- 「ワタクシハ」 (講談社文庫)/講談社
- ¥630
- Amazon.co.jp
就活解禁の報道をやっていたので、それにあわせた本の記事をひとつ。
表紙のイラストだけみると、ライトノベルや今風のコミックっぽいけど、内容は
どちらかいえば社会派寄りか。社会派はいいすぎだけど、別にチャらい内容ではなく
鋭い事実をついているところはついている。
就職活動に入る大学生は共感する部分も多いと思うが、勉強という意味では読んでおいた
ほうがいいかもしれないけど、理不尽でいやらしいやりとりの世界を一足先に知ってしまう
と言う意味では読まないほうがいいかもしれない。
評価のほうは見事にわかれるようで、たしかにところどころ退屈な部分も多いし、
就活する主人公がもともとは人気アーティストだったというところは、すこし次元が飛んでしまって
いるのは否めないが、エンタメ以上純文学以下としては、ふつうに楽しめる作品だと思う。
まだ読んでいないが朝井リョウの「何者」も就活小説だと思ったが、これもそう。
そういえば、若い点も風貌の雰囲気もどことなく朝井リョウに似てるように思えた。この作者は。
主人公の太郎はバンドにおいて高校生でメジャーデビューを果たし、大ブレイクするがその後
売れずに燻り、大学生活を送る。
大学3年の時、周りの人間が忙しく就職活動を行いはじめるのを見て、違和感を感じながら
自分も活動を開始する話。
だいたい、過去に栄光を持つ前提の人間がなにかをはじめようという話だと、当時の地位を
ふまえたプライドが邪魔してなかなかうまくいかないという流れがテッパンだが、この主人公に
それはない。ただ、プライドはないが、周りの学生や企業側の動きなどにたいして理解に
苦しむというのが目立つ。
それはある意味、普通の社会を知らない世間知らずというのがある反面、正直なゆえに
学生と企業側の偽善を見抜く力があるゆえだと解説してあった。
主人公が感じた違和感の2つの例。
訪問した受付の人に、すべての学生が異常なくらいの笑顔と大きい声で挨拶しているのを
見た太郎は、実家に住んでいた頃使っていた駅の駐車場で誰も管理人に挨拶せずに黙って
自転車を停めていった状態を思い出す。
――利害関係がある人間にしか挨拶しない国民性。
芸能界という特殊な環境にいたはずの太郎が、普通の世界に違和感を覚えるアイロニー。
そして「適性検査」というワケのわからないテストにたよる自己のない企業側。
正直にやったほうがいいのか、それともコミュニケーションがあるように嘘をついたほうが
いいのか。適正検査を依頼した企業側はどっちが正解かちゃんとわかってて依頼したのか
という疑問。
主人公の太郎は悩む。
これを読んでいると、感性を思い切り主張できる芸能界のほうがもしかしたら清潔な世界かも
しれないとも思えてくる。
いや、あっちの世界もこっちの世界もどっちも、きちゃないけどね(笑)
今の就職活動や採用面接において、哲学者の中島義道センセイは痛烈に批判しておられた。
面接官は個性重視だとかいっておきながら元気がよく声が大きい人間とかを優先し、哲学的な
中身を見ようと心掛けず、受け答えのマニュアルをよく記憶する人間ばかりを選び、学生もまた
そういう面接官に気に入られようと嘘の笑顔や大声で心にもない意気込みを口にする。
人間の本来の姿を見ようとする姿勢がなくなり、嘘の上手い人間が勝ち残るような風潮になった
ことに関しては、そういう面接官も学生も同罪であるといっていた。
オレも全く同意。
私小説か、半私小説か、フィクションかわからんが、作者の表したいことはけっこう
一部の学生、いや、正常な感覚を持っている人間ならある程度共感出来るのではないだろうか。
学生の皆さんにはこれから想像以上の理不尽がまっていると思うがそれに負けないで頂きたい
とせつに思う。
このご時世だから、内定が出ない学生や職がない人に対して仕事があるならなんでもやれとか
言う自分さえよければどうでもいい輩もいるけど、そういう人は日本に憲法22条というものがある事を知らない人だから気にせんでいいよ(笑)
そういえば昔、学生援護会のCMで
職業選択の自由、アハハン♪ ~なんて歌があったな。 懐かしいのう。
今回のもう一冊。
絲山秋子サンの芥川賞受賞作 『沖で待つ』
- 沖で待つ (文春文庫)/文藝春秋
- ¥480
- Amazon.co.jp
個人的には表題作で受賞作の「沖で待つ」よりも同収録の作品のほうが好きだな。
内容はオレの書評よりも読んでほしいけど、内容の流れで個人的に思った事書くと、
「国民の祝日」の名称って、冷静に考えてみると、人によってはあてつけとかイヤミっぽいの
っておおいね。
「海の日」とか「憲法記念日」とかは別にいいんだけど、
「体育の日」って体が不自由な人へのイヤミにも思えるし、
「勤労感謝の日」ってホームレスや生活保護受給者へのあてつけみたいにも捉えられるし
「子供の日」って子供に恵まれない夫婦へのトドメみたいな名前……
ウサギ跳びが昔は立派なトレーニングだと誰もが疑わなかったような間違った認識だったように
あたりまえにやってたり、言ったりしてるけど実は間違った認識とか感覚のものってけっこうある
かもしれない。
芥川賞作家には多いタイプなんだけど、一見やさぐれた芸風なんだけど、よく読むと、その
やさぐれた中にも無限の優しさを感じされる作家は好きだ。
この絲山さんもそう。ちょっと外見がサンマスターとハリセンボン入ってるけど(笑)