El Comercio紙7月17日のコラムが興味深かったので訳してみました。
筆者はホセ・マトス・マルという文化人類学者です。
著名な考古学者ワルテル・アルバの研究によると6世紀の終わり頃に30年にも及ぶ気候変動がペルー北部に起こり、極度の旱魃や破壊的な降雨といった異常気象を起こした。こうした激しい変動はモチェ文化様式の土器にの文様に記録されていて、水利学的に世界でも最も進歩していた文明のひとつの崩壊を引き起こした。
同様に、私がチャンカイ・ワラル渓谷で私が実施した文化人類学的研究で1925年の激しい降雨を認識することになった。極度の降水によって引き起こされた川の増水と氾濫は収穫を失わせ、道路を破壊し、グラーニャ、ムヒカ・ガジョ、ベルケマイヤー家といった大農園を荒廃させた。この現象は土地所有にも総体的なな変動をもたらした。ヤナコーナ(家付き召使)の地位が上昇し、伝統的土地所有者は、日本人や中国人の小作人に取って代わられたのだ。この時代のこうした社会の変革のすべてが天候によってもたらされた。
また私は20世紀最大の異常気象のひとつ、1957年から1958年の海岸地帯の豪雨とアンデス南部山岳地帯のひどい旱魃を経験していて、この異常気象の時には、フリアカ駅で農民たちが食べ物を与えらないために子供たちを旅行者に提供している写真が新聞に掲載された。
こうした気候変動は経済や物質だけでなく、社会や政治にも影響を与えてきたのだ。1958年にはマヌエル・プラド大統領が危機に苦しんでペドロ・ベルトランのような頑固な批評家にゆだねなければならなかった。1965年にはフェルナンド・ベラウンデ・テリーの民主的政権が改革機運を失った。1972年には軍事政権が非常事態に対処するために構造変革を一時的に放置しなければならなかっし、1982年-1983年のエルニーニョ現象では第二次ベラウンデ政権が気候変動の深刻な影響のために崩壊を始めた。リマまで被害があった1997年-1998年の現象では経済的な救済措置が増しためにアルベルト・フジモリ政権の権威主義的政治が弱まり、影響をこうむってしまった。
いうならば、アメリカの行政がエルニーニョ南方振動と呼ばれ、定期的に発生する現象について我々は知らされるにすぎず、わが国では陳腐にもエルニーニョ現象(FEN)現象と呼んで、並みの規模で短期間(5年から6年ごとに発生)とか、きわめて強く長期的(10年から12年ごとに発生)などと分類するのみだ。
今世紀に入ってからでも、環境問題に関して本当の良心が生まれてきているのだが、危機対策に関する国の政策までには成長していない。
だからこそ、今日、海水温を計測する複雑な方法があっても、エルニーニョ現象が発生するたびに各政権はあたかも不運で予測できないものであるかのように反応するだけで、予測すべき現象であるとは捉えられていないのである。事態が起こってからようやく対処するための非常予算を講じ、予防策を立て、そうしたものの多くは不適当で無益に終わるのだ。なにしろ非常事態が避けられない状況が起こってしまってから対策を実施するのだから。
何年も前、有名な農業技師が、若い専門化が旱魃についてぼやいているのを聞いてこう答えたという。「しかし、海岸地帯に旱魃がなかったことなんてあったのかね?」さらに、昔の農業学校では水なしで耕作することまで教えていたとも付け加えたという。
同様のことをわが国の政治家や役人はしなければならない。エル・ニーニョ現象が大事態で予測不能であると考えるのはやめ、危機分析の主要なな要素として考え、危機を避けるための政策を考えるようにならなければならない。優れた政府とはエルニーニョ現象の中で我々がいかに生きてきて、生きて行くのかを知り、気候変動のためにこの現象がだんだん短い間隔で発生していることを認識するものだ。すなわち、ペルーを統治するものが誰であろうとも、対策計画は必須事項にしなければならないということだ。
にほんブログ村









