プロとは何ぞや | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

最近は間違って意味を理解されてる日本語がちょっと話題の様子。

例えば「にやける」

これは正式な意味は「うすら笑う」という事では無く「なよなよする」ということらしい。


言葉と言えば巷でよく「相手はその道のプロだぞ」とか「そのスジのプロだぞ」とか聞く。

やれ運動のプロだの教育のプロだのスカウトのプロだの採用のプロだの。

また「オレはこの道のプロだ」とかいうアピール言葉も良く聞く。


「プロの定義」とは何ぞや?


その道に熟練、精通して知識も技術も完備しており、そのスジに関しては多くの

人の信頼と人望を集めている人を表すのか… 否!


最近、哲学者の故・池田晶子氏の本がお気に入りでたまに読んでて、

別に人がそう言ってたからそのまま鵜呑みにするワケではないが、

池田サン曰く、

『プロ』ただ、その人が「それで食っているかどうか」というだけのこと。

と書いているのを読んで、純粋に言われてみればそうだなぁ、と思った。


いままで「プロ」という肩書きを大袈裟に誤解してたかもしれぬ。


ようするに、その「ジャンル」をウリにして食ってるかどうかというハナシで

技術や知識を伴っているかはカンケ―ないのだ。


以降オレなりの「プロ」についての解釈。



技術、知識、経験を伴っている人は「技術者」「熟練者」「スペシャリスト」

ではある。でもその世界そのジャンルで食ってるワケでなければプロではない。


逆に技術も知識も下積み経験もなくても、「その道のプロ」として存在する輩もいるのだ。


思ったのだが、例えば極論、


アマチュアや高校野球の選手において、親が元プロでコネを使ってどっかの球団に

入ったとする。アマチュア、学生時代に全く実績もないのに。(いや!マジで極論だからね)

球団に入団してからも、ずっと2軍で、2軍の試合でも打率000だとしても、在籍期間は

球団からカネもらって生活してるわけだから、定義としては、それは明らかに「プロ」になるわけ。


言ってみれば、その業界その世界を通してカネをもらって食っているかだから、

プロセスが100パーセントコネであろうが、裏口入学入団であろうが、替え玉合格であろうが

書類の手違いにより別人を合格させてしまったんであろうが、その業界に籍を置いている

期間はどんなにインチキで無能だろうが「プロ」には間違いないのである。


インチキがばれて解雇されたら、その時点でその世界から外され、その世界からの収入は

なくなるワケだから、その時点でプロでもなんでもなくなるが、器用にやり過ごしていく人は

インチキでもずっと「プロ」で過ごすこともあるだろう。


無資格や闇関係、違法だとしても専門とする業界の仕事でおカネをもうけてるのもプロに

値するからブラック・ジャックとかも「プロ」である。法外な料金を請求していても。


そう考えると、言うまでも無くキライだし、肯定する気も全くないがオウムの麻原も

宗教家としては「プロ」である。

インチキ教祖で、部下に人を殺させて、自分ばかり高級なものバクバク食っているが

結果的にインチキで宗教家としての才能が全くないとしても、カタチ上は宗教を立ち上げ

教祖を名乗り、それを公開したうえであれだけの信者を集めてお布施を徴収し、、そのカネで

美味いモンとかくったり贅沢な生活してたワケだから、認めたくないが「宗教のプロ」である。


またこれも極論だが、

難関と言える職業の国家試験とかに替え玉受験とかで受かったヤツがいたとする。

その受かったヤツはその職業に関しては全くの素人。

もし、その職業について、数か月でばれて懲戒解雇やタイホされたとしても、

その就業してた数カ月は、その世界においてメシ食ってたワケだから、少なくともその期間は

「プロ」なのである。 素人だけどプロ。おかしなハナシである。


料理も何も出来ない人が宝くじで1億あたったとする。

そのカネで商売しようと思い、そっくりそのまま投資して、歌舞伎町にラーメン屋を

オープンしたとする。

もともと「料理」の「りょ」の字も知らない人間なんで、調理も化学調味料とかテキトーに

ぶちこんで、麺も市販の安いモノを使ったいいかげんなラーメンなんで吃驚するくらいに

マズいラーメンが出てくる。

一度食べた人は、もう2度と来ないといい、誰一人美味いと言わずリピーターも0。

だけど場所が繁華街だけに黙って暖簾を出してるだけでも、毎日一見サンが何組もくる。

リピーターは1人もいないが、毎日の一回キリの新規客からの収入だけでなんとか生活出来る。

このように、評判悪く知識も技術もなくても、その世界で食ってるのだから

「ラーメンのプロ」には違いない。


プロとは実に微妙な表現なのであるなあ・・・

アーティストもそうだよな。脳ミソが腐るような甘ったるい歌や偽善くさい歌ばかり歌ってる

プロの人もいる反面、すげえイイ歌を道端やライヴハウスで歌ってながらプロでなくて苦労

してる人もいる。


最近はやっとブラック企業の横暴さが焦点浴びるようになってきて、新卒とかがよく

企業の面接官に圧迫面接とかされてる様子。

だいたい新卒は若いということと、面接官は社会人経験があるということから新卒への助言で

「面接官も人を見抜くプロなんだからさ・・・」ということをいう人もいるようだが、

たしかに「プロ」には違いない。でも見抜く目を持ってるか人事の才能があるかは全く別。


一応採用担当人事というポジションを任されて、その業務でメシくってるワケだから「プロ」では

あるが、もしその企業に人を見抜く才能を持ってる人間がいなくても、組織として絶対誰かは

面接官や人事をやらなければならないから、消去法で比較的適任ということで任されてる可能性

だって充分ある。「プロ」=「技術者」ではない。

だから新卒の人は何を言われても凹まなくてよし!


そういうふうに軽~く哲学してくと、ほとんどの人が何かしらのプロではあるし、

実際に正規ルートで苦労重ねて技術を伴ったプロになってる人もいるのは認めるけど、

実は世の中の「プロ」のほとんどにかんして

『虚』がスーツやユニフォームを着て「プロ」「アドバイザー」「チーフ」という名刺をばら撒いてる

だけかもしれないと思った。当然オレも含めて。


『プロ』 = 技術、知識、人気全くカンケ―なく、その世界でメシ食ってる人

『プロ』 ≠ 『技術者』『熟練者』「経験者』『スペシャリスト』『信頼出来る人』


結論!


「プロ」という言葉は思っている以上に崇高な存在ではない。


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