同窓会 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

普段書いている本とかアニメとか思想とかの記事を正月から書くのもなんなんで

今日くらいまでは近況報告日記的な記事を。

「よくわかんない本の話とかより日記的なモノが読みたい」という声もすくなからず

あるので。明日ぐらいからは通常営業(笑)


記事タイトルにある通りのなのだが、昨日の夜、地元で中学の時の同窓会に

行ってきた。


ま、このコラムでも何でも書いているが、オレは中学生の時は‘イケてない’部類だった。

それゆえに、別にいじめられていたわけでもないし、友人も多少はいたが、中学ライフにおいて

13、14、15と、私の人生、小仏トンネルの中ぐらい暗かった。

はっきり言ってあまり楽しい記憶がない。

卒業後、高校行ってからは夜でなくても昼間でも夢が開いたが、やはり中学生活は暗カッター。

暗カッター2枚刃。


思春期だというのに女の子との交流もとくになく、壊れかけてもいないラジオでさえ、

オレに本当の幸せを教えてくれなかった。

そんな中学生の時の同級生との同窓会である。


きっかけはミクシイの○○中学出身のくくりで、オレを見つけた同級生からの誘い。

ちょっといろいろあったらしく人数は4人だった。

他のメンバー同士は小学校も同じで数年に一回くらいあってたようだが、オレは

ガチで全員と20数年ぶりの再会だった。

SNSも登録してていいこともあるんだな(笑)


メンバーのひとり、S。


当時は放課後におけるプライベートのつきあいはなく、普通に中一の時に校内で話すような仲だた。ただ、入学して一番初めに喋った新しい仲間だったのは憶えている。

主席番号順の席で、オレのうしろがSで、話しかけられたのだ。

正確には中学卒業後、たまたま共通知人のライブがあって、その会場で一回だけあった。

それでも20年以上は余裕でたつ。


もうひとりは、I


I とは中学2年生の時に一番仲が良く、放課後もつるんでいた。

だが所詮は中学生、3年になるにあたりクラスが変わったので、別に喧嘩とかしたわけでも

なんでもないが、それにより自然に遊ばなくってゆき、そのまま卒業した。

今でも憶えているのは、一度ちょっとリッチになった時があって、何かおごるからオレともう1人

聖蹟桜ヶ丘に買い物に行こう誘われたことがあった。

(理由は忘れたが決して悪い事をしておカネを手に入れたとかではない)


とりあえず聖蹟桜ヶ丘の京王アートマンまで行って、ホビーコーナーに行き、基本は遠慮したのだが、もうひとりの友人が遠慮なくIに何か買ってもらってて、オマエも買ってくれたほうが嬉しいと

言われ、お言葉に甘えて、1980円のバタフライナイフを買ってもらったのを覚えている。

ちょうどその時に、長渕のドラマ「とんぼ」がやっていて、ドラマの中で、まだ無名だったころの

チンピラ役の寺島進が、長渕にナイフで耳をそぎおとされれるシーン(恐)があり、単純バカな

中学生ゆえ、そんな長渕に憧れて、本当はボタン押すとジャキって刃が飛び出すドラマ内と

同じナイフを欲しかったのだが、値段がけっこうしたので、ワンランク落として安いバタフライナイフを買ってもらった。結局買ってもらってるんだけど(爆)


そのナイフが嬉しくて長渕気分でガクランの内ポケットに忍ばせていたら、ある日クリーニングに出そうと思った母親が、それ見つけて、こっぴどく怒られたのも憶えている。

実際に振り回したりなんかしないけど、今考えれば、イケてないヤツがガクランにナイフ入れて

登校してるというのはリアルにヤバい匂いがするのう。

イケてるグループのやつがトオルとヒロシに憧れて、喧嘩もしないくせに警棒持ってきてるのは

教師も黙認してたのに。


まあ、Iとの間にはそんなエピソードがあった。


もうひとりは、M。


彼とは実は当時交流はなかった。小学校の違うし、中学でクラスも一緒になったことがない。

だから話したこともなかった。でも互いに存在と名前は認識してると言った感じだ。

Mとは他のふたりと仲がいいので、オレも今回一緒させてもらうことになった。

あ、ちなみに偶然だが高校も一緒、だけどそこでも同じクラスには一度もならなかったから

話したり遊んだことはない。


当日、夜七時に駅前ロータリーで待ち合わせしたんだけど、なんか楽しい反面、

緊張したんだよねえ。あっちゃえばいいんだけど、久しぶりだけにみんな、変わってて

集合場所に既にきてても、お互いにわかんないんじゃないかと。


予感的中。

早めにいって駅隣接の建物の中のベンチで座って時間つぶしていたら、ちょっと離れた

ところで、やけーにがたいのいい各党家のような背の高いヤツがあるいていて、お互いに

ちらっと目があった。

そん時に、なんとなくIっぽいなーッと思いながらも、中学卒業時にオレを同じくらいの身長だった

Iがあんなに背が高いはずがない。いくらなんでも中学卒業後にあんなに伸びるはずはない。

成長という世界を越えて、別人だから違うだろう。と思い、特に近くに行って確認するとか声を

かけてみるとかいうこともせずスルーした。


約束時間5分前になって、建物から出て、ロータリーへ。コレがハンパ無く寒い。

震えながら噴水のふちに座っていると、さっきのでかいのも中から出てきて、オレから

ちょっと離れたところで誰かを待つようにたっているではないか。


Iのはずがない。

でも、この寒波の中、外で立ちすくんだり立ち止まっている人が誰もいないロータリーで

動かないのはオレとその彼だけである。


おそるおそる……というのもおかしな言い方だが、ちょっと自分のほうから近づいていった。

オレに気付いた向こうも、オレのほうをじっと、見ている。

「○○か!?」

向こうから声をかけられた。

それは間違いなくIだった。


中学卒業以来、初めての再会。思わずこづきあう(笑)

びっくりした、顏を見るとかろうじて面影が残っているが、体格と声が完全に別人。


中学出てから、急に背が伸びて178くらいあると言っていたが、パっと見は180ある。

中学の時は当時169だったオレと同じくらいだったのに。

オレも卒業後数4,5センチだけ伸びて、174でとまったが、そう考えると彼は10センチくらい

伸びたのだ。15くらいからでもそんなに伸びることもあるんだな。


その後すぐ、近所であるMが到着。

Mは高校の時には見ていたけど、それでも久しぶり。

その時初めて挨拶から始めて会話したけど、やっぱいいやつで安心した。


企画者のSがその後、少し遅れて到着、相当忙しいようだ。


揃ったら、いざ『庄や』


乾杯のビールがやけに美味い。


ひさしぶりだけに、何も考えなくても会話がトントンと進んだ。


みんな、この2数年で、それぞれの人生模様を描いてきたようだ。


3人の人生の話を聞いていると、短編のオムニバスドラマを見ているような気分になる。



ここではちょっと書けないようなヘビーな話や、苦労話。


Sに関しては、そのマジメさゆえ、かなり苦労したこともあり、オレと結構似た状況に

おかれたこともあったようで、とても共感し同情した。

聞いた限りオレよりきつそうなので比べたら失礼かもしれないが。

でも、そのこまめさが時間がたってもそのままで嬉しかった。


Mとも今回こういう場で改めて仲良くなれて嬉しかった。

決して威張ったりしない控えめな感じなのが、重要なポジションで、皆から人気あることが

よくわかった。今回知り合えたのは大きい収穫だ。



Iに関しては、前振りがながかったからわかるとおもうけど、一番変貌に驚いた。

中学の時はどちらかといえば声も風貌もカワイイ系キャラだったのに、完全にワイルド系に

形態進化してた(笑)

声も口調も面影ないもんな。まあ、その衝撃は新鮮だったけど(笑)

卒業後はずっと空手をやっているらしい。


ただ本もよく読むらしく、

「子孫や資産を残したいという本能よりも、この世になにか自分だけの作品を残したいという欲望のほうがはるかに強い」

というオレの意見にとても共感してくれ、その場でずっとオレの代弁をし始めてくれたのは嬉しかったな。


気が付くと、あっという間に4,5時間たっていた。会話は一度も途切れなかった。


おひらきになって、今度は夏にまた逢おうと話した。

みんなそれぞれの仕事が忙しかったり、また結婚してたりと都合があるから。

(あ、ちなみに独身はオレだけだったw)


「懐かしい仲間」との「新鮮」な時間はとても有意義で楽しめた。


なんだか暗かった中学生時代の記憶に何か明るい色を上塗り出来たような気がした。


なんだろうね?

記事でも何回かそういう再会ネタを書いているけど、オレにとって、この2,3年はいろんな

友人との再会の年なんだな。小学校や高校でも友人との再会や家飲みもあったし。


人生って予測できないし、人間関係をつくるのにマニュアルなんてないんだろうね。


オレは暗い時季が多くて、身内なり友人なり教師なりに昔からよく、

「もっと明るく」とか「もっと元気に」とか「もっと大声で」「もっと積極的」にとか言われた。

そういう気持ちもわかるので、自分なりに頑張った(この言葉好きじゃないがそれでも

やってみたという意志を伝えるためにあえて使わせてもらう)が、やはり性格に逢わない動作や

表情を無理にやっても上手く出来ずに、友人が極端に増えることもなく、存在も地味なままだった。



そして30代も後半になった今……

半分は冗談ではあるが、オレはハッキリと「人間嫌い」だと言っている。

個人では無い。まわりにいる個人はイイ人が多いが、全体的な人間が汚くて嫌いなのだ。

自分も含めて。


だけど、今、そんなオレの周りには多くの友人がいる。

新しく出来た友人、戻ってきた友人。


あれだけ、まわりから「もっと明るく積極的にまわりにとけこむようにしろ」と暴力的に言われ

頑張った時にはなにも生まれなかったのに、今、世間一般に周りと交流とかを持ちづらくなるといわれるこの年齢になり、さらに「人間嫌い」だと言いまくっているオレの周りにはいつのまにかたくさんの友人がいる。


寺島修司の詩に

「猫と女は呼ぶと逃げ、呼ばないとすりよってくるというが、運命もまた、こっちが冷たくしていると

機嫌をとりにやってきて、こっちがしつこく追い回すと、遠ざかってしまうのである」

というのがあり、どこかその理論に似てるかなと思った。オレに限らずね。



オレは無理に明るくふるまおうとしたり前向きにしようとするよりも、ちょっと世間に対して

拗ねていたほうが、運命や出会いの神がゴキゲンをとりにくるかも知れない(笑)

一部の人間はオレのいいところは「自然体」なとこだと言ってくれるがどうかなあ?


友人や知り合いのネットワークに関して、今まで機能していなかった死んでた配線にいきなり

電気が復活して開通したような気がする。


当時、中学生の時、オレ出てる配線は多くて4,5本くらいだった。

それくらいしか気の許せる相手がいないということ。


でも今のオレ、30代後半にもなったオレの体からはそれぞれ「同中」「同高校」などという

それぞれ別のコミュニティへと通じてる配線が20本以上出ていると思う。

都合の問題抜きで、時間さえ合えば連絡して気を許し合いながら飲める知り合いが

多方面に20人以上はいるということだ。

その中で、いなくなってほしい人間は一人もいない。


ひねくれでも批判でも中二病でもなんでもなく、現実的な話、

世の中も人生もクソみたいなモンだと思うけど、オレが思っていたほどのクソ的なものでもないのかもしれないとは感じた。


明日になったらまた別の事言ってると思うから、今だけのこととしていうけど

もしかしたら、そういう連中がまわりにいるということで、オレは幸せモノなのかもしれないね。


と、まあ最後ちょっとしんみりしてしまったが、そんなトコだ!


みんな、また夏に逢うのを楽しみにしてるぜ!


同窓会の画はナシ!

ケータイ取り出して写メ撮る時間があるなら、そのぶん一秒でも多く話していたかったから……。




そんなわけで、年末年始くらいは笑える話&ちょっとイイ話をおとどけしました。

もうちょっとしたら再びオハコの重い&暗い話も送り出すんで覚悟じゃ(笑)