畠山鈴香…橋の上の殺意 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

日本の警察は優秀だという言葉はよく聞く。

たしかに凶悪事件犯人検挙や、真犯人を暴くのすごいかもしれない。


ただ、オウム事件などの凶悪性があり、規模が大きい事件や世間を震撼させるような

残虐な事件に関しては、最終的に真犯人をつきとめ、追い詰める結果になる報道はよく

きくが、自分の周りの友人の話で、空き巣に入られたり、バイクや自転車を盗まれたりしたあと、

その犯人がつかまったという話は何故かあまり聞かない。


すこしたって逮捕される例があったとしても、当人宅における事件からの情報による逮捕では

なく、犯人が常習的で、その後も何件も犯罪を繰り返しているうち、別件でつかまって

そのあと、いろいろ余罪を調べたら、そこに含まれていたといったケースが多いように思える。


オレオレ詐欺の電話が掛かってきても、電話をうけた老齢夫婦などがおびき出すという段階

までもってきたりしていないかぎり、スルーするようなこともよく聞く。


それは単純に「小規模な犯罪は手掛かりがすくない」から逮捕出来ないのか、それとも

「そんな小さいことに大きな時間や力をそそいでいるヒマはない」という姿勢なのか。

オレは前から疑問だった。


冷静に考えてみると、一般市民でたまたま魔がさして盗みなどをやった地味な人間の

手掛かりを探すより、それなりの華々しい経歴をもったインテリ犯が残した時限爆弾の

残骸のほうがずっと手掛かりになるようにも思える。


「日本の警察は優秀」というのと

「日本の警察は科学的な捜査力が優れている」

というのでは、まるっきり意味が違ってくる。


日本の警察が本当の意味で『優秀』であるのならば、凶悪事件や大規模事故の即解決

だけでなく、どんな小さな事件や犯罪でも被害者がいる限りは、力を抜かず動き、また

不祥事なども起こさないはずだと思う。


もちろん、警察官の中にも、警官という以前に、もう人間としての鑑のような人もいる。

数年前に、踏切内の人を救出しようとして殉職されたオマワリさんのような。


ただ、でもやはり警察の体質とかに関してちょっと、いろいろ騒がれることが多いのも事実。

今回は別に警察批判じゃないのでそろそろ本題移行するが、アノ事件も初期は警察の

誤判断だったような気がした。

それが彼女の策略だかどうかわからないが、そのアピールが裏目にでたことにより

真相が浮き出てきた。


……彼女の名前は畠山鈴香


橋の上の「殺意」 <畠山鈴香はどう裁かれたか> (講談社文庫)/講談社
¥830
Amazon.co.jp

事件から何気にもう数年たつが、今でもはっきり覚えている人は多いと思う。


静かな町の中で起きた惨劇。

我が子を橋の上から突き落とし、また近所の男の子もおって殺害した女。

「畠山鈴香」


もう数カ月前になるが、図書館で上の本をみつけ読んでみた。


この事件に関しても、当初、畠山鈴香の娘であるAちゃんが河川敷で死体で見つかった時、

警察は事故死と判断していたという話は有名。


ただ不可解だったのは、警察がそう判断したあと、事実として手に掛けて殺害していた

畠山鈴香は、そんな警察の姿勢に対して、


「事故のはずがない」「事件だから犯人をつかまえてほしい」


と、しつこくアピールしていたという。

結果として、その不可解な行動が、のちに近隣住民のG君を殺害したことにリンクすることと

なり、最終的に真相は暴かれたが、それでも最初の警察の「事故」という判断は誤認には違い

なかった。


畠山鈴香が自分で殺害しておきながら、わざわざ警察に対してそういう芝居を売った理由は

2つ考えられる。

これは本に書いてあったわけでなく、オレの主観ではあるが、他の人でもおそらく想定出来る

ような理由である。


1つは

「あえてリスクをしょったうえでの、母親像のアピール」


警察が「事故」と判断した時点で、とりあえず自分が疑われることはないはずなのに

あとになって状況が変わった時のため、リスク覚悟で、「自分の娘がそんな行動するわけない」

と前もって、しつこいくらいに子供想いの母親をアピールしておく。

警察が一度、事故死という判断をしたのをふまえたうえで、あえて

「娘は殺されたと思うから、犯人を探してほしい」

と訴えて、自分は娘を愛していたということを印象づけておく。


警察のほうも、「そうですね、じゃあ、もう一回捜査しましょう」なんて言わないだろうという

確信犯だろうが、その時点では警察も「娘想いの母親だな」と思ってしまったのかもしれない。


こういった、あえて「自分が不利になるような事」を訴えるリスクを実行することで、なんというか

相手の「わざわざ自分が不利になるようなお願いなんてしないだろう」という心理をつく風景は

日常でもたまに見る。


言ったことによって万が一、相手がそれに同意したら、墓穴を掘ることになるのでそれなりに

リスクがある。


そういえば、これも数年前になると思うが、江東区でも、女性が行方不明になる事件があった。

入口のカメラにも、建物の外に出る姿が映っていなかったのと同時に、不審者が入ってくる様子も

映っていなかったので、当時は「神隠し」と騒がれた。


結果として、犯人は同じフロアのひとつかふたつ隣の部屋に住む男で、女性が帰宅した時に

ムリヤリ自分の部屋につれこみ、殺害したという残忍に事件だったが、当時、女性がマンション

の外に出た様子が無いことから、建物内のどこかにいると考え、警察は各住人の室内を調査

していた。


当然、容疑者の男の部屋の中にも捜査のメスは入ったわけだが、男の部屋の中には

もともとたくさんの段ボールがあり、実はその時、その段ボールのひとつには殺害された

女性の遺体が入っていた。

捜査員は近辺の段ボールは調べらたが、さすがに数が多かったのと、男があまりにも冷静だったため軽く見ていたのもあったのだろう。


犯人に男は、捜査員に対して

「こっちの段ボールも見ますか?」といって、遺体が隠された段ボールを指差したらしい。

すると捜査員は「いや、けっこうです」と言い、その箱は確認しなかった。


ここで捜査員が「はい」と言って確認したら、完全に墓穴だったはずだ。

犯人の男はおそらく冷や汗モンの賭けで、マンション全室内を見ないといけない多忙の捜査員

の状況を理解し、そして自ら冷静に協力体制をアピールする事によって、「一番見られたくない箱」

から、捜査員の目をそらす事が出来たのだ。まさに忌まわしき心理戦。


娘Aちゃんの死について、事件だとアピールした畠山鈴香はおそらくそれを狙ったのか。


もしくはもうひとつの可能性。

単純に精神的な問題で、自分が殺害したことを忘れようとしていたか、その時だけ

自分が殺害したことを忘れていたか……


まあ、第三者には永遠にわからない。


そん時はそういう芝居をしてうまくいったにしろ、次にG君を殺害するという事件を起こしたことで

警察も改めてあらいなおし、すべてが表に出た感じだろう。


「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが残虐犯罪遺族のことを考えたら、オレは人を憎むのも当然だと思うし、遺族が死刑を望むのも納得なところだ。


でも、この本のオビには


「畠山鈴香は人間ではない」とそれでもあなたは言えますか?


と書かれている。


彼女やはり高校時代、陰湿ないじめにあっていたようだ。

クラス別の手書きの卒業文集のアンケートにて

「すぐに仕事をやめてしまいそうな人」「墓場入りが早そうな人」でトップに選ばれる。


また、寄せ書きには

「いままでイジメれれた分、強くなったべ。オレ達に感謝しなさい」「秋田(県)から永久追放」

と、心ないことをかかれている。


小学校時代に関しては、給食を食べるのが遅かったので、教師の命令により

残ったおかずを手に受けて食べさせられていたという。


そういう過去や周囲の態度が、だんだん彼女を歪ませていったのも事実だと思う。


彼女に対しても、彼女のやったとこに対しても、擁護するつもりはまったくないが

ひとりの犯罪者が出てしまった場合、ただの殺人者としてみるのではなく

その人間の過去をしっかり知って学ばないと、「オレはそんなことしないから大丈夫」

「わたしは人を殺したりしない」という自分だけの問題で終わってしまう。


自分がそういうことをしないというのは、それでいいが、誰かを殺人者にしようとしてるうちの

1人になってしまうかもしれないという感覚だけは全ての人にもっていてほしいと思う。