プレカリアートの憂鬱 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

日本国憲法 第22条

すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。


先日のニュースでは「就活失敗し自殺する若者増加」の記事。

職場では「新型うつ」なるものが発生。

さらにもう少し前にニュースでは

「死にたいと思ったことがある人のパーセンテージが20数%」だとか。


そのパーセンテージは聞いて驚いた。

『そんな少ないのか!』

こんな世の中と組織ばかりの中で死にたいと思ったパーセンテージがわずか

20%とは・・・。もっとはるかに多いとふんだのだが。

皆さん、かなり恵まれた人生だったんだねえ。


オレはまあ、そこまで参ってないかもだが、個人的には社会的弱者の味方のつもりでは

いる。自分では。


「うつ」や「格差」「貧困」が蔓延するこんな社会で皆さんに是非読んでもらいたい本がある。


反貧困ネットワーク副代表・雨宮処凛の本だ。



プレカリアートの憂鬱/雨宮 処凛
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「プレカリアート」とは不安定な非正規労働者および失業者のことを言う造語である。


プレカリアートとは現代に於いて失うものがなく、また不条理な扱いを受けているからこそ

忍耐力もあり、また生きていったり楽しみを見つけるために新しいことを創造するチカラを

持っている人たちである。

市場原理が優先される社会の中で、むしろ生命力と発想力のある力強い存在の人たちなのだ。


この本の中ではそんなプレカリアートの人とされるフリータ-や立場の弱い人の取材や

腐敗してゆく日本のシステムについて徹底的に書かれいて勉強になる。


この日本の危機において、日本は今まで安いコストで海外を奴隷として使ってきたと

雨宮サンは語る。それが海外に抜かされてから国内に奴隷を作るようになってきたと。


そんな競争社会や共存共生社会のゆがみで誕生したのが「ひきこもり」

だが「ひきこもり」とはそんな間違った社会をボイコットしてる「立てこもり」と同じなのだ。

とりかた変えればひとつの「革命」


そう考えると「ひきこもり」の人達の存在というのはこの日本のレールを外した酷い現状を

気付かせる最もわかりやすく大きい“信号”なのである。

だがこの国や良識者はその信号を無視し、むしろ「甘えている」と攻撃する方向に向かう。

根底のシステムに諸悪があることに目をそむけてるのだ。



中盤には「戦略的生活保護のすすめ」という章もある。


OECD(経済協力開発機構)の05年の調査では日本の貧困率は先進国中第2位であるらしい。

すばらしい快挙(皮肉)

メディアや巷では「生活保護受給者増加」だとか「不正受給」だとか騒がれているが

実際はもっと「もらうべき人」がいるのである。

なのだがこの国の役人や組織はどこよりも「自己責任」という言葉を寵愛してる人種なので

生活保護を申請しても、その「自己責任」と言う言葉が好きなバカから拒否されて保護を受けれない

という現実が多いようだ。その対応は目に余る。

06年には2度の申請を拒否された男性が、その市役所の駐車場で練炭自殺をしたとのこと。

これはもう市役所による殺人である。


雨宮サンは

「貧乏なのも仕事がないのもあなただけのせいではない。『働かざるモノ食うべからず』という奴には

働いたら生きていけるだけのカネを寄こせ』 と言えばいい。生活保護受給者をバッシングする前に

困窮者を生み出した構造を直視するべきだ」

と語る。全てに同意。


同時に世の中では働いているか働いてないか、正規社員か否か、で人を判断する人が多いとも。

そして働かない人に対して心ない言葉が投げられると言う。たしかにテレビの討論番組で若い

社長とかが出てくると、こういうことをよくいうのでムカつく。

女性だったら「家事手伝い」で済まされるが、男性へは冷たいというのは差別や偏見をよくとらえて

いるなあと感心。


働けない人へのインタビューで世の中の人に理解してほしいことは何かというトコロがあった。

以下引用

「違いを認めてほしいです。人それぞれ向き不向きってあると思うのです。(中略)

うつ病になった原因て向いてないことをやったからだと思うんです。

人それぞれ違うということを認めてほしいんです」


この人が言ってることは最もなことで誰にでも言えることであると思う。

だが「死ぬ気になればなんでもできる」とかいうような奴には鬱になる人のキモチがわからない

のだろう。


今、この国(と企業)は「役立たずは一刻も早く死んでくれ」というメッセージを放ち続けている。

と記してある。まさにそのとおりだろうと思う。


差別.格差は想像以上に蚕食してきているのだ。

この時期にきて再び小林多喜二の「蟹工船」が売れているのはオモシロイほど現在と似ている

からというのが国民の潜在意識にあるのだろう。皆気づいてはいるのだ。


またこの国はシングルマザーにも冷たいとのこと。

母子ともに生活するためにおカネをムリしてでも稼がないといけない母親は仕事に行く前に

子供を寝かせるために、子供に睡眠剤を飲ませてから家を出たりするケースがあるらしい。

国や組織はそのへんの現状をわかっているのか?


最後の方のインタビューされた人の文章で

『極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば日本は流動化する。

多くの若者がそれを望んでいると思う。なぜなら平和なままでは現状を打開できないからだ。

フリータ-だけが屈辱を味わうのではなく「国民全員が苦しみつづける平等」を』


というコメントに雨宮サンはショックを受けると同時に過去の自分のキモチを代弁されたようで

スッキリしたと書いていたが、これはオレもわかる。

キレイゴトや体裁ではなくひとりの生身の感情をもった人間として。



今回ブログの最後に・・・


最近、この人のコトばっかとりあげて申し訳ないが作家の三島由紀夫が今の日本を

予言したようなことを言っていた。それをここに紹介して今日はオワリ。

『私はこれからの日本にたいして希望をつなぐことは出来ない。このまま行ったら「日本」は

なくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本は無くなって、その代わりに

無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が

極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれなく

なっているのである』


『われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、

本を正さずして末に走り、その場しのぎの偽善に陥り、自らの魂の空白状態へと落ち込んでゆく

のを見た』


コレを聞いた時、三島の好感度があがった。


みんな、目をさませ!