けんぼうは一年生 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

こんばんわ。


皆さんは幼稚園や小学生の頃に読んで、大人になってもずっと覚えている

本(絵本)とかはありますか?


オレは2冊ほどあります。

今日はそんな本のお話を。


オレの心に印象が強く残っている本のひとつはメジャーな昔話。

もうひとつは、知ってる人は知っていて、読んだこともあると思います。


まず、メジャーなほうは「ごんぎつね」


この話は小学校の頃、教科書で見てブルーになり泣きました。

いたずらギツネのごんが、盗みの罪滅ぼしで人間の家に食べ物を届けるけど

人間から、また悪戯しに来たと誤解され撃ち殺されてしまう話です。


さんざん悪さをしてきたから、こういう報いはあって然りという意見も少数あるようですが

その考えも多少は理解できます。でもオレはやっぱり可哀そうだと思いました。


ごんぎつね (日本の童話名作選)/新美 南吉

¥1,470

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さて。
もう一冊のほうですけど、

「けんぼうは1年生」 という絵本をご存じでしょうか?

けんぼうは1年生 (絵本・子どもの世界 20)/岸 武雄
¥1,260
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版画の絵本です。読んだ事が無い人や知らない人のために今回紹介します。


オレが小学校中学年くらいの時に、学校側から学年別におススメの図書館本の紹介があって

低学年に向けて紹介されていたのが、この絵本でした。


オレは今でこそ、多少の本を読んだり、記事で本の紹介をしていますが、何を隠そう実は

本をよく読むようになったのは20歳前後からで、それまでは、全くとは言わないまでも

ほとんど本は読まなかったのです。


だから、ただでさえ図書館とかで本を借りないうえに、あまのじゃくなので、学校やセンセイが

読めと勧めるような本は避けていたフシがありました。


また当時もう3,4年生だったこともあり、いくつも下の学年に向けて紹介された本を

読むのもかっこ悪いという偏見があり、題名と存在だけは覚えましたが、借りて読もうとは

考えませんでした。


ところがある日、3つ下の当時小学1年か2年だった弟が借りてきて、机の上においていた

のです。

弟は学校から帰って、本だけ机の上に置き、出掛けてしまったので勝手に読める状態です。

借りに行ってまで読もうとは思ってなかったが、いろんなところで話題になっているぶんだけ

どんな本かちょっと気になっていたこともあり、せっかくなんで「ちょっと読んでやろう」と

ページをめくっていきました。


本のタイトルや表紙の版画からして、その時点では、よくあるホノボノ親子モノの話だと

既に思い込んでいました。


以下ネタバレ含め、あらすじを紹介していきますが、なんせ30年くらい前一度読んだだけ

なんで、記憶を辿った記述になり、多少間違ったディテールがあるかもしれないので

そこはご了承を――


――


メインとなる主役は、3歳のけんぼうと、そのお父さん。


けんぼうはお父さんがちょっと年齢いってから出来た子ということもあり、お父さんは

すごく可愛がりました。


けんぼうも、お父さんが大好きで、お父さんが帰ってくる時間になると、いつも家を飛び出し

通りを通って駅まで迎えに行き、一緒に家まで帰ります。


ある日、一緒に並んで歩いていたお父さんの姿が急にみえなくなりました。

けんぼうはとても心配しましたが、お父さんはちょっとタバコ屋でタバコを買っていただけでした。

(ここで、作者による『お父さんのちょっとした寄り道でした』という感傷的な説明が入る)


けんぼうは安心し、お父さんにペッタリくっついて「お父さん、もう消えちゃイヤ」と言います。

けんぼうは、そのくらいお父さんが大好きなのです。


夕暮れ時の街でそんな日々が続きます。



……ここらへんまでは、オレの中でまだ、この本はホノボノものだという思い込みがありました。

だけど……

中ごろまで進んで、ページをめくったときに衝撃が走りました……。


なんとなくの記憶ですが、けんぼうが、シャボン玉の中に入って微笑んでいる版画の絵が

あった気がします。


そして……こんなような文書があったような気がしました。


――ある日、けんぼうは亡くなりました。

ダンプカーに跳ね飛ばされたのです。

まるでしゃぼん玉のように、あっと言う間にいなくなりました―


オレは、理不尽で、いきなりでもある平凡で幸せな家庭を襲ったその不幸に対して

子供ながらに読んでて「なんでだよ……!?」と絶句しました。


次のページには、けんぼうがいなくなった家の食卓で、顏をおさえて、悲しみにくれるお母さん、

そして、自分も泣きたいのに、我慢して、そのお母さんの肩に手を置き、なぐさめるお父さんの

風景の版画がありました。

その版画の絵がとても切なかったのを覚えています。そこで一回泣きました。



そのすぐ後の流れは、そこでのインパクトが強すぎて、申し訳ないですがあまり覚えてません。


でも……

絵本のラストのほう……


お父さんとお母さんは、なんとか悲しみに絶えて、3年くらいの月日が経過しました。


お父さんは、いつものように会社を出て、いつもと同じ夕暮れ時に、家がある駅に降りました。


お父さんがいつものように家に向かって歩き出します。でもタバコ屋を曲がったところで、

いつも、笑顔のけんぼうが向こうから走ってきてた時を思い出し、そこで立ち止まり、ずっと

けんぼうが走ってきてた通りを見つめて、たたずみます。


そして、お父さんは、

「けんぼうが生きていたら、もう1年生か……」

としみじみと想いを馳せるのです……。


その夕暮れ時に、ひとりたたずむ人柄の良さそうなお父さんの後ろ姿を描いた、あの版画の

寂しさと美しさは、今でも忘れることが出来ません……。


読み終えたオレは、家に誰も居なかったこともあり、読んでいて号泣してしまいました。


話はこれで終わりだったと思います。



この本に関してはやはり、かなり評価が高いようです。


学校推薦ということと、題名が自分たちと同じ1年生ということで内容を知らず、

とりあえず図書館で借りてきて家に帰って、お母さんに読んでくれという1年生が多かったよう

です。

お母さんもタイトルと表紙の絵だけで、深い話だと思わずに下読みせず、いきなり子供達に

読み聞かせしてたら、その展開に驚き悲しみ、子供の前で泣いてしまったというケースもあった

ようです。


読んだり子供に聞かせた人の感想には「命のたいせつさ」とかいうような声もあり、それも

あるかとは思うのですが、オレは、そういう、説教くさいような本というよりも、純粋なことで

嬉しさとか哀しさとかいうような人間の感情を再確認されてくれる絵本ではないかなあと

感じました。


この物語の中には、けんぼうや、お父さんお母さんの細かい生い立ちの記述、また

けんぼうをはねたダンプの運転手がどういう人間で、このような事故を起こしたかとかいう

ような深い話はありません。


単純に、それなりに幸せな生活を送っていた子ひとりの一般家庭を襲った哀しい話を

書いているだけです。

だけど、こんなに哀しくやるせない気持ちになるのです。


何でも細かい詳細や過程を求めるのではなく、まず、単純なことでも悲しんだり出来る感情

を持つ。

「けんぼうは1年生」の作者の方のプロットや版画には、そんなことを伝えてくれるような

温かみと力があるような気がします。


先日、図書館に行った時に検索機で、その図書館に「けんぼうは1年生」があるか確認して

もし、あったら30年ぶりくらいに、ちょっと見てみようかと思い検索してみました。


結果は、その図書館にはなく、同じエリア内の別の図書館の閉架にあるみたいでした。

ちょっと残念だった反面、見ることが出来なくて安心した気持ちはありました。


もし、その図書館に在庫があったとして、ちらっと数ページでも見てしまったなら、

すべて思い出して、涙があふれ、誰にもばれないようにすぐトイレの個室に駆け込んで

いたことでしょう。


冗談でもなんでもなく、おそらく表紙に触っただけでも、涙が出てきたと思います。

それくらい印象深い本でした。


はっきり言って、この本は「引きずり」ます。

オレの中では作品的には「南極物語」の次に位置します。


読んだあとは三日くらい気分が重かったです。


でも……


死ぬまでに一度は読んでおかないといけない絵本だと思います。


まだ読んだことない人へ……


読んだ後は必ず重い気持ちになるいでしょう……大人でも子供でも。


でもね……


一度、この物語と、温かみのある版画の絵を観ておけば、多忙な生活の中で薄れかけていた

感情を呼び戻し再確認出来るとオレは思っているんです……。

クサイようなこというようですけど……。


もう扱っている書店や図書館も少ないかもしれないけど、もし見かけることがあったら

2,3日ブルーになるのを覚悟で読んでみてください。


最近聞いた話だと、この「けんぼうは1年生」を書いた作者の岸サンはココ最近でお亡くなりに

なられたとか……。ご冥福をお祈りするとともに、素晴らしい作品を、このくだらない世の中に

残して頂いたことを心より感謝致します。