーとして口に出さいのだ。

それは「絶対的な正解とは限らない」というちょっと謙虚な面でもある。

「こいつには何を言っても無駄だな」というのも同じ。

それはお互いに思っている。


また「根本をかえろ」というのはつまり「全否定」に近い。

それは歩みよりでもなんでもなく、「自分が言うことが絶対にあってる」と思うからこそ

相手にそう言えるのだ。


そろそろ、まとめようか(笑)


個人的見解だけど、オレは


「お前のことを思って、言っているんだ」

「いい加減に考え方変えたほうがいいよ」

「こいつには何言っても聞かないようだ(心の声)」

「注意してくれる人がいるうちはまだいいぞ」


それらの言葉は全てお互いさまである。

そして、「先に言ったほう」が精神的イメージ的なマウントポジションをとることができる

ある意味でアンフェアな言葉である。


だから、オレは今までも一度も言ったことがないと思う。記憶の限り。

それが討論や議題の進める上での相手に対するマナーであると思ってきたから。


仮に相手の思想が歪んでいたとしても、確固たる自分の思想を持ってるということじたいは

認める。オレのほうが100%あっているなんて思ってもいないし、わからない。


それでも、本当の本当に相手の事を心配したなら、多少きつくても何か言わないといけない

状況もあるとは思う。


そんな時に「考え方かえろ」とか「お前が心配だから」とかでなく、マナー違反にならない

良い指摘言葉が何かあればと思うのだけれども、そこはオレがまだ未熟なせいで

まだ言葉がみつからない。


あくまで「イーブン」という前提としての、叱咤激励言葉があればいいのだけれど難しい。


最後の最後に一言いっておくと、今回の記事は決して「ひねくれ」でも「挑発」でもない。

怒っているわけでもない。

純粋にオレの価値観を綴っただけ。

それだけご了承を。


反論の人もいて当然だと思うけど、そういう考え方もあるんだ程度にとらえて頂ければ幸い

である。

オレは反論の人の意見も、それはそれで個人の確固たる思想として認めるから。