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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。


El Comercio紙7月17日のコラムが興味深かったので訳してみました。
筆者はホセ・マトス・マルという文化人類学者です。
著名な考古学者ワルテル・アルバの研究によると6世紀の終わり頃に30年にも及ぶ気候変動がペルー北部に起こり、極度の旱魃や破壊的な降雨といった異常気象を起こした。こうした激しい変動はモチェ文化様式の土器にの文様に記録されていて、水利学的に世界でも最も進歩していた文明のひとつの崩壊を引き起こした。
同様に、私がチャンカイ・ワラル渓谷で私が実施した文化人類学的研究で1925年の激しい降雨を認識することになった。極度の降水によって引き起こされた川の増水と氾濫は収穫を失わせ、道路を破壊し、グラーニャ、ムヒカ・ガジョ、ベルケマイヤー家といった大農園を荒廃させた。この現象は土地所有にも総体的なな変動をもたらした。ヤナコーナ(家付き召使)の地位が上昇し、伝統的土地所有者は、日本人や中国人の小作人に取って代わられたのだ。この時代のこうした社会の変革のすべてが天候によってもたらされた。
また私は20世紀最大の異常気象のひとつ、1957年から1958年の海岸地帯の豪雨とアンデス南部山岳地帯のひどい旱魃を経験していて、この異常気象の時には、フリアカ駅で農民たちが食べ物を与えらないために子供たちを旅行者に提供している写真が新聞に掲載された。
こうした気候変動は経済や物質だけでなく、社会や政治にも影響を与えてきたのだ。1958年にはマヌエル・プラド大統領が危機に苦しんでペドロ・ベルトランのような頑固な批評家にゆだねなければならなかった。1965年にはフェルナンド・ベラウンデ・テリーの民主的政権が改革機運を失った。1972年には軍事政権が非常事態に対処するために構造変革を一時的に放置しなければならなかっし、1982年-1983年のエルニーニョ現象では第二次ベラウンデ政権が気候変動の深刻な影響のために崩壊を始めた。リマまで被害があった1997年-1998年の現象では経済的な救済措置が増しためにアルベルト・フジモリ政権の権威主義的政治が弱まり、影響をこうむってしまった。
いうならば、アメリカの行政がエルニーニョ南方振動と呼ばれ、定期的に発生する現象について我々は知らされるにすぎず、わが国では陳腐にもエルニーニョ現象(FEN)現象と呼んで、並みの規模で短期間(5年から6年ごとに発生)とか、きわめて強く長期的(10年から12年ごとに発生)などと分類するのみだ。
今世紀に入ってからでも、環境問題に関して本当の良心が生まれてきているのだが、危機対策に関する国の政策までには成長していない。
だからこそ、今日、海水温を計測する複雑な方法があっても、エルニーニョ現象が発生するたびに各政権はあたかも不運で予測できないものであるかのように反応するだけで、予測すべき現象であるとは捉えられていないのである。事態が起こってからようやく対処するための非常予算を講じ、予防策を立て、そうしたものの多くは不適当で無益に終わるのだ。なにしろ非常事態が避けられない状況が起こってしまってから対策を実施するのだから。
何年も前、有名な農業技師が、若い専門化が旱魃についてぼやいているのを聞いてこう答えたという。「しかし、海岸地帯に旱魃がなかったことなんてあったのかね?」さらに、昔の農業学校では水なしで耕作することまで教えていたとも付け加えたという。
同様のことをわが国の政治家や役人はしなければならない。エル・ニーニョ現象が大事態で予測不能であると考えるのはやめ、危機分析の主要なな要素として考え、危機を避けるための政策を考えるようにならなければならない。優れた政府とはエルニーニョ現象の中で我々がいかに生きてきて、生きて行くのかを知り、気候変動のためにこの現象がだんだん短い間隔で発生していることを認識するものだ。すなわち、ペルーを統治するものが誰であろうとも、対策計画は必須事項にしなければならないということだ。


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先週日曜日のランニング。
6月まで日曜日は耐久走の日で
自宅からタンボマチャイ遺跡まで往復していたけど
インティライミ前に風邪を引きかけたり、
用事がいろいろあって走れない日が続いて
脚力が落ちたので、ココ2週間は
xゾーンで折り返してサクサイワマン遺跡へ・・
今度の日曜日はタンボマチャイまでいきたい。

脚力回復を待つちんたらとしたランニングなので
風景を撮ることにした。

クリスト・ブランコ(白いキリスト像)


せっかくの青空なのにレンズが汚れているのか斑点ができた。



山の上の十字架は最初、スペイン人が山の神信仰をつぶす為に立てたものが
土着の自然信仰とキリスト信仰が混交して、
先住民たちは自分から十字架を立て始めた。

民族衣装のオバサンもいれて・・


観光的には許せる図像だが、このババアはチ写真を撮らせて
チップを稼ぐ目的で民族衣装をつけている。
おまけにこの衣装はチンチェーロ村のものであって
クスコのものではない。
でも観光客はかまわずTake a Picture!

サクサイワマン脇を下っているときに
よく見かけるユーカリの実。
白いのが落ちたばかりでキレイなので拾う。


さわやかなユーカリの香がする。


ぐったが、ユーカリの実は薬用には使わないらしい。

ブーケを作るときに飾りにするだけのようだ。

残念。ゴミになるだけか・・。

今度の日曜日は遊ばないでしっかり走ろう。


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2015年は観測史上いちばん暑い夏になるらしい



地球温暖化は右肩上がりで確実に進んでいます。

2014年は地球史上最高に暑い夏でした。しかし..........
≪続きを読む≫

アメリカはエルニーニョ現象の研究が進んでいますね。

お膝もとのはずのペルーより予報が早いのでちょっとびくり。
ワシントン・ポストの記事を見つけたので訳してみました。
英文を訳すのはちょっと大変・・
昔バベルの通信教育を受けてたんですけどね。

THE WASHINGON POST
このエル・ニーニョ現象は「強度」の強さから記録に残る上でもっとも強いものになる可能性が出てきた。
太平洋熱帯地域の平常よりも高い海水塊が広がり、深さを増すもので、この春より徐々に強度を増してきている。
強い得る・ニーニョ現象のために2015年は地球の歴史でもっとも温かい夏になることは確実で世界中の天候パターンに波状攻撃を加えている。
エルニーニョが強いことからカリフォルニアのこの秋と冬の降雨を多くするが、大西洋のハリケーンは平年より少なくなり、合衆国の大部分では冬は平年より暖かく、太平洋のハリケーンや台風シーズンは非常に活発となるであろう。

こうしたエルニーニョ現象の影響はすでにいくらか現れているが、合衆国全体では冬と秋にもっと顕著になるであろう。
貿易風とは反対に偏西風が頻繁に強くなることから、エルニーニョ現象が継続し、強くなるのを促している。太平洋西部では暖かい海水が東方に動き、太平洋の中央部と東部海域にに押し寄せている。
強いのエルニーニョ現象が何を意味するのか。
キャピタル・ウェザー・ギャングのジェイソン・セイムナウは、エルニーニョ現象は合衆国の気象に、カリフォルニアの多雨と静かなハリケーンシーズンまで影響するとしている。
暖かい水域の広がりは太平洋の熱帯サイクロンの活動を真夏を通じて、記録的レベルにまで活発にしている。

2015年のエルニーニョ現象は真夏の強さに関しては記録的だった1997年から1998年にかけての現象とに匹敵するものになっている。

(図・グラフ説明略)

1997年から1998年にかけての現象はカリフォルニアで冬に激しい洪水と地すべりを起こしたことで悪名高い。
ウェザー・カンパニーの気象予報士マイケル・ベントリスは、本年の大気の動きは統計的に見て1000年に一回のあるないかの稀なものであると述べている。
しかしエルニーニョ現象は公式には並の強さとされているが、世界でも有数のエルニーニョ現象の研究者トニー・バーンストンは今月末には「強い」となるだろうと説明している。
「平常の海水表面温度から推測して、強さは先週には「強い」と呼んでいいレベルだったが、公式に「強い」現象と発表するには丸一ヶ月海水温の高いのが続くか、より上昇する必要がある」と気象社会に関するコロンビア国際研究機関(IRI)のバーンストンは述べている。要はは7月の平均水温しだいだ。
動的モデル(物理的過程を基にしている)と静的モデルを(歴史的データを下にしている)も加えた、だいたいのエルニーニョ現象モデルは強い現象を予報していて、秋にはピークを迎える見込みとしている。IRIは総合して、モデル・シミュレーションがチャート外だとしている。
エル・ニーニョ現象は成長していての予報モデルはさらに強くなりつつあることを示している。バーンストンはわれわれの予想は相対において「強い」現象になる可能性がなるだろう。
ヨーロッパ・モデルや国立気象機関のCFSモデルといったいくつかのモデルははエル・ニーニョ現象が「とても強い」か「極めて強い」と記録的なものに近い規模になりうることを示している。
歴史的にみて記録的な「極めて強い」(もしくはとても強い)エル・ニーニョ現象はただ二つ、1982年から1983年にかけてと1997年から1998年にかけて起こっている


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英語以外で学びたい言葉 ブログネタ:英語以外で学びたい言葉 参加中
先週は月曜日から土曜日まで怒涛の無料イベント週間だった。

月曜日 ケチュア語吹替えのペルー映画上映会
水-金曜日クラシック音楽フェスティバル
土曜日 アリアンス・フランセーズでのパントマイム公演

ほんとうは火曜日も講演会が予定されていたのだが、会場到着後に中止といわれ、今晩に日付が変更となった。
パントマイムは、アリアンス・フランセーズのクスコ支部が自宅から歩いて15分程度の距離だったので行ってみたが、よくわからなかったというのが正直な感想。1時間以上、パントマイムを見るというのは正直疲れた。10分も見れば十分。いい体験にはなったけど。



フランスといえば、昔NHKラジオのフランス語講座で勉強しようと4月号のテキストを買ったが、1週間しか聞かず、モノにならなかった。
スペイン語はラジオ講座の放送時間帯が午前8時と午後1時40分と仕事をしている者には聴くのが難しい時間帯だったのにもかかわらず、留守録音をして聞き続けた。そのころは、最初のオルケスタ・デ・ラ・ルスが解散する前で、テレビのスペイン語で「Arroz con Salsa」のビデオを見た記憶がある。
さらにそれ以外にも文法書を買って独習し、スペイン語検定4級を日本でとった。6級から始めるスペイン語検定では、4級は英検でいう準二級レベルになるらしい。そういう英検は準1級を持っているが・・。

今スペイン語検定を受けたら何級になるかな・・
スペイン教育省のスペイン語検定DELEも興味があるが、ペルーでも受けられるのだろうか。

気がつけば今、ペルーで当たり前にスペイン語を話し、読み、書いている。
そして今学びたいのはケチュア語。インカ帝国の言語で、アンデス先住民が今でも話している言葉だ。
先週月曜日に行ったケチュア語吹替えのペルー映画「El Coliseo(コロシアム)」。ペルー文化省クスコ支部が吹替えを行い、テレビでも宣伝していた入場無料イベントだったにもかかわらず、ガラガラを通り越した観衆の少なさで、映画中で出てくるワイラスという舞踊を公演するテント小屋の客入り並みのさびしさだった。


それでも映画紹介の司会ははりきってケチュア語でまくしたてて、理解できなかった。



INAUGURACION DOBLEJE EN QUECHUA PELICULA EL... por kayoko-sakaguchi

ペルーにはスペイン語以外に47もの先住民言語があり、そのうちのケチュア語はぺルーの公用語にもなっていて

「学校でケチュア語教育を必修にしよう!」

という暴論もでてくるほどの多数派言語だ。

クスコ市近辺ではケチュア語を話すものも多く、私も含めてスペイン語で話をしている最中にいきなりケチュア語に変えて話をはじめ、私の悪口でもいっているのではないかとひどく不愉快になることがある。
クスコでは必ずしもケチュア語は先住民のみの言語ではなく、インカの子孫であることに誇りに持たせるための道具でもあり、教育のある人間はある程度のケチュア語の知識がないと恥ずかしいという雰囲気がある。そしてこの町にはスペイン語、ケチュア語以外に、ドイツ語、フランス語まで話せるマルチリンガルが当たり前にいるのだ。
おそるべし、クスコ。
そうしたことで、ケチュア語を再勉強しないと・・と思っているところだ。


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NHKラジオ まいにちスペイン語 2015年 8月号 [雑誌] NHKテキスト


スペイン語技能検定合格への手引き―1級・2級・3級対策問題集
El Cronometro C1 / The Timer: Manual de preparacion del DELE / Student’s Book for the DELE Preparation. Level C1



前二日間よりも早めにホールに到着した。今回は少し大きくなってクスコ市民会館だが、
観衆の入りはよかったようで一階席真ん中よりも前付近に陣取った。
付近に子供連れはいなかった。

安心しているうちに団員たちが登場した。
これまで弦楽奏やソロでも演奏してきた招待奏者も参加する。
先生も入ったオーケストラという雰囲気。


今日も演奏はすばらしくなるだろう。

司会者がアナウンスする。
「演奏の妨げにならないように携帯電話の電源はお切りください。
また、子供たちは静粛にして、席からうごかないようにお願いします。

わかっとるやんけ!
日本のクラシック音楽演奏会ではありえないアナウンスだろう。

ほっとしているうちに
最初は、またモーツァルトでおなじみ、クラリネット協奏曲




COCIERTO DE CLARINETE MOTZART por kayoko-sakaguchi

美しい・・。
しかし、前の席のほうで赤ん坊が泣き出してお母さんが赤ちゃんを抱いて通路を歩いてどっかへ行った。
また・・
いつもどこかで、赤ん坊の声が聞こえてくる。

幸いにも今回はひそひそ話をする大人は周りにはいなかったが、過去の市民会館で演奏中におしゃべりする連中は何人も見てきた。

スベンセンのバイオリンと管弦楽のためのロマンスは招待バイオリニストがソロ演奏。
さらにシューベルトの交響曲第8番「未完成」
私も陶酔状態に入ったところで、席の後ろをドンドンと叩くような音と振動を感じた。びっくりして振り向くと大人の男が両脇を男女に抱えられて、てんかんのような、痙攣しているようなそぶりを見せていた。人生で一度も見たことがなかったような状況に
[Dios mio!]
この日と大丈夫かな、救急車よばなくていいのかな?
と心配したが、問題はなく、発作はおさまったようだ・・。

最後はクスコ出身の作曲家、アルマンド・ゲバラ・オチョア(Armando Guevara Ochoa)のビルカノータ。
ここでスベンセンのロマンスのソロ演奏したバイオリニストがオケに入り、
指揮者がマイクなしで彼に感謝の言葉を述べた。



ビルカノータとはクスコの聖なる谷を流れる聖なる川、別名をウルバンバ川ともいう。メロディーが川の流れをあらわしているように思えるが、川といえばスメタナのモルダウにかなうものはないな・・と思ってしまう。


VILCANOTA ARMANDO GUEVARA OCHOA FESTIVAL DE... por kayoko-sakaguchi

短くシンプルな曲だったので、これで全てのフェスティバルが終わってしまったのかと思うと拍子抜け。
シューベルトやモーツアルトの後に来るべきレベルではなかった。
ただ、アルマンド・ゲバラ・オチョアフェスティバルと名づけられている以上演奏せざるを得ないのだろうが、開幕の初日の一曲目にもって行ったほうがよかっただろう。

全体の印象としては演奏者はたいへんによかった。
このレベルのオーケストラが3日間別々の曲目を弾きこなせるのかな・・
と最初不安だったが、外国招待演奏家の指導の下、私の予想を上回る素晴らしい演奏をしてくれた。招待演奏家も含めて「作り上げた」という雰囲気が伝わってきて感動した。




翌日、クスコ交響楽団のFACBOOOKページに
招待演奏者と楽団員にを祝福し、楽団が非常にレベルアップしたことをまず伝えたうえで、
観客の教育も文化省は図るべきとコメントした。
さらに私が出会ってしまったマナーの悪い聴衆について述べてから
「赤ん坊連れは入り口近くか客席後部に指定席を設けるべき」
という提案を書き込んだ。
今週金曜日、また同交響楽団が定期演奏会を行う。
文化省がどう反応するか楽しみだ。


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モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K.622 [Import]