元広島・小早川毅彦氏講演会 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

カブスカウト(ボーイスカウトのひとつしたの団体)をやっていた時は、毎回いろんな

企画があった。提案や支持するのは隊長という大人のリーダーである。


やった企画のひとつで、厚紙に文字を書いたり色を塗ったりして力士がつけるような

自分だけの派手な化粧マワシを作り、好きな四股名を考えて決めて、マワシに書いて腰につけ、

全員で相撲の勝ち抜き戦をやるというのがあった。


マワシの色やデザインも四股名も個人の自由だが、四股名に関しては、みんな自分の名字や

名前をアレンジしたような感じでつけて、マワシに書いていた。

諸橋(仮名)だったら、「諸の里」といったように。四股名っぽく。


オレはそん時、自分の名前がなんとなく好きじゃなかったので名前のアレンジはしなかった。

かといって、何か力士っぽい名前が思いついたわけでもない。

力士っぽくもあり、またちょっと好きなモノを埋め込んだ四股名を考えた結果、

「小早川」という名前にした。


理由は、当時西武の次に好きだった球団が広島だったから。

正直それほど深い愛着はない(笑)

ただ、アンチ巨人として、その時に巨人に対するもっとも勢力的な球団だったのが広島だった

のと、珍しく外国人がスタメンにいない純日本製打線だったから。


西武の選手の中で力士っぽい名前(とくに3,4文字)の選手がいたら、そこから拝借していたの

だが、西武の中にはいなかったので、広島で検索した結果「北別府」と「小早川」で悩み、

結果「小早川」にした。


まあ、たかがそれだけの思い出話なんで、縁とか因果とか言えるほどの廻りあわせではないが

そんな元広島カープの4番「小早川毅彦」氏が、近所の小学校に無料講演にくるとのことで

せっかくだから拝聴に行ってきた。昨日ね。


小早川氏は後半、移籍でヤクルトへ移ったが、オレの中ではカープの印象が断然強いので

今後は‘元カープの小早川’という前提で書かしていただきたい。


実は今回の講演会は小学校のPTAが主催とのことで、大規模どころか中規模な告知も

おそらくやっていない。たぶん、広報誌とかにも書いてなかったのではないか。

オレはたまたま図書館言った時に、いろんなチラシやパンフが置いてある机の上で、その

チラシを見つけたからしったという流れだ。


開場は朝9時半、開始10時と、ちと早い。


自転車で会場の小学校へ乗りつける。


ホントにささやかに開かれたようで、校門のところには簡単なパネルとかは何もない。

ホントにやっているのかと思い、学校の中へ進んでゆくと、一応「方向指示」が。


昭和80年代クロニクル-小早川講演

会場は体育館である。


30分前に入り、前から3列目の席を確保。

例により会場内は撮影禁止。


10時になると、校長先生やPTAの方々と一緒に

小早川毅彦氏が姿を見せた。


おお、さすがは「江川に引退を決意させた一発」を放ったスター選手。

でかい。そしてオーラが出てる。

「人を失望させる一言」しか放てないオレとの格の差をまざまざと見せつけられた。


場所が体育館と聞いて、てっきりご本人がステージ上で講演して、

聴衆は少し離れた下の部分で座ってきくのかと思っていたが、講演場所はステージじゃなくて

同じく下にあり、席のすぐ目の前でおどろいた。

講演会というよりも、ほんとに地域とのふれあい会みたいな感じ。


講演席と客席の間にはマットが敷いてあり、最初はそこで運動でもしてみせてくれるのかと

思ったが、そこは子供達の座る用のマットだった。


画像とれないから、小学校のサイトをリンク。

詳細はここで。情報更新されてたら12月7日のところを見てね。

『講演会の様子』



この小早川サン、実はこの小学校に野球のコーチとして何度か来ていたらしい。

だけど、おそらく当日来ていた子供たちがまだ小さいコが多くて、野球に関してもたぶんあまり

しらない。


最初のほうは子供たちに向けた軽い野球の説明から始まった。


きいていて恥ずかしながらオレのはじめてしったことがある。

「ホームベース」について。


今までずっと「本塁」だから「ホームベース」というのかと思っていた……。

ようするに、打者はそこに立つことから始まって、もし打ったら一周回ってまた戻ってくるから

と言う意味で、「一番最初にいる場所で、出てもまた帰ってくる場所」という意味のホーム(家)

だと思っていたけど、本当はカタチが「三角屋根の家」みたいだから「ホームベース」というんだとさ。

いやあ、小学校低学年向けの解説でオジサンはすっかり勉強してしまった。


中盤以降は病気の話。

オレは知らなかったのだが、小早川サンは小さい時、ネフローゼ症候群という病気にかかって

ずっと入院生活を送り、小学校5年の時に医者からやっと運動を許可されたという。

そして好きだったサッカーを始めて、中学にあがってからもサッカー部に入ろうと思ったが

その中学にサッカー部がなかったらしい。

それでなんとなく、じゃあ野球部でいいかというようなテキトーなところが分岐点となり

後に広島の4番までのぼりつめたという。こりゃあスゴイ。


野球選手のエピソードって、だいたい幼稚園とか小学校の時には、もうバットを握って

いたとか言うのが多いが、小早川サンはけっこう遅かったようだ。


聞いていて、かなりマジメな話が多かった。

試合中、チームメイトがグラウンドにコンタクトレンズをおとして皆は探した話とか聞けるかも

などと期待した自分を恥じる。


期待以上に、ためになる講演だった。


質疑応答の時間で、せっかくに機会だから前に記事でも書いた「スポーツマンシップの矛盾」

や「楽天選手発言」において、実際にプロで活躍していた選手の貴重な考えを聞こうかとも

おもったが、目の前にちびっ子がいたので、哲学的な質問はやめておいた。


小早川サン、良いお話をありがとうございました。


会の最後にサイン色紙&ボール争奪じゃんけん大会があり、小早川サンの計らいで

引き分けの人の残ってていいというルールになり、張り切ってじゃんけんのコブシを振り上げたが

今までの人生の流れどおり、1回戦敗退であった(爆)