きめつけぼっちゃん | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今、改めてとりあげる話題でもないけど、鳩山元首相についていろんな人から印象
聞くと、圧倒的に「ぼっちゃん」という意見(イメージ)が多い。
オレの周りだけじゃなくてもそうだと思うが。

オレごときの虫けら駄文書き小市民が、こんなこという資格もないが
ただ、あくまで一国民として思っていることを言うと、あの母親からのケタ外れの
「子供手当」に関していえば、その件ではたしかに「ぼっちゃん」であると思うし、
また、タイプ的にも鳩山サンは「リーダー」にも「政治家」にも向いていなかったとは
思う。

ただ、前にも書いたかもしれんがオレは「嫌い」ではなかった。
「政治家」としては好きとは言えないが「人間」としてはキライじゃないし
悪人だとは思わない。だからキライじゃない。
コレ言うと周りは理解できないみたいな顏するんだけど。
(決して応援してたとか総理を続けて欲しかったとか言ってるワケじゃない)

逆に「奇跡的にイイ人」過ぎて政治家には向かなかったんじゃなかろうか?

なにかとあれば政治家としての鳩山を批判するときに、全部まとめて
「ぼっちゃんだから・・・」という人も多いが、母親からの小遣いの件はともかく
総理としてダメだったのは「ぼっちゃん」だとか育ってきた環境問題はカンケ―なく
鳩山が単純にリーダーに向いていなかったからではないか?

本人にすれば、何かヘマやらかしたり失言したりすれば、そりゃあ、バッシングは
当然覚悟だろうけど、でも何かとそれに「ぼっちゃんだから、ぼっちゃんだから」と
加えて言われるのは心外だったのではないかと思う。

才能や実力不足の理由は、あくまで本人の裁量の問題であって、すべてが「ぼっちゃん」
だからではない。

オレはハッキリいって、ユーフクでもビンボーでもない、ごくフツ―の環境で育ったが
礼儀や金銭に関してはおそらく他の家庭より厳しく育てられたのではないかと思う。

その流れがあり、社会人になってから自分より年上の新人や後輩が入ってきても
どうしてもタメ口が話せず敬語だし、たまに合コンいって周りが年上女性に対しフレンドリーに
いきなりタメ口でもオレはずっと敬語だ。年上の女性には今でも基本は敬語。

また、周りの友人は小学生にして小遣いを月に1000円~3000円もらってたり(これは異常だが)
話題のファミコンカセットも発売日に買ったりしてたが、オレは小遣い300円~600円
(コレが普通でしょ?)だったんで、コロコロコミック買ったらほとんど終わりでカネなどない。公園で5,6人で遊んでて、みんなが途中喉乾いたらジュース買ったりしてるなか、
オレだけ買えないで我慢してみんなが飲んでるのを見てたなんてことはザラだった。

でも、オレが育てられたその方針はごく当たり前だと思うし、甘やかされないでよかったと
今でも思っている。礼儀や我慢を身に付けられたから。
ちなみに、そのゲームやジュースをいつも買っていた友人は、明確に嫌われてる「ぼっちゃん」
だった。

そんなオレだが、比較的厳しくされてきた割には自分でも自覚あるが、どっか抜けてたり
おっちょこちょいやることが多い。マジで多い、それなりに。

その様子から、実際「ぼっちゃん」でもなんでもないに、ぼっちゃんだからそのヘンが
だらしないとか頼りないとか誤解されることがある。それがくやしいのだ。

オレの人間性がおっちょこちょいだと批判される分にはしょうがないし、ある意味認める。
でも、頼りない、または世間に対して知らないことがあるということを、「ぼっちゃん」と
結びつけられるのは納得いかない。
しっかり育ててくれた親の教育を否定された気になる。

他人というのは、ずっと人の半生や環境を見てきたワケでもないのに、
ただ単に「頼りない」「物知らない」とかいう部分が目立つと、
イコール「ぼっちゃん」みたいな捉え方をして批判する傾向がある。

人間というものは何かそれに付随するイメージがあると勝手にそう思い込むフシがあるのだ。

そういや、以前にも書いたがホ北海道出張行ったときに、現地の人と話して
「あのさあ、北海道に住んでるからって、道民は大雪にも馴れてるって思うのはやめて」
と言われたことがあった。北海道の人は寒波も大雪も気にならないというのも勝手なイメージ。

ある小学校のクラスの風景でも、とある「おデブ」の男の子が毎回力仕事の場に手伝いで
呼ばれるらしい。だが実際その男の子はとても非力であり、
「デブだからって力持ちだと思うなよ!」と怒ったとか。これも人間がもつ勝手なイメージ。

他にも

「デブは大食い」「オンナはピンク色が好き」「メガネ掛けてるヤツはアタマいい」
「ガリガリは俊足」「関西人はみんな阪神ファン」
「年寄りが好きなアイスは小豆アイスか抹茶アイス」

ほとんどが勝手な決めつけイメージである。ヘタしたら差別につながりそうなモノも。


小学校や中学校の時に一番身にしみて痛感したのは
「地味でクラスで目立たないヤツはオタク」というキメツケ。

別にオタクを見下したりしてるワケじゃない。
ただ地味だとオタクでもないのにゲームやアニメやアイドルが好きで詳しいというイメージを
勝手にもたれる。

何回も書いているがオレは中学校の時は目立たない存在だった。
だが、ゲームとかはほとんどと言っていいほどやらなかった。
先日懐かしのゲーム記事書いたが、あれだってほんとたまーにである。

ゲームの情報なんてほとんど知らないし、またクラス内でゲームの話なんてしたことない
のに、滅多に話さないヤツがいきなりオレのトコ来て、最新ゲーム情報聞いてきたりする。
当然全くわからないからわからないと答えたうえで、「何でオレに聞きにきたの?」と聞くと
「ゲーム詳しそうだと思ったから」・・・だと(;一_一)

これぞ、まさに「地味=オタク」のキング・オブ・決めつけ!
知らんわっ!

数年後のバイト時代とかも、まだ地味ヴィジュアルを引きずっていたから、たまにそういう
ふうに言われた。地味=マジメ=煙草吸わないみたいな決めつけもあるな(笑)

20歳のときに入ったバイト先の休憩室でオレが煙草くわえだしたら、そん時の所長が
まるで目の前で上戸彩がストリップし始めて驚いたような目で煙草吸ってるオレを見つめてた。
地味でも煙草くらい吸うわい(笑)

ちょっと話が脱線したが、そういうふうに見ためからくる「決めつけ」とか
環境から繋げられる「こじつけ」ってのは多い。

鳩山氏に関しては、たしかに「おぼっちゃん」ではあるが、
政治家やリーダーに向かなかったのは「ぼっちゃん」だからではなく、
それはそれでまた、別で単純に「総理に向かないタイプ」であっただけ。だと思う。
「ぼっちゃん」だとか「育ち」はカンケ―ない。
あったとしても、他人の家庭環境を突っ込むのは下品。

批判したり、ケタ違い小遣いに関してだけは「ぼっちゃん」だと言うのはいいけど
何から何まで「ぼっちゃん」だからダメだったと批判するのはチト違うかなと…。

「ぼっちゃん」でも誰よりしっかりした人だっているし、
厳しく育てられても、全然活かされてない人もいる。
そうそう、オレだな、それってw

中にはいるんだよ。稀に。
躾や礼儀とかも比較的厳しく叩きこまれてきても、何故かあまり吸収出来てないオレみたいな
ヤツが。
いろいろ叩きこまれてきたからって、しっかりした大人になってるっていうのもまた
決めつけだよね(笑)

だから、オレもヘマやったり、モノ知らなくて恥かいたりしたときに、それは単純にオレの
アタマの回転や人間性の問題であるわけなのに、イメージで「ぼっちゃん」だと言われると
すごいムカつくのよ。
だから、なんとなく鳩山サンもそうなんじゃないかなーって思って書いた次第。

ある意味では「ぼっちゃん的な家庭」に生まれてきたほうが、何かあったときに何でも
「ぼっちゃんだから」と決めつけられるハンデを背負ってるね。普通の人より大変かも。

諸君!厳しく育てられてきてもダメ人間のまま生きてゆく人間もいるということを覚えておけ!

あ、そうそう、秋葉原でヒドイ事件起こした加藤智大も事件発生当時はマスコミがダラダラ
といい加減な情報流して、一部世間が「過保護だから我慢しらずキレたんじゃないの」とか
言ってたが、それも決めつけ。
実際、加藤は母親が厳しくて体罰もしょっちゅう受けてたらしい。

実在事件をモチーフにした映画化ってよくあるけど、加藤の「秋葉原事件」も映画化
されてるようで気になる。タイトルはその名も「ぼっちゃん」

ちょっと見てみたいが、レビューみると事件のほうよりも、ああいう人間にスポットを
あててるようで評価は割れているね。

このPVはロバート・デ・二-ロの「タクシードライバー」のオマージュだろうな。



全体的な予告編は下。



キになる映画なんでもし観た人いたら感想おせーてくださいまし。